日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


撰時抄 18 羅什三蔵は舌焼けず


【問うて云はく、唐の末に不空三蔵】
それでは、唐の末に不空三蔵が、

【一巻の論をわたす。其の名を菩提心論となづく。】
菩提心論という一巻の書をインドから中国に伝えて、

【竜猛〔りゅうみょう〕菩薩の造なり云云。】
これは、竜猛菩薩が作ったものだと言いました。

【弘法大師云はく「此の論は竜猛千部の中の】
それを受けて弘法大師は「この論文は、竜猛が作った千部の論文の中で

【第一肝心の論」云云。】
第一の肝心の論文だ」と言っていますが、どうでしょうか。

【答へて云はく、此の論一部七丁あり。】
それに答えると、この論は一部七丁あって

【竜猛の言ならぬ事処々に多し。】
竜猛の言葉では、ないような内容が多いのです。

【故に目録にも或は竜猛或は不空と両方なり。】
それゆえに経文の目録にも、あるいは竜猛の作、あるいは不空の作だと書いてあり、

【いまだ事定まらず。】
未だ定まっていないのです。

【其の上此の論の文は一代を括〔くく〕れる論にもあらず。】
そのうえ、この論文は、釈尊一代を総括したものではなく、

【荒量〔こうりょう〕なる事此〔これ〕多し。】
粗雑な事が多いのです。

【先づ唯真言法中の】
まず、菩提心論の中の「ただ真言の法の中にのみ即身成仏」と言う

【肝心の文あやまりなり。】
肝心な部分が誤りなのです。

【其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきになして、】
そのゆえは、文証も現証もある法華経の即身成仏を否定して、

【文証も現証もあとかたもなき真言の経に即身成仏を立て候。】
文証も現証も何もない真言の経文に即身成仏を立てているのです。

【又唯という唯の一字は第一のあやまりなり。】
また「唯真言法中」と云う文字の中で「唯」の字が第一の誤りであるのです。

【事〔こと〕のてい〔体〕を見るに不空三蔵の私につくりて候を、】
このような状態を見てみると不空三蔵が中国で真言宗を弘めるにあたり、

【時の人にをも〔重〕くせさせんがために事を】
その時代の人々に重大な事に見せかける為に

【竜猛によせたるか。】
竜猛と話を合わせたのではないでしょうか。

【其の上不空三蔵は誤る事かずをほ〔多〕し。】
そのうえ不空三蔵には、誤りが数多くあるのです。

【所謂法華経の観智〔かんち〕の儀軌〔ぎぎ〕に、】
不空が著した「法華儀軌一巻」に

【寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見。】
寿量品の仏は、阿弥陀仏だと書いているのは、目に見える大僻見ではないですか。

【陀羅尼品〔だらにほん〕を神力品の次にをける、】
さらに、陀羅尼品第二十六を神力品第二十一の次に置いたり、

【嘱累品を経末に下せる、此等はいうかひなし。】
属累品第二十二を経の末に置いたりするような間違いは、言葉を失うほどなのです。

【さるかと見れば、天台の大乗戒を盗んで】
そうかと思えば天台の大乗戒を盗んで、

【代宗〔だいそう〕皇帝に宣旨〔せんじ〕を申し五台山の五寺に立てたり。】
唐の代宗皇帝の命令によって、五台山の五寺を建てたりしています。

【而も又真言の教相には天台宗をすべしといえり。】
しかも真言宗を立てるにあたり、教相判釈には天台宗の教判を利用しているのです。

【かたがた誑惑〔おうわく〕の事どもなり。】
とにかく、あれこれと世間を騙〔だま〕す事が横行しているのです。

【他人の訳ならば用ふる事もありなん。】
他の人が翻訳したものならば、用いる事もありますが、

【此の人の訳せる経論は信ぜられず。】
不空の翻訳した経論は、とても信じられないのです。

【総じて月支より漢土に経論をわたす人、】
総じてインドから中国に経論を伝え翻訳した人は、

【旧訳〔くやく〕新訳に一百八十六人なり。】
旧訳と新訳、合わせて百八十六人いますが、

【羅什〔らじゅう〕三蔵一人を除いてはいづれの人々も誤らざるはなし。】
羅什三蔵一人を除いては、いずれも間違っていない者は、皆無なのです。

【其の中に不空三蔵は殊に誤り多き上、】
その中でも不空三蔵は、ことに誤りの多いうえに

【誑惑の心顕〔あらわ〕なり。】
人を騙〔だま〕し惑わそうとする心が顕著なのです。

【疑って云はく、何をもって知るぞや、】
しかしながら、何をもってそう言い切る事が出来るのでしょうか、

【羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。】
羅什三蔵以外の人々が誤りだと言って、

【汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、】
あなたが禅宗、念仏、真言などの七宗だけではなく、

【漢土日本にわたる一切の訳者を】
中国や日本に渡る、すべての翻訳者を

【用ひざるかいかん。】
用いないなどと云うのは、おかしな事ではないでしょうか。

【答へて云はく、此の事は余が第一の秘事〔ひじ〕なり。】
それは、この事は、私の第一の秘密なので

【委細には向かって問ふべし。】
詳細については、会って話しをするべきなのですが、

【但しすこし申すべし。】
ただし、今、少し、ここで述べてみましょう。

【羅什三蔵の云はく、我漢土の一切経を見るに】
羅什三蔵が言うには「自分が中国のすべての経文を見ると、

【皆梵語〔ぼんご〕のごとくならず。】
すべて原本の梵語の意味とは違っている。

【いかでか此の事を顕はすべき。】
どのようにして、この事を世間の人に示す事が出来るだろうか。

【但し一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯〔たい〕すべし。】
ただ、私には、ひとつの大願がある。妻帯しているので身体は不浄ではあるが、

【舌計り清浄になして】
その舌だけは、清浄である。

【仏法に妄語せじ。】
それは、仏法において間違った事は、絶対に言っていないからである。

【我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼くるならば】
そこで、自分が死んだら、必ずその身を火葬せよ。その時に舌がもし焼けたならば、

【我が経をすてよと、常に高座〔こうざ〕にしてと〔説〕かせ給ひしなり。】
自分の翻訳した経をすべて捨てよ」と、常に講義で説法したのです。

【上一人より下万民にいたるまで願して云はく、】
当時の人は、これを聞いて、上一人より下万民にいたるまでが、

【願はくは羅什三蔵より】
「願わくは、羅什三蔵よりも

【後に死せんと。】
後に死んで舌が焼けないのを見たいものだ」と言っていたのですが、

【終に死し給ひて後、焼きたてまつりしかば、】
その羅什が遂に死んだ時、言われた通りに死体を焼きはらったのですが、

【不浄の身は皆灰となりぬ。】
不浄の身は、すべて焼けて灰となり、

【御舌計り火中に青蓮華〔しょうれんげ〕生〔お〕ひて其の上にあり。】
火の中で、舌だけが生えている青蓮華の上に残ったのです。

【五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、】
それは、五色の光を放って、夜は、昼のように輝き、

【昼は日輪の御光をうばい給ひき。】
昼は、太陽の光を奪うほどであったと言います。

【さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、】
これによって、他の人々が翻訳した経々は、軽んぜられ、

【羅什三蔵の訳し給へる経々、】
羅什三蔵の翻訳した経々が重んぜられ、

【殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候ひしか。】
とくに重要な羅什訳の法華経が、これによって当時の中国に広まったのです。

【疑って云はく、羅什已前はしかるべし。】
しかしながら、それは、羅什三蔵以前の羅什が翻訳したもの以外のことであり、

【已後の善無畏・不空等は如何。】
羅什以後の善無畏や不空などに誤りがあるとは、言い切れないのです。

【答へて云はく、已後なりとも】
それに答えるならば、羅什以後だからといっても

【訳者の舌の焼くるをば誤りありけりとしるべし。】
翻訳した人の舌が焼けるのを見て誤りがあると知らなければならないのです。

【されば日本国に法相宗のはやりたりしを】
そうであれば平安朝の初めごろ、日本に法相宗が流行していたけれども、

【伝教大師責めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、】
伝教大師はこれを責めて、羅什三蔵は、舌が焼けず、

【玄奘〔げんじょう〕・慈恩〔じおん〕は】
法相宗を弘めた玄奘や慈恩は、

【舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、】
舌が焼けたのであるから言う事に誤りがあると責められたので

【桓武天王は道理とをぼして】
桓武天皇は、これを聞いて伝教大師の言う事が道理であると思い、

【天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。】
法相宗を捨てて天台法華宗へ改宗されたのです。

【涅槃経の第三・第九等をみ〔見〕まいらすれば、】
涅槃経の第三、第九などを見れば、

【我が仏法は月支より他国へわたらんの時、】
釈尊の仏法は、インドから他国へ渡る時に、

【多くの謬誤〔みょうご〕出来して衆生の得道うす〔薄〕かるべしととかれて候。】
多くの翻訳の間違いが起き、衆生の求道心も薄くなるであろうと説かれています。

【されば妙楽大師は「並びに進退は人に在り】
そうであるから、妙楽大師は、「正しいか正しくないかは、人によって決まり、

【何ぞ聖旨に関〔かか〕はらん」とこそあそばされて候へ。】
仏の尊さとは、関係がない」と言われているのです。

【今の人々いかに経のまゝに後世をねがうとも、】
今の世の人々がいかに経文の内容どおりの後の世を願ったとしても、

【あやまれる経々のまゝに】
間違った経文を信じて、経文通りの

【ねがわば得道もあるべからず。】
成仏を願ったところで、得道が出来るわけがありません。

【しかればとても】
それで得道が出来ないからといって、

【仏の御とがにはあらじとかゝれて候。】
それは、仏の過ちではないと書かれているのです。

【仏教を習ふ法には大小・権実・顕密はさてを〔置〕く、】
仏教を習うには、大小、権実、顕密などの立て分けは、もちろん重要な事ですが、

【これこそ】
肝心の経典が翻訳者によって間違いがあるという点こそ、

【第一の大事にては候らめ。】
一番の問題ではないでしょうか。


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