御書研鑚の集い 御書研鑽資料
撰時抄 22 日本国皆一同に法然の弟子と見えり
【問うて云はく、此の三宗の謬誤〔みょうご〕如何。】
それでは、この三つの宗派は、どこが間違っているのでしょうか。
【答へて云はく、浄土宗は斉〔せい〕の世に曇鸞〔どんらん〕法師と申す者あり。】
それは、まず浄土宗は、中国の斉の時代に曇鸞法師という者がいました。
【本〔もと〕は三論宗の人、竜樹菩薩の十住毘婆沙論〔びばしゃろん〕を見て】
もとは、三論宗の人でしたが、竜樹菩薩の十住毘婆娑論を見て。
【難行道・易行道を立てたり。道綽〔どうしゃく〕禅師という者あり。】
難行道、易行道を立てたのです。次に道綽禅師という者がおりました。
【唐の世の者、本は涅槃経をかう〔講〕じけるが、】
唐の時代の人で、もとは涅槃経を講義していましたが、
【曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て、】
曇鸞法師の浄土宗が正しいという書物を見て、
【涅槃経をすてゝ浄土にうつ〔移〕て聖道・浄土の二門を立てたり。】
涅槃経を捨てて浄土宗へ移り、聖道、浄土の二門を立てたのです。
【又道綽が弟子に善導という者あり、雑行・正行を立つ。】
また、道綽の弟子に善導という者がいて、雑行と正行を立てました。
【日本国に末法に入って二百余年、】
次に日本では、末法に入って二百余年の
【後鳥羽院〔ごとばいん〕の御宇に法然というものあり。】
後鳥羽院の時代に法然という者がいました。
【一切の道俗をすゝめて云はく、】
すべての道俗に勧めて云うのには、
【仏法は時機を本とす。】
「仏法は、時期とその時の衆生の理解力を基本とするのである。
【法華経・大日経・天台・真言等の八宗九宗、】
法華経、大日経、天台、真言などの八宗、九宗や
【一代の大小顕密権実等の経宗等は、】
釈尊一代の大小、顕密、権実などの諸宗派などは、
【上根上智の正像二千の機のためなり。】
理解力が大きく智慧がある正像二千年の衆生の為の教えであるので、
【末法に入っては、いかに功をなして行ずるとも】
末法に入っては、いかに熱心に修行を積んでも、
【其の益あるべからず。】
理解力も智慧もないので利益はないのである。
【其の上弥陀念仏にまじへて行ずるならば】
その上、これらを念仏にまじえて行じたならば、
【念仏も往生すべからず。】
念仏でも往生は出来ない。」と言っているのです。
【此〔これ〕わたくしに申すにはあらず。】
これは、私が勝手に言っているのではなく、
【竜樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、】
竜樹菩薩、曇鸞法師は、念仏以外を難行道と名づけ、
【道綽は未有一人得者ときらひ、】
道綽は「未だ一人も得道した者がいない」と嫌い、
【善導は千中無一となづけたり。】
善導は「法華経では千人に一人も得道する者はいない」と決めつけているのです。
【此等は他宗なれば】
これらは、念仏という他宗派の開祖達の言葉であるから
【御不審もあるべし。慧心〔えしん〕の先徳にすぎさせ給へる】
一概に正しいとも言えないのです。ところで比叡山の慧心僧都を超えるような、
【天台真言の智者は末代にをはすべきか。かれ往生要集にかゝれたり。】
天台、真言の智者は、この末法の時代にいるのでしょうか。その慧心の往生要集には
【顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず。】
「顕密の教法は、予が死生を離れるべき教法ではない」と言っているのです。
【又三論の永観〔ようかん〕が十因等をみよ。されば法華真言等をすてゝ】
また三論宗の永観の往生拾因等を見てみなさい。されば法華、真言等を捨てて、
【一向に念仏せば十即十生百即百生と】
一向に念仏を唱えるならば、十即十生・百即百生の功徳がある」と
【すゝめければ、叡山・東寺・園城・】
勧めたので、叡山、東寺、園城寺、
【七寺等始めは諍論〔じょうろん〕するやうなれども、】
奈良の七寺などでは、初めは、それに議論もあったのですが、
【往生要集の序の詞〔ことば〕、】
結局は、往生要集の序の言葉が
【道理かとみへければ、顕真〔けんしん〕座主〔ざす〕】
道理のように思えて、顕真座主が念仏の邪義に堕ちて、
【落ちさせ給ひて法然が弟子となる。】
法然の弟子となってしまったのです。
【其の上設ひ法然が弟子とならぬ人々も、】
そのうえ、たとえ法然の弟子とならない人々でさえも、
【弥陀念仏は他仏にに〔似〕るべくもなく】
阿弥陀仏に、他仏とは比べようもないほど、
【口ずさみとし、心よせにをも〔思〕ひければ、】
南無阿弥陀仏と口ずさみ心をよせたので、
【日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり。此の五十年が間、】
日本国は、みな一同に法然の弟子となったのです。こうして、この五十年の間、
【一天四海一人もなく法然が弟子となる。】
一天四海、一人も、もれなく法然の弟子となったのです。
【法然が弟子となりぬれば、】
法然の弟子になったと云う事は、
【日本国一人もなく謗法の者となりぬ。】
日本国は、一人ももれなく謗法の者となったという事なのです。
【譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば】
たとえば、千人の子が一諸に一人の親を殺してしまえば、
【千人共に五逆の者なり。一人阿鼻に堕ちなば】
千人とも五逆罪の者となります。そのうち一人が阿鼻地獄へ堕ちれば、
【余人堕ちざるべしや。】
他の人達は、堕ちなくても、よいと云う訳ではありません。
【結句は法然流罪をあだみて悪霊となって、我並びに弟子等をとがせし】
結局、法然は、流罪された事を怨んで、悪霊となって、法然や法然の弟子を罰した
【国主・山寺の僧等が身に入って、或は謀反〔むほん〕ををこし、】
国主や、比叡山や、三井寺の僧などの身に入って、謀反を起こし、
【或は悪事をなして、】
あるいは、悪事によって、朝廷や比叡山や三井寺は、
【皆関東にほろぼされぬ。】
すべて鎌倉幕府に滅ぼされてしまったのです。
【わづかにのこれる叡山東寺等の諸僧は、俗男俗女にあなづらるゝこと】
わずかに残った比叡山や東寺の僧達が、俗男俗女から、あなどられる姿は、
【猿猴〔えんこう〕の人にわらわれ、】
猿が人に笑われ、
【俘囚〔えびす〕が童子に蔑如〔べつじょ〕せらるゝがごとし。】
未開の国の人々が心ない子供から、ばかにされたりするようなものだったのです。