日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


当体義抄 5 当体蓮華と譬喩蓮華


第四章 当体蓮華と譬喩蓮華

【問ふ、天台大師、妙法蓮華の当体・譬喩〔ひゆ〕の】
天台大師は、法華玄義において妙法蓮華を当体蓮華と譬喩蓮華の

【二義を釈し給へり。】
二つの立義で説き明かしています。

【爾れば其の当体・譬喩の蓮華の様は如何。】
それでは、その当体蓮華と譬喩蓮華とは、一体、どのようなものなのでしょうか。

【答ふ、譬喩の蓮華とは施開廃〔せかいはい〕の三釈、】
それについては、譬喩の蓮華とは、為実施権、開権顕実、廃権立実の三つの解釈に

【委〔くわ〕しく之を見るべし。】
詳しくあるから、これを参考にしてください。

【当体蓮華の釈は、玄義〔げんぎ〕の第七に云はく】
当体蓮華の解釈については、法華玄義巻七に

【「蓮華は譬へに非ず、当体に名を得〔う〕。】
「蓮華は、譬えではない。当体そのものの名前である。

【類せば劫初〔こっしょ〕には万物に名無し、】
それは、たとえば時代の初めには、万物に名前がなかったけれども、

【聖人理を観じて】
聖人が道理に則〔のっと〕って、

【準則〔じゅんそく〕して名を作〔つく〕るが如し」文。】
その理にふさわしい名前をつけていったようなものなのである」と述べています。

【又云はく「今〔いま〕蓮華の称は是〔これ〕喩へを仮〔か〕るに非ず、】
また法華玄義巻七に「今、蓮華と言う呼び名は、何かを喩えて言ったものではない。

【乃ち是法華の法門なり。】
法華経の法門を、そのまま指しているのである。

【法華の法門は清浄にして因果微妙〔みみょう〕なれば、】
法華の法門は、清浄そのものであり、因果が奥深く優れているので、

【此の法門を名づけて蓮華と為す。】
そのまま、この蓮華こそが法華の法門を名づけて蓮華としたのである。

【即ち是法華三昧の当体の名にして】
つまり、法華三昧と言う純粋無垢な法華の当体そのものの名前であり、

【譬喩に非ざるなり」と。】
決して譬喩ではないのである」と述べられています。

【又云はく「問ふ、蓮華は定めて】
また「蓮華と云う言葉の意味は、

【是法華三昧の蓮華なりや、定めて是華草〔けそう〕の蓮華なりや。】
これは、法華三昧の蓮華であろうか、それとも草花の蓮華のことであろうか。

【答ふ、定めて是法の蓮華なり。】
それは、明らかに法華経の当体蓮華のことである。

【法の蓮華は解し難し、故に草花を喩へと為す。】
だが、法蓮華と言っても理解しがたいので、草花を譬えとしているのである。

【利根は名に即して理を解すれば】
非常に賢い者は、蓮華の名前を聞いて直ちに妙法を理解し、

【譬喩を仮らず、但法華の解を作〔な〕す。】
譬喩は、必ずしも必要とせずに、そのまま、その名前で法華経を悟ることができる。

【中・下は未だ悟らず、】
しかし、普通の者や、理解力がない者は、それだけでは悟れず、

【譬へを須〔もち〕ひて乃〔すなわ〕ち知る。】
譬えを用いて、はじめて、それを知ることができるのである。

【易解〔いげ〕の蓮華を以て難解の蓮華を喩ふ。】
そこで草花の蓮華をもちいて、難解な当体蓮華の譬えとしたのである。

【故に三周の説法有って】
それ故、迹門において、釈尊は、三周の説法において妙法の実相を説くとき、

【上・中・下根に逗〔かな〕ふ。】
人々の理解力の差によって、それぞれの説法を行なったのであり、

【上根に約すれば是法の名なり、】
そこで、この妙法蓮華は、理解力が優れている者にとっては、当体蓮華であり、

【中・下に約すれば是譬への名なり。】
理解力が劣っている者にとっては、譬喩蓮華なのである。

【三根合論し双〔なら〕べて法譬〔ほっぴ〕を標す。】
このように三根合論し、ならべて法説と譬説をあらわしたのである。

【此くの如く解する者は】
このように理解すれば、

【誰と諍〔あらそ〕ふことを為さんや」云云。】
この問題でどうして論争する必要があろうか」と述べています。

【此の釈の意は、至理は名無し、】
この解釈の意味は、妙法の極理には、もともと名前は、なかったが、

【聖人理を観じて万物に名を付くる時、】
聖人がその理を観じて万物に名をつけるときに、

【因果倶時〔ぐじ〕・不思議の一法之〔これ〕有り。】
因果俱時の不思議な一法があり、

【之を名づけて妙法蓮華と為す。】
これを名づけて妙法蓮華と称したのです。

【此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減〔けつげん〕無し。】
この妙法蓮華の一法に十界三千の一切法を具足して一法も欠けるところがなく、

【之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。】
よって、この妙法蓮華を修行する者は、仏になる因行と果徳とを同時に得るのです。

【聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、】
聖人は、この法を師として修行し、覚道したことによって、

【妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。】
妙因、妙果を同時に感じ会得した故に妙覚果満の如来となられたのです。

【故に伝教大師云はく「一心の妙法蓮華とは】
それゆえに伝教大師は、守護国界章の中巻に「一心の妙法蓮華とは、

【因華〔いんげ〕果台〔かだい〕倶時に増長する当体の蓮華なり。】
因華、果台が同時に現れる当体の蓮華である。

【三周に各々当体譬喩有り。】
仏の三周の説法に、おのおの当体蓮華、譬喩蓮華があり、

【総じては一経に皆〔みな〕当体譬喩あり。】
また、総じて法華経一経を通じて、すべてに当体蓮華、譬喩蓮華がある。

【別しては七譬・三平等・十無上の法門、】
その中でも別しては、七譬、三平等、十無上の法門があって

【皆当体の蓮華有るなり。】
すべてに当体蓮華があるのである。

【此の理教を詮ずるを名づけて妙法蓮華経と為す」云云。】
この当体蓮華の理の教えを、名づけて妙法蓮華経というのである」と述べています。

【妙楽大師の云はく】
また、妙楽大師は、法華玄義釈籤〔しゃくせん〕の巻一に

【「須く七譬を以て各〔おのおの〕蓮華、】
「すべからく七譬を解釈するときには、蓮華が

【権実の義に対すべし、】
権実の義を顕わしていることを理解しなければならない。

【乃至何〔いか〕んとなれば蓮華は只是為実〔いじつ〕施権〔せごん〕・】
なぜならば、蓮華は、ただこれ実の為に権を施し、

【開権〔かいごん〕顕実〔けんじつ〕、】
次に、その権を開いて実を顕わすことを譬えたものであり、

【七譬皆〔みな〕然〔しか〕なり」文。】
七譬も、ことごとく同様であるからである」と説いています。

【又劫初に華草有り、聖人理〔り〕を見て号して蓮華と名づく。】
また時代の初めに、草花があり、聖人はその理を観察して蓮華と名づけました。

【此の華草、】
この草花は、花と云う因と実である果が一時にそなわっているところが、

【因果倶時なること妙法の蓮華に似たり。故に此の華草を蓮華と名づく。】
因果俱時の妙法蓮華に似ている故に、この草花を同じく蓮華と名づけたのです。

【水中に生ずる赤〔しゃく〕蓮華・白〔びゃく〕蓮華等の蓮華是なり。】
水中に生ずる赤蓮華、白蓮華などの蓮華がこれなのです。

【譬喩の蓮華とは此の華草の蓮華なり。】
譬喩の蓮華とは、この草花の蓮華を指しているのです。

【此の華草を以て難解の妙法蓮華を顕はす。】
この草花の蓮華によって難解な妙法蓮華を顕しているのです。

【天台大師云はく「妙法は解し難し、】
天台大師が法華玄義の巻一に「妙法は、理解するのが困難だが、

【「譬へを仮るに彰〔あら〕はし易し」と釈するは是の意なり。】
譬えを仮りれば理解しやすい」と説明したのは、この意味なのです。

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