日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


当体義抄 2 妙法蓮華の当体


第一章 妙法蓮華の当体


【当体義抄 文永一〇年 五二歳】
当体義抄 文永10年 52歳御作

【問ふ、妙法蓮華経とは其の体〔たい〕何物〔なにもの〕ぞや。】
妙法蓮華経とは、その実体は、どのようなものを言うのでしょうか。

【答ふ、十界の依正〔えしょう〕即ち妙法蓮華の当体〔とうたい〕なり。】
それは、十界の依報と正報とが、そのまま妙法蓮華の当体なのです。

【問ふ、若し爾〔しか〕らば】
もし、そうであるならば、

【我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云はるべきか。】
我々のような、すべての衆生も妙法の全体であると云えるのでしょうか。

【答ふ、勿論なり。経に云はく「所謂〔しょい〕諸法〔しょほう〕】
もちろん、そうです。その証拠の文章としては、法華経方便品第二に「所謂諸法、

【乃至本末究竟等〔ほんまっくきょうとう〕」云云。】
ないし本末究竟して等しい」とあるとおりです。

【妙楽〔みょうらく〕大師云はく「実相は必ず諸法、】
この文章を妙楽大師は、金錍〔こんぺい〕論で「実相とは、すなわち諸法である。

【諸法は必ず十如、】
諸法は、必ず如是相、如是性、如是体などの十如である。

【十如は必ず十界、】
この十如は、必ず地獄、餓鬼、畜生、修羅、人天、二乗、菩薩、仏の十界であり、

【十界は必ず身土〔しんど〕」云云。】
十界は、必ず、五陰世間、衆生世間の身と国土世間の土である」と述べています。

【天台云はく「十如・十界・三千の諸法は】
天台大師は、法華玄義に「十如、十界、三千の諸法は、

【今経〔こんぎょう〕の正体なるのみ」云云。】
法華経に説かれたところの正体なのである」と説いています。

【南岳〔なんがく〕大師云はく】
南岳大師は、安楽行義において、

【「云何〔いか〕なるを名づけて妙法蓮華経と為すや。】
「いったい、いかなるものを妙法蓮華経と言うのであるか。

【答ふ、妙とは衆生妙なるが故に、】
それは、妙とは、衆生の生命の本質が妙であるが故に妙と言い、

【法とは即ち是〔これ〕衆生法なるが故に」云云。】
法とは、衆生の存在そのものが法であるが故に、衆生が妙法の当体である」と述べ、

【又天台釈して云はく】
さらに、これを天台が法華玄義で

【「衆生法妙」云云。】
「衆生は、法にして、しかも、その本質は妙である」と説明しているのです。

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