日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


頼基陳状 03 第02章 桑ヶ谷問答(1)諸宗の誤りを糺す

【ここに竜象房説法の中に申して云はく、此の見聞満座の御中に、】
ここで竜象房は、説法の中で、この見聞満座の人々の中で、

【御不審の法門あらば仰せらるべしと申されし処に、】
私の法門に御不審のある人は、尋ねられるがよいと言われたのです、

【日蓮房の弟子三位公問うて云はく、】
日蓮房の弟子、三位公が質問したのは、

【生を受けしより死をまぬか〔免〕るまじきことは〔理〕り、】
生を受けたときより死をまぬがれられないと言う道理は、

【始めてをどろくべきに候はねども、】
いまさら、驚くべきことではありませんが、

【ことさら当時日本国の災□〔さいげつ〕に死亡する者数を知らず、】
とりわけ、当時、日本の災難で死亡する者は、数えきれないほどです。

【眼前の無常、人毎に思ひしらずと云ふ事なし。】
眼前の惨状を見て、無常を観じない者は、誰一人もいません。

【然る所に京都より上人御下りあて、】
そうしているところに、京都から上人が来られ、

【人々の不審をはらし給ふよし承って参り候ひつれども、】
人々の不審を晴らされると言われていると伺〔うかが〕って来ましたが、

【御説法の最中〔もなか〕、骨〔こち〕無〔な〕くも候ひなばと存じ候ひし処に、】
御説法の最中では、無作法にあたってはと思っていましたところ、

【問ふべき事有らむ人は各々憚〔はばか〕らず問ひ給へと候ひし間悦び入りて候。】
疑問のある人は、誰にも遠慮せずに尋ねなさいとのことで悦んでおります。

【先づ不審に候事は、末法に生を受けて】
先ず不審に思うことは、末法の世に生まれ、

【辺土のいやしき身に候へども、】
釈迦牟尼仏が出現したインドから、遠く離れた辺土の卑しい身分でありますが、

【中国の仏法幸ひに此の国にわたれり。】
幸いにも中国の仏法がこの日本に渡って来て、それを知る事が出来ました。

【是非信受すべきの処に、経は五千七千数多なり、】
是か非でも信受したいと思うのですが、経文が、五千、七千と数多くあります。

【然而〔しかも〕一仏の説なれば所詮は一経にてこそ候らむに、】
しかも釈迦牟尼仏一人の説ですから、結局は、一経であるはずなのに、

【華厳・真言乃至八宗、淨土・禅とて十宗まで分かれてをはします。】
華厳、真言など八宗、浄土、禅と仏教は、十宗派にまで分かれています。

【此等の宗々も、門はことなりとも所詮は】
これらの諸宗も、宗門は異なっているとはいえ、

【一かと推する処に、弘法大師〔だいし〕は我が朝の真言の元祖、】
究極は、一つであろうと思っていたところ、弘法大師は、我が国の真言宗の元祖で、

【法華経は華厳経・大日経に相対すれば門の異なるのみならず、】
法華経は、華厳経、大日経に相対すると、門が異なるばかりでなく、

【其の理は戯論〔けろん〕の法、無明〔むみょう〕の辺域なり。】
その理は、戯論の法で無明の分際であると言い、

【又法華宗の天台大師等は諍って醍醐〔だいご〕を盗む等云云。】
また、法華宗の天台大師などは、六波羅蜜経の醍醐を盗んだなどと言っております。

【法相宗の元祖慈恩〔じおん〕大師云はく、】
法相宗の元祖、慈恩大師は、

【法華経は方便、深密〔じんみつ〕経は真実、】
法華経は、方便であり、深密経は、真実である。

【無性〔むしょう〕有情〔うじょう〕永〔よう〕不成仏〔ふじょうぶつ〕云云。】
そして、無性有情の二乗は、永く成仏できないと説いております。

【華厳宗の澄観〔ちょうかん〕云はく、華厳経は本教、法華経は末教。】
また華厳宗の澄観は、華厳経が根本の教であり、法華経は、枝末の教であると言い、

【或は華厳は頓々、】
あるいは、華厳経は、速かに仏果を得る頓々の教であるが、

【法華は漸頓等云云。】
法華経は、次第に仏果を得る漸頓の教であるなどと言っております。

【三論宗の嘉祥〔かじょう〕大師云はく、諸大乗経の中には般若経最第一云云。】
また三論宗の嘉祥大師は、諸の大乗経の中で般若教が第一であると言い、

【浄土宗の善導〔ぜんどう〕和尚云はく、念仏は十即十生百即百生、】
浄土宗の善導和尚は、念仏を修行する者は、十人が十人、百人が百人往生するが、

【法華経等は千中無一云云。法然〔ほうねん〕上人云はく、】
法華経では、千人に一人も成仏しないと言っております。さらに法然上人は、

【法華経を念仏に対して捨閉閣抛〔しゃへいかくほう〕、】
法華経を念仏に対して、捨てよ、閉じよ、閣〔さしお〕け、抛〔なげう〕てと言い、

【或は行者は群賊等云云。】
あるいは、法華経の行者は、群賊〔ぐんぞく〕であると言っております。

【禅宗の云はく、教外〔きょうげ〕別伝〔べつでん〕】
禅宗では、仏法の神髄は、一切経の外の別伝であり、

【不立〔ふりゅう〕文字〔もんじ〕と云云。】
文字に依らないと言っております。

【教主釈尊は法華経をば、世尊の法は久しくして後に要〔かなら〕ず】
しかし、教主釈尊は、法華経について、世尊は、法を久しく説いて後に、

【当〔まさ〕に真実を説きたまふべし、】
必ず真実の教えを説くのであると言われ、

【多宝仏は妙法華経は皆是真実なり、】
多宝仏は、妙法蓮華経は、皆、是、真実であると証明を加え、

【十方分身〔ふんじん〕の諸仏は舌相梵天に至るとこそ見えて候に、】
十方分身の諸仏も真実証明のため、広長舌を梵天まで至らしめたと説かれています。

【弘法大師は法華経をば戯論〔けろん〕の法と書かれたり。】
しかし、弘法大師は、法華経を戯論の法と書いております。

【釈尊・多宝・十方の諸仏は皆是真実と説かれて候。】
釈尊、多宝、十方の諸仏は、法華経は、皆、是れ真実と説いていますが、

【いづれをか信じ候べき。】
いずれを信ずべきでしょうか。

【善導和尚・法然上人は法華経をば千中無一・】
また、善導和尚と法然上人は、法華経を千人に一人も成仏しない、

【捨閉閣抛、】
捨てよ、閉じよ、閣〔さしお〕け、抛〔なげう〕てと述べています。

【釈尊・多宝・十方分身の諸仏は、】
これに対して釈尊、多宝、十方分身の諸仏は、

【一として成仏せずといふこと無し皆仏道を成ずと云云。】
法華経は、一人として成仏しないという事はない。皆、仏道を成ずと言っています。

【三仏と導和尚・然上人とは】
釈尊、多宝、十方分身の諸仏の三仏と善導和尚、法然上人とは、

【水火なり雲泥なり。何れをか信じ候べき、何れをか捨て候べき。】
水火、雲泥の相違であり、いずれを信じ、いずれを捨てるべきなのでしょうか。

【就中〔なかんずく〕彼の導・然両人が仰ぐ所の】
善導和尚、法然上人が尊ぶ

【双観経〔そうかんぎょう〕の法蔵比丘〔びく〕の四十八願の中に、】
双観経の法蔵比丘の四十八願の中の十八願には、

【第十八願に云はく「設〔たと〕ひ我れ仏を得るとも】
「たとえ我れ仏を得るとも、

【唯五逆と誹謗〔ひぼう〕正法とを除く」云云。】
唯五逆罪を犯したものと正法を誹謗した者は除く」とあり、

【たとひ弥陀の本願実にして往生〔おうじょう〕すべくとも、】
たとえ阿弥陀の本願が真実であって往生できるとしても、

【正法を誹謗せむ人々は弥陀仏の往生には除かれ奉るべきか。】
正法を誹謗する人々は、阿弥陀仏の往生から、除かれるはずなのです。

【又法華経の二の巻には「若し人信ぜざれば】
また、法華経の二の巻には「もし人が、この法華経を信じないならば、

【其の人命終して阿鼻獄〔あびごく〕に入らん」云云。】
その人は、命が終えて無間地獄に堕ちる」と説かれています。


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