日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


頼基陳状 10 第09章 仏法の上から諌言する

【其れにとて重恩の主の悪法の者にたぼらかされましまして、】
しかしながら、重恩の主君が悪法の者に騙〔だま〕されて、

【悪道に堕ち給はむをなげくばかりなり。】
悪道に堕ちることは、嘆かわしいばかりであり、

【阿闍世王〔あじゃせおう〕は提婆〔だいば〕・六師を師として】
阿闍世王は、提婆達多や六師外道を師匠として、

【教主釈尊を敵とせしかば、摩竭提国〔まかだこく〕皆仏教の敵となりて、】
教主釈尊を敵としたので、摩竭提国が皆、仏教の敵となって、

【闍王の眷属五十八万人、仏弟子を敵とする中に、】
阿闍世王の眷属五十八万人が、すべて仏弟子を敵とするその中で、

【耆婆〔ぎば〕大臣計り仏の弟子なり。】
唯一、耆婆大臣だけが仏の弟子であったのです。

【大王は上の頼基を思〔おぼ〕し食〔め〕すが如く、】
大王は、あたかも現在、主君が頼基に対して思われているように、

【仏弟子たる事を御心よからず思し食ししかども、】
耆婆大臣が仏弟子であることを、不快に思われていたのですが、

【最後には六大臣の邪義をすてゝ耆婆が正法にこそつかせ給ひ候ひしか。】
最後には、六大臣の邪義を捨てて耆婆の正法につかれたのです。

【其の如く御最後をば頼基や救ひ参らせ候はんずらむ。】
そのように主君を最後には、頼基が御救いしてまいります。

【此くの如く申さしめ候へば、阿闍世王は五逆罪の者なり、】
このように申し上げますと、阿闍世王は、五逆罪の者であり、

【彼に対するかと思し食しぬべし。】
その阿闍世王と同じと考えているのかと思われるでしょうが、

【恐れにては候へども、彼には百千万倍の重罪にて御坐〔おわ〕すべしと、】
しかし、恐れ多いことですが、殿は、阿闍世王より百千万倍も重罪であると、

【御経の文には顕然〔けんねん〕に見えさせ給ひて候。】
経文に明らかに説かれております。

【所謂「今此の三界は皆是〔これ〕我が有なり。】
いわゆる法華経の譬喩品には「今、この三界は、皆、これ我が有である。

【其の中の衆生は悉〔ことごと〕く是吾が子なり」文。】
その中の衆生は、ことごとく、これ我が子である」と説かれています。

【文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり、】
経文の通りであるならば、教主釈尊は、日本国の一切衆生の父母であり、

【師匠なり、主君なり。阿弥陀仏は此の三の義ましまさず。】
師匠であり、主君なのです。阿弥陀仏には、この主師親の三徳は、ありません。

【而るに三徳の仏を閣〔さしお〕いて他仏を昼夜朝夕に称名し、】
そうであるのに、三徳の仏をさしおいて、他仏を昼夜、朝夕にその名を称え、

【六万八万の名号を唱へまします。あに不孝の御所作にわたらせ給はずや。】
六万、八万の名号を唱えているのに、どうして不孝の行ないではないのでしょうか。

【弥陀の願も、釈迦如来の説かせ給ひしかども】
阿弥陀の本願も本来、釈迦如来が説かれたものでありますが、

【終にくひ返し給ひて、唯我一人と定め給ひぬ。】
最後には、改められて、ただ、我れ一人のみ、よく衆生を救うと定められたのです。

【其の後は全く二人三人と見え候はず。】
その後は、全く二人、三人とは、説かれておりません。

【随って人にも父母二人なし。】
したがって、人にも父母が二人いないように、

【何れの経に弥陀は此の国の父、】
一体、いずれの経文に阿弥陀仏は、この国の父、

【何れの論に母たる旨見へて候。】
いずれの論に母であると説かれているのでしょうか。

【観経等の念仏の法門は、法華経を説かせ給はむ為のしばらくのしつらひなり。】
観無量寿経の念仏の法門は、仏が法華経を説かれる為のしばらくの準備なのです。

【塔く〔組〕まむ為の足代〔あししろ〕の如し。而るを仏法なれば】
あたかも塔を組む為の足場のようなものなのです。それを、同じく仏法なのだから

【始終あるべしと思ふ人】
始めと終わりの違いだけであると思う人があれば、

【大僻案〔びゃくあん〕なり。】
それは大変誤った考えと言えるでしょう。

【塔立てゝ後足代を貴ぶほどのはかなき者なり。】
その人は、塔を立てた後まで足場を尊ぶような、愚かな人なのです。

【又日よりも星は明らかと申す者なるべし。】
また、その人は、太陽よりも星の光りの方が明るいと言うような人です。

【此の人を経に説いて云はく「復教詔〔きょうしょう〕すと雖も而も信受せず、】
こう言う人を経文では「また、仏の教えを聞いても、なお信受しない人は、

【其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。】
命終して阿鼻地獄に堕ちる」と説かれているのです。

【当世日本国の一切衆生の釈迦仏を抛〔なげう〕って阿弥陀仏を念じ、】
現在の日本の衆生は、釈迦仏を投げ捨てて南無阿弥陀仏と念じ、

【法華経を抛って観経〔かんぎょう〕等を信ずる人、】
法華経を投げ捨てて観無量寿経を信じ、

【或は此くの如き謗法の者を供養せむ俗男俗女等、】
良観房や竜象房などの謗法の僧侶を供養し、

【存外に五逆・七逆・八虐の罪ををかせる者を智者と渇仰〔かつごう〕する】
五逆、七逆、八虐の罪を犯している僧侶を智者と渇仰する、

【諸の大名僧並びに国主等なり。】
名だたる名僧や国主、俗男俗女なのです。

【「如是〔にょぜ〕展転〔てんでん〕至無数劫〔しむしゅこう〕」とは】
法華経譬喩品に「謗法の者は、このように展転して乃至無数劫に至る」とあるのは、

【是なり。此くの如き僻事〔ひがごと〕をなまじゐに承りて候間、】
このことを言うのです。このような出鱈目を、なまじ耳に入れたので、

【次〔つ〕いでを以て申さしめ候。宮仕へをつかまつる者上下ありと申せども、】
ついでに申し上げました。宮仕えをする者は、身分に上下があるとは言え、

【分々に随って主君を重んぜざるは候はず。】
自らの分際に従って、主君を重んじない者などおりません。

【上の御ため現世後生あしくわたらせ給ふべき事を】
しかし、主君の為には、このことが現世と後生を悪くするのではないかと、

【秘〔ひそ〕かにも承りて候はむに、傍輩〔ほうばい〕、世に憚〔はばか〕りて】
内心では秘かに思いながら、同僚や世間をはばかり、

【申し上げざらむは、与同罪にこそ候まじきか。】
意見しないのは、与同罪になるのではないでしょうか。


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