日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


兄弟抄 09 伯夷・叔斉の例


第08章 伯夷・叔斉の例

【あまりにをぼ〔覚〕つかなく候へば大事のものがたり〔物語〕一つ申す。】
非常に心配なので、大切な物語を、ひとつ御話ししましょう。

【白ひ〔夷〕・叔〔しゅく〕せい〔斉〕と申せし者は、】
伯夷〔はくい〕、叔斉〔しゅくせい〕と言う兄弟は、

【胡竹〔こちく〕国の王の二人の太子なり。】
胡竹国王の王子でした。

【父の王弟の叔せいに位をゆづ〔譲〕り給ひき。】
父である王は、弟の叔斉に王位を譲〔ゆず〕ったのですが、

【父し〔死〕して後叔せい位につ〔就〕かざりき。】
父王の死後、叔斉は、王位に就きませんでした。

【白ひが云はく、位につ〔就〕き給へ。】
そこで兄の伯夷が、弟に王位に就くように言ったのですが、

【叔せいが云はく、兄に位に継〔つ〕ぎ給へ。】
叔斉は、兄さんが位を継いで下さいと言ったのです。

【白ひが云はく、いかに親の遺言をばたが〔違〕へ給ふと申せしかば、】
伯夷が、どうして親の遺言に反するのかと言うと、

【親の遺言はさる事なれども、】
弟の叔斉は、親の遺言は、そうではありますが、

【いかんが兄ををきては位には即〔つ〕くべきと辞退せしかば、】
どうして兄さんを差し置いて私が王位に就けましょうかと辞退したので、

【二人共に父母の国をす〔捨〕てゝ他国へわた〔渡〕りぬ。】
伯夷、叔斉の二人は、共に父母の国を捨てて他国に行ってしまったのです。

【周の文王につか〔仕〕へしほどに、】
そして、二人は、周の文王に仕えました。

【文王殷〔いん〕の紂王〔ちゅうおう〕に打たれしかば、】
ところが、その文王は、殷の紂王に討たれてしまったので、

【武王百ケ日が内いくさ〔戦〕ををこしき。】
その子の武王は、父の死後、百ケ日の間に紂王討伐の軍を起こしたのです。

【白ひ・叔せいは武王の馬の口にとりつきていさ〔諫〕めて云はく、】
そのとき伯夷、叔斉は、武王の馬の口に取り付いて、それを諫〔いさ〕め、

【をや〔親〕し〔死〕して後三ケ年が内いくさ〔戦〕ををこすは】
親が死んでのち、三年の間に軍を起こすのは、

【あに〔豈〕不孝にあらずや。】
親不孝では、ありませんかと諭したのです。

【武王いか〔怒〕りて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、】
それを聞いて武王は、怒り、伯夷と叔斉を打ち取ろうとしましたが、

【大公望せい〔制〕して打たせざりき。】
家臣の太公望が、武王を制して打たせなかったのです。

【二人は此の王をうと〔疎〕みてすやう〔首陽〕と申す山にかく〔隠〕れゐて、】
伯夷と叔斉の二人は、この武王を疎〔うと〕んで、首陽山と言う山に隠れ、

【わらび〔蕨〕をを〔折〕りて命をつ〔継〕ぎしかば、】
わらびを折ってこれを食べ、命を繋〔つな〕いだのです。

【麻子〔ばし〕と申す者ゆ〔行〕きあ〔合〕ひて云はく、】
その山の中で二人が、麻子〔ばし〕と言う者に会った時に、

【いかにこれにはをはするぞ。】
その者が、どうして、ここに居るのかと尋ねました。

【二人上件〔かみくだん〕の事をかた〔語〕りしかば、麻子が云はく、】
そこで二人は、今までの顛末を話をしたところ、その麻子〔ばし〕が

【さるにてはわらび〔蕨〕は王の物にあらずや。】
それならば、そのわらびも王の物ではないかと責めたのです。

【二人せ〔責〕められて爾の時よりわらび〔蕨〕をく〔食〕わず。】
二人は、そのように責められたので、その時から、わらびを食べなくなったのです。

【天は賢人をす〔捨〕て給はぬなら〔習〕ひなれば、】
天は、もともと賢人を見捨てないことになっているので、

【天、白鹿と現じて乳をもって二人をやし〔養〕なひき。】
天は、白鹿となって現われ、乳で二人を養ったのです。

【叔せいが云はく、此の白鹿の乳をの〔飲〕むだにもうまし、】
叔斉が、その白鹿が居ないときに、この白鹿の乳でさえ非常に美味いので、

【まして肉をくわんとい〔言〕ゐしかば】
その肉を食べたら、どれだけ美味いことであろうかと言ったので、

【白ひせい〔制〕せしかども】
伯夷がそれを叱りましたが、

【天これをき〔聞〕ゝて来たらず。】
天は、この叔斉の言葉を聞き、以後二人の前に現われなかったのです。

【二人う〔飢〕へて死にゝき。】
そのため二人は、飢えて死んでしまいました。

【一生が間賢なりし人も一言に身をほろ〔亡〕ぼすにや。】
一生の間、賢明であった人も、たった一言で身を亡ぼすのです。

【各々も御心の内はし〔知〕らず候へば】
今、難に当たって、あなた達、二人も、その心の内が分からないので、

【をぼつかなしをぼつかなし。】
このようにならないかと非常に心配をしております。


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