日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


兄弟抄 13 三障四魔


第12章 三障四魔

【されば天台大師の摩訶止観と申す文は】
それ故、天台大師の摩訶止観と言う書物には、

【天台一期の大事、一代聖教の肝心ぞかし。】
天台大師一生の大事、釈尊一代聖教の肝心が述べられています。

【仏法漢土に渡って五百余年、南北の十師、】
仏法が中国に渡って五百余年、当時の南三北七の十師達は、

【智は日月に斉〔ひと〕しく徳は四海に響きしかども、】
智は、日月に等しくたとえられ、徳は、四海に響いていたけれども、

【いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候ひしが、】
いまだ一代聖教の浅深、勝劣、前後、次第について迷っていたのを、

【智者大師再び仏教をあき〔明〕らめさせ給ふのみならず、】
天台智者大師が五時八教をもって、ふたたび仏教を明確にされたばかりでなく、

【妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出だして、】
妙法蓮華経の五字の蔵の中から、一念三千の如意宝珠を取り出して、

【三国の一切衆生に普〔あまね〕く与へ給へり。】
インド、中国、日本の一切衆生に広く与えられたのです。

【此の法門は漢土に始まるのみならず、】
この天台の一念三千の法門は、中国に始まるばかりでなく、

【月氏の論師までも明かし給はぬ事なり。】
インドの論師さえ明かさなかったことなのです。

【然れば章安大師の釈に云はく】
それゆえ章安大師は、摩訶止観を解釈して言われるのには

【「止観の明静〔みょうじょう〕なる前代に未だ聞かず」云云。】
「摩訶止観ほど明らかで誤りのない法門は、前代にいまだ聞いたことがない」、

【又云はく「天竺の大論すら尚〔なお〕其の類〔たぐい〕に非ず」等云云。】
また「インドの大論も、なおその比較の対象にならない」とされているのです。

【其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は、】
そのうえ、摩訶止観の第五の巻に説かれる一念三千は、

【今一重立ち入りたる法門ぞかし。】
今、一重、立ち入った法門なのです。

【此の法門を申すには必ず魔出来すべし。】
それゆえに、この法門を説くならば、必ず魔が現れるのです。

【魔競はずば正法と知るべからず。】
魔が競い起こらないならば、その法が正法であるとは言えないのです。

【第五の巻に云はく「行解〔ぎょうげ〕既に勤めぬれば】
摩訶止観の第五の巻には「仏法をたもち、理解が進んで来たときには、

【三障四魔紛然として競ひ起こる、】
三障四魔が紛然として競い起こる。

【乃至随ふべからず畏〔おそ〕るべからず。】
しかし、三障四魔に決して随ってはならず、怖れてもならない。

【之に随へば将〔まさ〕に人をして悪道に向かはしむ、】
これに従うならば、まさに人を悪道に向かわせる。

【之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。】
これを怖れるならば、正法を修行することを妨げる」と書かれているのです。

【此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、】
摩訶止観のこの解釈は、日蓮の身にあてはまるのみならず、

【門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。】
門家一同の明鏡であり、謹んで習い伝えて、未来の糧とすべきです。

【此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障なり。】
この文章の三障と言うのは、煩悩障、業障、報障のことです。

【煩悩障と申すは貪・瞋・癡等によりて障碍〔しょうげ〕出来すべし。】
煩悩障と言うのは、各自の貪、瞋、癡によって障害が現れることなのです。

【業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし。】
業障と言うのは、妻や子などによって障害が現れることなのです。

【報障と申すは国主・父母等によりて障碍出来すべし。】
報障と言うのは、国王や父母などによって障害となって現れることなのです。

【又四魔の中に天子魔と申すも是くの如し。】
また、四魔の中で、天子魔と言うものが、この報障と同じなのです。

【今日本国に我も止観を得たり、我も止観を得たりと云ふ人々、】
今、日本国には、我も止観を体得した、我も止観を体得したと言う人々のうち、

【誰か三障四魔競へる人あるや。】
誰に一体、三障四魔が競い起こっているのでしょうか。

【「之に随へば将〔まさ〕に人をして悪道に向かはしむ」と申すは】
摩訶止観の中に「三障四魔に従えば、まさに人を悪道に向かわせる」と言うのは、

【只三悪道のみならず、】
ただ、地獄、餓鬼、畜生の三悪道だけではなく、

【人天九界を皆悪道とかけり。】
人界、天界、さらに九界を、皆、悪道と書かれているのです。

【されば法華経をのぞ〔除〕いて】
それ故、法華経を除いて、

【華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり。】
華厳、阿含、方等、般若、涅槃、大日経などは、皆、人を悪道に向かわせる法です。

【天台宗を除いて余の七宗の人々は、】
天台宗を除いて、ほかの七宗の人々は、

【人を悪道に向かはしむる獄卒〔ごくそつ〕なり。】
人を悪道に向かわせる獄卒なのです。

【天台宗の人々の中にも法華経を信ずるやうにて、】
しかし、天台宗の中にも法華経を信じるようでいて、

【人を爾前へやるは悪道に人をつか〔遣〕はす獄卒なり。】
人を爾前教へ向かわせる者がおり、やはり、人を悪道に行かせる獄卒なのです。


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