日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


頼基陳状 06 第05章 良観房を破す

【又仰せ下さるゝ状に云はく、】
また、仰せ下された手紙には、

【極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると。】
極楽寺の長老は、釈尊の再来であると仰ぎたてまつるとありますが、

【此の条難かむ〔堪〕の次第に覚え候。】
このことは、どうしても賛同しがたく思われます。

【其の故は、日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、】
その理由は、経文に説かれているとおりであるならば、日蓮聖人は、

【久成〔くじょう〕如来の御使ひ、上行菩薩の垂迹〔すいじゃく〕、】
久遠実成の釈迦牟尼仏の御使いの上行菩薩の垂迹、

【法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御坐候】
法華経本門の行者、五五百歳の大導師であります。

【聖人を、頸をはねらるべき由の申し状を書きて、】
その聖人の首をはねよとの申し状を書いて、

【殺罪に申し行なはれ候ひしが、いかゞ候ひけむ、】
殺害しようとしたのは、どう言うわけでしょうか、

【死罪を止めて佐渡の島まで遠流せられ候ひしは、】
死罪を止めても、佐渡まで遠流にされたのは、

【良観上人の所行に候はずや。其の訴状は別紙にこれ有り。】
この良観上人の仕業ではないでしょうか。その訴状は、別紙にあります。

【抑〔そもそも〕生草〔いきぐさ〕をだに伐〔き〕るべからずと】
そもそも良観上人は、草でさえも切ってはならないと

【六斎日夜の説法に給はれながら、】
六斎の日夜に説法されながら、

【法華の正法を弘むる僧を断罪に行なはるべき旨申し立てらるゝは、】
法華経、正法を弘める僧侶を断罪にせよと申し立てられるのは、

【自語相違に候はずや如何。】
自語相違ではないでしょうか。

【此の僧豈〔あに〕天魔の入れる僧に候はずや。】
この僧侶にこそ天魔が入っているのではありませんか。

【但此の事の起こりは良観房常の説法に云はく、】
この事の起こりは、この良観房が平素の説法で、

【日本国の一切衆生を皆持斎になして八斎戒を持たせて、】
私は、日本の一切衆生を皆、律宗の人となし、八斎戒を持たせて、

【国中の殺生〔せっしょう〕、天下の酒を止めむとする処に、】
日本国中の殺生と天下の飲酒を止めようと苦心しているのに、

【日蓮房が謗法に障〔ささ〕へられて此の願叶ひ難き由歎き給ひ候間、】
日蓮房の謗法に妨害されて、この願いが叶いがたい」と嘆いていたのです。

【日蓮聖人此の由を聞き給ひて、】
日蓮聖人が、このことを聞かれて、

【いかゞして彼が誑惑〔おうわく〕の大慢心〔だいまんしん〕をたを〔倒〕して】
なんとかして、この良観房の誑惑の大慢心を倒して、

【無間地獄の大苦をたすけむと仰せありしかば、】
無間地獄の大苦を救ってあげようとの仰せがあったので、

【頼基等は、此の仰せ法華経の御方人、大慈悲の仰せにては候へども、】
頼基らは、この仰せは、法華経の行者である方の大慈悲の仰せではありますが、

【当時日本国別して武家鎌倉の世きらざる人にてをはしますを、】
良観房は、現在、日本の国、武家鎌倉の世では、大変、尊敬されている人ですから、

【たやすく仰せある事いかゞと】
軽々しく仰せになる事は、いかがでしょうかと

【弟子共同口に恐れ申し候ひし程に、】
弟子達が異口同音に申しておりました。

【去ぬる文永八年(太歳辛未)六月十八日大旱魃〔かんばつ〕の時、】
去る文永8年6月18日の大干ばつの時、

【彼の御房祈雨の法を行なひて万民をたすけんと申し付け候由、】
この良観房に、祈雨によって万民を助けよとの仰せがあった事を、

【日蓮聖人聞き給ひて、此〔これ〕体〔てい〕は小事なれども、】
日蓮聖人が聞かれました。そして、このようなことは、些細な事ではあるが、

【此の次いでに日蓮が法験〔ほうけん〕を万人に知らせばやと仰せありて、】
事のついでに、日蓮が法験を万民に知らせようと仰せになって、

【良観房の所へ仰せつかはすに云はく、】
良観房の所へ使いを出されて、

【七日の内にふらし給はゞ日蓮が念仏無間と申す法門すてゝ、】
もしも七日以内に雨を降らせたならば、日蓮は、念仏無間と言う法門を捨てて、

【良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば、】
良観上人の弟子となって二百五十戒を持とう。だが、もし雨が降らなかったならば、

【彼の御房の持戒げ〔気〕なるが大誑惑なるは顕然〔けんねん〕なるべし。】
この良観房が持戒しているように見えても大嘘であることが、はっきりするだろう。


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