御書研鑚の集い 御書研鑽資料
撰時抄 25 弘法の僻見
【弘法大師は同じき延暦〔えんりゃく〕年中に御入唐、】
弘法大師は、伝教大師と同じく延暦年中に中国の唐へ入り、
【青竜寺の恵果〔けいか〕に値ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。】
青竜寺の慧果に会って真言宗を習いました。
【御帰朝の後一代の勝劣を判じ給ひけるには、】
日本へ帰った後、釈迦一代の優劣を判別して、
【第一真言・第二華厳・第三法華とか〔書〕ゝれて候。】
第一真言、第二華厳、第三法華としました。
【此の大師は世間の人々はもってのほかに重んずる人なり。】
この弘法大師を世間の人々は、異常なほどに重んじ尊敬しています。
【但し仏法の事は申すにをそ〔恐〕れあれども、】
しかし、仏法については、恐れながら、
【もってのほかにあら〔荒〕き事どもはんべり。】
まったくの見当違いが多いのです。
【此の事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、】
この事を少し考えてみると漢土へ渡っても、
【但真言の事相の印・真言計り習ひつたえて、】
ただ真言の形式ばかりを習い覚え、それを伝え、
【其の義理をば】
その意義や原理については、
【くはしくもさば〔捌〕くらせ給はざりけるほどに、】
くわしく理解したり学んだりは、していなかったのでしょう。
【日本にわたりて後、大いに世間を見れば】
日本へ帰り世間を見れば、
【天台宗もってのほかにかさ〔嵩〕みたりければ、】
天台宗が伝教大師によって大いに他に尊重されていました。
【我が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、】
これでは、自分が重んじた真言宗は、弘まらないので、
【本〔もと〕日本国にして習ひたりし華厳宗を】
それで、その昔、日本で習った事のある華厳宗を
【とりいだして法華経にまされるよしを申しけり。】
取り出して、法華経に勝ると言い出したのです。
【それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん。】
それも普通の華厳宗の理論では、人々が信じないと思い、
【すこしいろをかえて、此は大日経、】
少し色を変えて「これは大日経にも、
【竜猛〔りゅうみょう〕菩薩の菩提心論〔ぼだいしんろん〕、】
竜猛菩薩の菩提心論にもあり、
【善無畏等の実義なりと】
善無畏も言っているところの実義である」と
【大妄語をひきそへたりけれども、】
大妄語を付け足して全国に弘めたのですが、
【天台宗の人々】
天台宗の人々も、弘法の世間の評判を恐れてか、
【いたうとがめ申す事なし。問うて云はく、弘法大師の】
強くこれを咎〔とが〕める人は、いなかったのです。それでは、弘法大師の著述たる
【十住心論・秘蔵〔ひぞう〕宝鑰〔ほうやく〕・二教論に云はく】
十住心論、秘蔵宝鑰、二教論には、
【「此くの如き乗々自乗に名を得れども】
「各宗とも自宗に仏乗と名を付けているが、
【後に望めば戯論〔けろん〕と作す」と。】
より高い教えでは、それは戯論となるのである」、
【又云はく「無明の辺域〔へんいき〕にして】
また「大日如来に相対すれば、釈迦如来は、無明の辺域であって
【明の分位に非ず」と。】
明の域には達していない」、
【又云はく「第四熟蘇味〔じゅくそみ〕なり」と。】
また「五味に譬えると、法華は、第四の熟蘇味の位である」、
【又云はく「震旦〔しんだん〕の人師等諍〔あらそ〕って醍醐〔だいご〕を盗みて】
また「中国の仏教の指導者達は、先を争って第五の醍醐味を盗み取り、
【各〔おのおの〕自宗に名づく」等云云。】
おのおの自宗に取り入れた」としているが、
【此等の釈の心如何。】
これらの解釈については、どうでしょうか。
【答へて云はく、予此の釈にをどろひて】
それに答えると、自分もこの解釈に驚いて
【一切経並びに大日の三部経等をひらきみるに、】
一切経ならびに大日の三部経等を開いて確認してみると、
【華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論、】
華厳経と大日経に対しては、法華経が戯論であり、
【六波羅蜜〔ろくはらみつ〕経に対すれば盗人、】
また六波羅蜜経に対して天台宗が盗人であり、
【守護経に対すれば】
さらには、守護経に対して釈迦如来は、
【無明の辺域と申す経文は一字一句も候わず。】
無明の分際であるなどと云う文章は、どこにもないのです。
【此の事はいとはかなき事なれども、】
この事は、調べれば、他愛もない戯言〔ざれごと〕なのですが、
【此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用ひさせ給へば、】
この三、四百年の間、日本の多くの智者達がこれを用いてきたので、
【定んでゆへあるかとをも〔思〕ひぬべし。】
世間では、さぞかし理由のある事と思っているのでしょう。
【しばらくいとやす〔易〕きひが〔僻〕事をあげて】
それで、この戯言をあげ、
【余事のはかなき事をしらすべし。】
他の事も、まったく信ずるに足らない事を説明しましょう。
【法華経を醍醐味と称することは陳隋〔ちんずい〕の代なり。】
天台大師が法華経を醍醐味であるといったのは、陳、隋の時代からなのです。
【六波羅蜜経は唐の半〔なか〕ばに】
六波羅蜜経は、その後の唐の時代になってから、
【般若三蔵此〔これ〕をわたす。】
般若三蔵がこれを中国へ持って来たのです。
【六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ、】
六波羅蜜経の醍醐が陳、隋の代に渡って来ていれば、
【天台大師は真言の醍醐をば】
天台大師が真言の醍醐を
【盗ませ給わめ。】
盗んだと言えるのですが、実は、この時には、真言はなかったのです。
【傍例〔ぼうれい〕あり。】
ここに同じような例があります。
【日本の得一〔とくいち〕が云はく、天台大師は深密経の三時教をやぶる、】
日本の法相宗の僧、得一は「天台大師は、深密経の三時教を破折しているが、
【三寸の舌をもって】
これは三寸の舌で
【五尺の身をたつ〔断〕べしとのゝしりしを、】
五尺の身を断つようなものである」と言って天台大師を非難しましたが、
【伝教大師此をたゞして云はく、】
伝教大師は、これに対して
【深密〔じんみつ〕経は唐の始め、玄奘三蔵これをわたす。】
「深密経は、唐の初めに玄奘三蔵が持って来た経典である。
【天台は陳隋の人、】
しかるに天台大師は、その前代の陳、隋の人であるから、
【智者御入滅の後、数箇年あって深密経わたれり。】
大師の死後に伝えられた経を、
【死して已後にわたれる経をばいかでか破り給ふべきと】
どうして生前に破折する事が
【せめさせ給ひて候ひしかば、】
出来るのでしょうか」と責めたので、
【得一はつまるのみならず、舌八つにさけて死し候ひぬ。】
得一は、返答に詰まったのみか、舌が八つに裂けて死んでしまったのです。
【これは彼には】
弘法が盗人だと主張しているのは、
【にるべくもなき悪口なり。】
得一よりも、さらにひどい悪口ではないでしょうか。
【華厳の法蔵・三論の嘉祥〔かじょう〕・法相の玄奘・天台等乃至南北の諸師、】
華厳の法蔵、三論の嘉祥、法相の玄奘、天台大師、乃至南北の諸師、
【後漢より已下の三蔵人師を皆を〔押〕さえて盗人とか〔書〕ゝれて候なり。】
仏法が漢土へ渡って以来の三蔵法師を、すべて盗人と書いているのです。
【其の上、又法華経を醍醐と称することは】
そのうえ、また法華経を醍醐であるとしたのは、
【天台等の私の言にはあらず。仏涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給ひ、】
天台大師本人の言葉ではないのです。仏が涅槃経に法華経が醍醐であると説かれ、
【天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかゝれて候。】
天親菩薩は、法華経と涅槃経を醍醐であると書いています。
【竜樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給ふ。】
また竜樹菩薩は、法華経を妙薬であると名付けられています。
【されば法華経等を醍醐と申す人】
そうであれば、法華経などを醍醐であると言う人が
【盗人ならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、】
盗人ならば、釈迦、多宝、十方の諸仏、
【竜樹・天親等は盗人にてをはすべきか。】
竜樹、天親などは盗人なのでしょうか。
【弘法の門人〔もんじん〕等乃至日本の東寺の真言師は如何。】
弘法の弟子達や日本の東寺の真言師達は、どうなのでしょうか。
【自眼〔じげん〕の黒白はつたなくして弁へずとも、】
自分の眼で見た黒白は、いかにも怪しく、どちらかを見分けられなくても、
【他の鏡をもって自禍〔じか〕をし〔知〕れ。】
他の鏡によって自分の過ちを知る事が出来るのです。
【此の外法華経を戯論〔けろん〕の法とか〔書〕ゝるゝこと、】
この他、法華経を戯論の法と書かれているならば、
【大日経・金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ。】
大日経、金剛頂経などの経文の中から確かな証拠を出すべきです。
【設ひ彼々の経々に法華経を戯論ととかれたりとも、】
たとえ、それらの経々に法華経を戯論と書いてあっても、
【訳者の誤〔あやま〕る事もあるぞかし。】
翻訳者の誤りという事もあるのです。
【よくよく思慮〔しりょ〕のあるべかりけるか。】
よくよく考えてから、判断しなければならないのです。
【孔子は九思〔し〕一言〔げん〕、】
孔子は、九度、考えてから言葉を発し、
【周公旦〔しゅうこうたん〕は沐〔ゆあみ〕には三〔みたび〕にぎり、】
周公旦は、来客があると三度も洗っている髪を握り、
【食には三はかれけり。】
三度も食事を吐いて出迎えたと云われています。
【外書のはかなき世間の浅き事を】
外道の書で、はかなき世間の浅い事を
【習ふ人すら智人はかう候ぞかし。】
習う人すら、智者は、このように慎重を期しているのです。
【いかにかゝるあさましき事は】
それにも関わらす、真言宗によって仏法の中で、
【ありけるやらん。】
このような下劣な事が行われてしまっているのです。