日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 37 日蓮が身にあたれり


【抑〔そもそも〕此の法華経の文に】
そもそも、この法華経勧持品第十三の文には

【「我身命を愛せず但無上道を惜〔お〕しむ」と。】
「われ身命を惜しまず、ただ無上道を惜しむ」とあり、

【涅槃経に云はく「譬へば王使〔おうし〕の】
涅槃経には「たとえば、王の使者が

【善能〔よく〕談論して方便に巧〔たく〕みなる、】
非常に交渉が上手く、弁舌がいかに巧みであっても、

【命〔めい〕を他国に奉〔う〕くるに寧〔むし〕ろ身命を喪〔うしな〕ふとも】
王の命令を受けて他国に行ったならば、むしろ身命を失うとしても、

【終〔つい〕に王の所説の言教を匿〔かく〕さゞるが如し。】
最終的には、王の言葉を隠さずに述べて王命を果たすように、

【智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず、】
この智者もまた同じであるのです。凡夫の中で身命を惜しまずに、

【要必〔かなら〕ず大乗方等如来の秘蔵】
必ず真実の大乗方等の教えである如来の秘密の蔵である。

【一切衆生皆仏性有りと宣説〔せんぜつ〕すべし」等云云。】
すべての衆生に仏性があるという法門を教えなさい」と説かれているのです。

【いかやうなる事のあるゆへに】
それでは、どのような理由があって、

【身命をすつるまでにてあるやらん。委細〔いさい〕にうけ給はり候はん。】
身命まで捨てなければ、ならないのでしょうか。詳しく承りたいものです。

【答へて云はく、予が初心の時の存念〔ぞんねん〕は、】
それに、答えて言うには、私が若い初心の時代の考えでは、

【伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣〔ちょくせん〕を給ひて漢土にわたりし事の】
伝教大師や弘法、慈覚、智証などが天皇の命令を受けて中国に渡った事が、

【我不愛〔がふあい〕身命〔しんみょう〕にあたれるか。】
我不愛身命にあたるのだろうかと思いました。

【玄奘三蔵の漢土より月氏〔がっし〕に入りしに】
また、唐の玄奘三蔵が中国からインドに行くのに、

【六生が間身命をほろぼしゝこ〔是〕れ等か。】
六度も身命を滅ぼす事なのかとも思いました。

【雪山童子の半偈〔はんげ〕のために身をなげ、】
さらには、雪山童子が半偈の仏説を聞く為に身体を鬼人に与えた事や、

【薬王菩薩の七万二千歳が間】
薬王菩薩が七万二千年の間、

【臂〔ひじ〕をや〔焼〕きし事かなんどをも〔思〕ひしほどに、】
臂を焼いて灯りとした事が我不愛身命になるのだろうかと思いました。

【経文のごときんば此等にはあらず。】
しかし、法華経や涅槃経などの経文が正しいのであれば、そうではないのです。

【経文に我不愛身命と申すは、】
それでは、我不愛身命と言うのは、

【上〔かみ〕に三類の敵人〔てきじん〕をあげて、】
法華経勧持品第十三の前の方に三類の強敵をあげて、

【彼等がの〔罵〕りせ〔責〕め、】
妙法を信ずる者を悪口罵詈して責め、

【刀杖に及んで身命をうばうともとみ〔見〕へたり。】
ついには刀や杖で身命まで奪うと説かれているのです。

【又涅槃経の文に寧喪〔にょうそう〕身命〔しんみょう〕等と】
また、涅槃経の文に、むしろ身命を失なおうとも、

【と〔説〕かれて候は、】
と説かれてあるのは、

【次下の経文に云はく「一闡提有り、羅漢〔らかん〕の像を作〔な〕し】
その以下の経文に「仏を信じない者がおり、仏教者の姿をして、

【空処〔くうしょ〕に住し、方等経典を誹謗す。】
閑静な山寺などに住み、大乗方等経典を誹謗する。

【諸の凡夫人〔ぼんぶにん〕見已〔お〕はって】
多くの凡夫は、その邪悪なる人を見て、

【皆真〔しん〕の阿羅漢、是〔これ〕大菩薩なりと謂〔い〕はん」等云云。】
真の仏法者であり、大菩薩であると言う」と説かれているのは、この意味なのです。

【彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云はく】
また、法華経の経文に、三類の敵人の中の第三僭聖増上慢の姿を説いて云うのに、

【或は阿蘭若〔あれんにゃ〕に納衣〔のうえ〕にして空閑〔くうげん〕に在て、】
粗末な衣を身につけ、閑静な場所にいて、

【乃至世に恭敬〔くぎょう〕せらるゝこと六通の羅漢の如き有らん」等云云。】
世の人々から六神通を得た仏法者のように敬われている」と説かれています。

【般泥洹〔はつないおん〕経に云はく】
また、般泥洹経には

【「羅漢に似たる一闡提有って而も悪業を行ず」等云云。】
「仏法者に似た一闡提がいて、悪業を行う」と説かれています。

【此等の経文は、正法の強敵と申すは悪王・悪臣よりも外道・魔王よりも】
これらの経文によれば、正法の強敵と言うのは、悪王や悪臣よりも外道や魔王よりも

【破戒の僧侶よりも、持戒〔じかい〕】
破戒の僧侶よりも、戒律を固く持ち

【有智〔うち〕の大僧の中に大謗法の人あるべし。】
智者と云われる高僧の中に大謗法の者がいると云う事なのです。

【されば妙楽大師か〔書〕ひて云はく】
そうであれば、妙楽大師は、法華文句記に

【「第三最も甚〔はなはだ〕し、】
「三類の敵人の中で第三が最も邪悪である。

【後々の者は】
第一類の無智な大衆よりも第二類の尼僧よりも第三類の方が

【転〔うたた〕識〔し〕り難きを以ての故なり」等云云。】
見破り難いからである」と言っています。

【法華経の第五の巻に云はく】
また、法華経の第五の巻の安楽行品第十四には

【「此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。】
「この法華経は、諸仏如来が秘密とする蔵である。

【諸経の中に於て最も其の上〔かみ〕に在り」等云云。】
あらゆる教典の中において、その最も上位にある」と説かれています。

【此の経文に最在其上の四字あり。】
この経文には「最在其上」すなわち、最もその上にありという四字があります。

【されば此の経文のごときんば、】
そうであれば、この経文が真実であるならば、

【法華経を一切経の頂〔いただき〕にありと申すが】
法華経がすべての教典の頂点にあるという人こそが、

【法華経の行者にてはあるべきか。】
真の法華経の行者と言うべきではないでしょうか。

【而るを又国に尊重〔そんじゅう〕せらるゝ人々あまたありて、】
しかし、国王に尊重されている人々が、あまた多く、

【法華経にまさりてをはする経々ましますと申す人に】
法華経よりも優れている経々があると云って、

【せ〔責〕めあ〔合〕ひ候はん時、かの人は王臣等御帰依〔ごきえ〕あり、】
法華経の行者たちと議論する時に、この者達には、王やその家臣の帰依があるが、

【法華経の行者は貧道〔ひんどう〕なるゆへに、】
法華経の行者は、貧しい為に、

【国こぞってこれをいやしみ候はん時、】
国中の人々が法華経の行者を卑しみ、

【不軽菩薩のごとく、賢愛〔けんあい〕論師がごとく】
不軽菩薩や賢愛論師のように、

【申しつを〔強〕らば身命に及ぶべし。】
強く言えば、必ず身命に及ぶのです。

【此が第一の大事なるべしとみへて候。】
これが第一の大事であると見るべきではないでしょうか。

【此の事は今の日蓮が身にあたれり。予が分斉〔ぶんざい〕として】
この事は、今の日蓮の身にあたるのです。 この日蓮の分斉として、

【弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを】
弘法大師や、慈覚大師や、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵などを

【法華経の強敵なり、】
法華経の強敵と言い、

【経文まことならば無間地獄は疑ひなし】
法華経の経文が真実ならば、真言師は、無間地獄に堕ちる事は、疑いない

【なんど申すは、】
などと言うのは、大変な事で、

【裸形〔あかはだか〕にして大火に入るはやすし、】
それは、あたかも、赤裸の身で大火に入る事は容易く、

【須弥山を手にとてなげんはやすし、】
須弥山を手に取って投げる事も、まだ容易いし、

【大石を負〔お〕ふて大海をわたらんはやすし、】
大石を背負って大海原を渡る事も容易い事であるが、

【日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。】
日本国で、この法門を立てる事は、非常に難しい事なのです。

【霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・】
霊山浄土の教主釈尊、宝浄世界の多宝仏、

【十方分身の諸仏・地涌〔じゆ〕千界〔せんがい〕の菩薩等、】
十方分身の諸仏、地涌千界の菩薩など、

【梵釈・日月・四天等、】
梵天、帝釈、日天、月天、四天王などが、

【冥〔みょう〕に加〔か〕し顕〔けん〕に助〔たす〕け給はずば、】
陰に陽に守護している事は明らかなのです。

【一時一日も安穏〔あんのん〕なるべしや。】
もし、その守護がない時には、一日一時として身命が安穏である時は、ないのです。


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