日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


兄弟抄 08 難に当っての信心


第07章 難に当っての信心

【又前車のくつが〔覆〕へすは後車のいまし〔誡〕めぞかし。】
前に走る車が倒れるのは、後ろの車のいましめとなるのです。

【今の世にはなにとなくとも】
現在の乱れた世にあっては、これと言うことがなくても

【道心を〔起〕こりぬべし。】
仏道を求める心が起こるのは、当然のことなのです。

【此の世のありさま厭〔いと〕ふともよも厭〔いと〕はれじ。】
この世の状況見て、いかに憂いても、もはや、ただ憂いている事も出来ないのです。

【日本の人々定んで大苦に値ひぬと見へて候。眼前の事ぞかし。】
日本の人々が大苦に遭うことは、目に見えており、まさに眼前のことなのです。

【文永九年二月の十一日に】
文永9年2月11日には、執権時宗の義兄、時輔が謀叛を起こして亡びました。

【さか〔盛〕んなりし花の大風にを〔折〕るゝがごとく、】
盛んであった花が大風によって枝が折れ、なくなるように、

【清絹〔すずし〕の大火にや〔焼〕かるゝがごとくなりしに、】
また、清らかな絹が大火で焼かれるように、

【世をいと〔厭〕う人のいかでかなかるらん。】
どうして、この世を嫌にならない人がいるでしょうか。

【文永十一年の十月ゆき〔壱岐〕・つしま〔対馬〕、ふのもの〔武者〕ども】
また文永11年の10月の蒙古襲来時の壱岐、対馬の島民や武士が、

【一時に死人となりし事は、いかに人の上とをぼ〔思〕すか。】
一度に殺されたことも、どうして他人事と思えるでしょうか。

【当時もかのうて〔討手〕に向かひたる人々のなげ〔嘆〕き、】
当時も蒙古討伐に向かった人々の嘆きや、

【老ひたるをや〔親〕、をさな〔幼〕き子、わか〔若〕き妻、】
年老いた親、幼い子、若い妻、

【めづら〔珍〕しかりしすみか〔住家〕うちす〔捨〕てゝ、】
そして大切な住居を打ち捨てて、

【よしなき海をまぼ〔守〕り、雲のみ〔見〕うればはた〔旗〕かと疑ひ、】
意味もなく海を守り、雲が見えれば、敵の旗かと疑い、

【つ〔釣〕りぶね〔船〕のみ〔見〕ゆれば】
釣船が見えれば、

【兵船〔ひょうせん〕かと肝心〔きもごころ〕をけ〔消〕す。】
蒙古の兵船ではないかと肝を冷やすのです。

【日に一二度山えのぼ〔登〕り、夜に三四度馬にくら〔鞍〕ををく。】
日に一度、二度と山に登って、夜には、三度、四度と馬に鞍を置いて、

【現身に修羅道をかん〔感〕ぜり。】
まさに警戒と戦闘にと、現身に修羅道を感ずる日々であるのです。

【各々のせ〔攻〕められさせ給ふ事も、】
あなた達、兄弟が、今、責められていることも、

【詮ずるところは国主の法華経のかたき〔敵〕となれるゆへ〔故〕なり。】
結局は、国主が法華経の敵となっている故なのです。

【国主のかたき〔敵〕となる事は、】
国主が法華経の敵となることは、

【持斎〔じさい〕等・念仏者等・真言師等が謗法よりを〔起〕これり。】
持斎、念仏者、真言師などの謗法から起こっていることなのです。

【今度ねう〔忍〕しくらして法華経の御利生〔りしょう〕心みさせ給へ。】
今度、この難を耐え抜いて、法華経の莫大な力を試してみなさい。

【日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。】
日蓮もまた、力強く諸天に申し上げましょう。

【いよいよをづ〔臆〕る心ねすがた〔姿〕をはすべからず。】
決して臆する心や怖れる姿があってはなりません。

【定んで女人は心よは〔弱〕くをはすれば、】
女性は、心が弱いので、

【ごぜん〔御前〕たちは心ひるが〔翻〕へりてやをはすらん。】
御夫人達は、きっと心がひるがえっていることでしょう。

【がうじやう〔強盛〕には〔歯〕が〔噛〕みをして】
ですが、あなた達は、信心強盛に歯をくいしばって難に耐え、

【たゆ〔弛〕む心なかれ。】
たゆむ心があってはなりません。

【例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふ〔振〕るま〔舞〕い、】
日蓮が平左衛門尉の前でも堂々と振舞い、

【い〔言〕ゐしがごとくすこ〔少〕しもをづ〔臆〕る心なかれ。】
相手の間違いを言い切ったように、少しも怖れる心があってはならないのです。

【わだ〔和田〕が子となりしもの、】
北条義時との戦さで敗れた和田義盛の子、義重、義信、秀盛、

【わかさ〔若狭〕のかみ〔守〕が子となりしもの、】
北条時頼と戦って敗れた若狭守、三浦泰村の子、景村、

【将門〔まさかど〕・貞当〔さだとう〕が郎従等となりし者、】
あるいは、平将門の家来、阿倍貞当の家来となった者は、

【仏になる道にはあらねども】
仏になる道では、ないけれども、

【はぢ〔恥〕ををも〔思〕へば命を〔惜〕しまぬ習ひなり。】
恥を思うゆえに命を惜しまなかったのです。これが武士の習いです。

【なにとなくとも一度の死は一定〔いちじょう〕なり。】
たとえ、何もなくても、一度は、死ぬことは、すでに決まっていることです。

【いろ〔色〕ばしあ〔悪〕しくて人にわら〔笑〕われさせ給ふなよ。】
ですから卑怯な態度で、人に笑われてはなりません。


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