日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


当体義抄 12 迹化未弘の所以


第十一章 迹化未弘の所以


【問ふ、南岳・天台・伝教等の大師、】
それなのに南岳大師も天台大師も伝教大師も、

【法華経の一乗円宗の教法に依って弘通し給ふと雖も、】
共に法華経によって一仏乗の円教の法理を弘められたけれども、

【未だ南無妙法蓮華経と唱へたまはず、】
未だ南無妙法蓮華経とは、唱えられていないのです。

【如何。若し爾〔しか〕らば、】
それは、どう言うわけでしょうか。また、もし、そうであるならば、

【此の大師等は未だ当体蓮華を知らず、】
これらの大師は、まだ真実の当体蓮華を知らず、

【又証得したまはずと云ふべけんや。】
また、悟ることも、できなかったと言うべきではないでしょうか。

【答ふ、南岳大師は観音の化身〔けしん〕、】
それに答えるとするならば、南岳大師は、観音菩薩の化身であり、

【天台大師は薬王の化身なり云云。】
天台大師は、薬王菩薩の化身であると言われています。

【若し爾らば霊山に於て】
もし、そうであれば、霊山において、

【本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も、】
本門の寿量品の説法を聞いた時は、これらを理解したけれども、

【在生の時は妙法流布の時に非ず。】
出現した像法時代が妙法流布の時ではなかったからなのです。

【故に妙法の名字を替へて止観と号し、】
それ故に妙法と云う名前をかえて「摩訶止観」と名づけて、

【一念三千・一心三観を修し給ひしなり。】
一念三千、一心三観の法門として修行したのです。

【但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事をば、】
ただし、これらの三大師なども、南無妙法蓮華経と唱えることを、

【自行真実の内証と思〔おぼ〕し食〔め〕されしなり。】
自行の真実の内証とされたのです。

【南岳大師の法華懺法〔せんぽう〕に云はく「南無妙法蓮華経」文。】
南岳大師は、法華懺法に「南無妙法蓮華経」と言い、

【天台大師云はく「南無平等〔びょうどう〕大慧〔だいえ〕一乗妙法蓮華経」文。】
また天台大師は「南無平等大慧、一乗妙法蓮華経」、

【又云はく「稽首〔けいしゅ〕妙法蓮華経」云云。】
また「稽首妙法蓮華経」、

【又「帰命〔きみょう〕妙法蓮華経」云云。】
また「帰命妙法蓮華経」と言われています。

【伝教大師の最後臨終〔りんじゅう〕の十生願〔しょうがん〕の記に云はく】
伝教大師の臨終の十生願の記にも「南無妙法蓮華経」と記され、

【「南無妙法蓮華経」云云。】
皆、自行として「南無妙法蓮華経」と唱えられたことがわかるのです。

【問ふ、文証分明なり。】
なるほど、その文証は、明らかですが、

【何ぞ是くの如く弘通したまはざるや。】
何故、内証の悟りをそのまま弘通されなかったのでしょうか。

【答ふ、此に於て二意有り。】
それには、二つの理由があります。

【一には時至らざるが故に、】
一つには、時代が文底の大法が弘通される末法では、なかったからなのです。

【二には付嘱に非ざるが故なり。】
二つには、迹化の菩薩であって、文底の大法を付嘱されていなかったからなのです。

【凡そ妙法の五字は末法流布〔るふ〕の大白法〔だいびゃくほう〕なり。】
およそ、妙法の五字(御本尊)は、末法に流布すべき大白法であって、

【地涌〔じゆ〕千界〔せんがい〕の大士の付嘱なり。】
本化、地涌、千界の上首たる上行菩薩に付嘱されているのです。

【是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑〔かんが〕みて】
それ故、南岳、天台、伝教などは、心の中では、十分知っていたのですが、

【末法の導師に之を譲って弘通し給はざりしなり。】
末法の導師、日蓮に譲〔ゆず〕られて、弘通されなかったのです。

【日蓮花押】
日蓮花押

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