日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


真言見聞 6 大日経の偽作を指摘


第05章 大日経の偽作を指摘

【疑って云はく、経文の権教は且〔しばら〕く之を置く。】
それでは、真言が権教であると言うことについては、しばらく置くとしても、

【唐決〔とうけつ〕の事天台の先徳〔せんとく〕】
唐決集のことは、天台宗の園城寺の

【円珍〔えんちん〕大師〔だいし〕之を破す。】
円珍大師智証がこれを破折しています。

【大日経の指帰〔しき〕に】
つまり、円珍が著した大毘盧遮那経指帰〔だいびるしゃなきょうしき〕には

【「法華尚及ばず、】
「大日経には、法華経でも、なお及ばない。

【況〔いわ〕んや自余の教をや」云云。】
まして、それ以外の諸経では、なおさらである」とあるのです。

【既に祖師の所判〔しょはん〕なり。】
これは、天台宗の祖師である円珍大師の言葉なのです。

【誰か之に背くべきや。】
誰が、この判断に背くことが出来るでしょうか。

【決に云はく「道理前の如し」と。】
唐決集に「道理は、前に述べた通りである」とありますが、

【依法〔えほう〕不依人〔ふえにん〕の意なり。】
これは「法に依って人に依らざれ」の意味です。

【但し此の釈を智証〔ちしょう〕の釈と云ふ事不審なり。】
ただ、この大日経指帰の解釈を智証の解釈と言うのは、疑わしいのです。

【其の故は授決集〔じゅけつしゅう〕の下に云はく】
それは、同じ智証の著した授決集の巻下に

【「若し法華・華厳・涅槃等の経に望めば、】
「もし法華、華厳、涅槃などの経に対すると、

【是〔これ〕摂引門〔しょういんもん〕」と云へり。】
大日経は、摂入し誘引する方便の教えである」と述べているからです。

【広修・維蠲を破する時は】
唐決集の公修座主や維蠲座主を打ち破る時は、大日経指帰に

【法華尚及ばずと書き、】
「法華経ですら、なお及ばない」と書き、

【授決集には是摂引門と云って、】
授決集には「大日経は、摂入し誘引する教えである」と述べて、

【二義相違〔そうい〕せり。】
この二つの言葉は、矛盾しているのです。

【指帰が円珍の作ならば、授決集は智証の釈に非ず。】
大日経指帰が智証の作であるならば、授決集は、智証の解釈ではなく、

【授決集が実作ならば、指帰は智証の釈に非じ。】
授決集が真実であるならば、大日経指帰は、智証の釈ではないことになります。

【今此の事を案ずるに、授決集が智証の釈と云ふ事、】
今、これを考えると、授決集が智証の解釈であることは、

【天下の人皆之を知る上、公家〔くげ〕の日記にも之を載せたり。】
天下の人がすべて知っているうえ、公家の日記にも、これが記載されています。

【指帰は人多く之を知らず。公家の日記にも之無し。】
大日経指帰は、多くの人々が知らず、公家の日記にも、これは記載されていません。

【此を以て彼を思ふに】
このことから大日経指帰について考えると、

【後の人作って智証の釈と号するか。】
この解釈は、後世の人が勝手に作って智証の解釈としたものでしょうか。

【能〔よ〕く能〔よ〕く尋ぬべき事なり。授決集は正しき智証の自筆なり。】
よくよく調べるべきであり、一方、授決集は、間違いなく智証の自筆なのです。


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