日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


兄弟抄 11 故事を引いて励ます


第10章 故事を引いて励ます

【白ひ・すくせいが因縁はさき〔先〕にか〔書〕き候ひぬ。】
伯夷と叔斉の因縁は、先に書きましたが、

【又第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王をはしき。】
また、この他にも大事な因縁があります。日本の第16代に

【応神〔おうじん〕天王と申す。今の八幡大菩薩これなり。】
応神天皇と言う王がいました。今の八幡大菩薩が、この王です。

【この王の御子〔みこ〕二人まします。】
この王に御子が二人あり、

【嫡子をば仁徳〔にんとく〕、次男をば宇治の王子。】
嫡子を仁徳、次男を宇治の王子と言いました。

【天王次男の宇治の王子に位をゆづ〔譲〕り給ひき。】
ところが天皇は、次男の宇治の王子に位〔くらい〕を譲られたのです。

【王ほうぎょ〔崩御〕ならせ給ひて後、宇治の王子云はく、】
しかし、天皇が崩御されたのち、宇治の王子は、

【兄位につ〔就〕き給ふべし。兄の云はく、】
兄君が位に就かれるべきであると言いました。しかし、兄の仁徳は、

【いかにをや〔親〕の御ゆづ〔譲〕りをばもち〔用〕ゐさせ給はぬぞ。】
どうして親の決められた譲位を受け入れられないのかと言って辞退しました。

【かくのごとくたが〔互〕いにろむ〔論〕じて、】
このように互いに譲り合って、

【三ケ年が間位に王をは〔御座〕せざりき。】
三年の間、国に天皇がいなかったのです。

【万民のなげ〔嘆〕きい〔言〕うばかりなし。】
このため、万民の嘆きは、大きく、

【天下のさい〔災〕にてありしほどに、宇治の王子云はく、】
天下の災いとなってしまいました。そのとき宇治の王子は、

【我い〔生〕きて有るゆへ〔故〕にあに〔兄〕位に即〔つ〕き給はずといって】
私が生きているから、兄君が位につかれないと言って、

【死せ給ひにき。仁徳これをなげ〔嘆〕かせ給ひて、】
亡くなられたのです。兄の仁徳は、これを大変、嘆〔なげ〕かれて、

【又ふ〔伏〕ししづ〔沈〕ませ給ひしかば、宇治の王子い〔生〕きかへ〔返〕りて】
伏し沈んでおられたので、宇治の王子が生きかえって、

【やうやうにをほ〔仰〕せを〔置〕かせ給ひて、】
兄が位に即くように、いろいろと言い置かれて、

【又ひ〔引〕きい〔入〕らせ給ひぬ。】
ふたたび、また息をひきとられたのです。

【さて仁徳位につ〔就〕かせ給ひたりしかば国をだ〔穏〕やかなる上、】
そののち、仁徳が天皇に就かれたので、国内は、安定し穏やかになった上に、

【しんら〔新羅〕・はくさひ〔百済〕・かうらい〔高麗〕も】
新羅、百済、高句麗も

【日本国にしたが〔随〕ひて、】
日本国に従って、

【ねんぐ〔年具〕八十そう〔艘〕そなへけるとこそみへて候へ。】
年貢を八十艘の船に載せて貢〔みつ〕いだと言われています。

【賢王のなかにも兄弟をだ〔穏〕やかならぬれい〔例〕もあるぞかし。】
賢王の中であっても兄弟の仲が穏かでない例もあります。

【いかなるちぎ〔契〕りにて兄弟かくはをはするぞ。】
どのような縁によって、あなた達、兄弟は、このように仲が良いのでしょうか。

【浄蔵・浄眼の二人の太子の生まれかはりてをはするか、】
淨蔵、浄眼の二人の太子の生まれかわりなのでしょうか。

【薬王・薬上の二人か。】
それとも薬王菩薩、薬上菩薩の二人の生まれかわりでしょうか。

【大夫志〔たいふのさかん〕殿の御をや〔親〕の御勘気は】
兄の大夫志殿が父親の勘当を

【う〔受〕け給ひしかども、ひゃうへ〔兵衛〕の志〔さかん〕殿の事は】
受けられたけれども、弟の兵衛志殿は、

【今度はよもあに〔兄〕にはつかせ給わじ。】
今度ばかりは、よもや兄の味方に付く事はなく、

【さるにてはいよいよ大夫志殿のをや〔親〕の御不審は、】
そうであれば、ますます兄の大夫志殿に対する父上の不審は、強くなって、

【をぼろげにてはゆ〔許〕りじなんどをも〔思〕いて候へば、】
並み大抵のことでは、勘当を許されないであろうと思っていたところ、

【このわらわ〔鶴王〕の申し候はまことにてや。】
この鶴王と言う子供が知らせて来たことは、本当の事でしょうか。

【御同心と申し候へば】
弟の兵衛志殿も兄と同じく、信心を貫〔つらぬ〕く決意であると言うので、

【あまりのふしぎ〔不思議〕さに別の御文をまいらせ候。】
あまりの不思議さに感嘆し、このように別の手紙を書いております。

【未来までのものがたり〔物語〕なに〔何〕事かこれにす〔過〕ぎ候べき。】
未来までも、兄弟の物語として、これ以上のものはないでしょう。


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