日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


真言見聞 14 弘法の法華第三の邪義


第13章 弘法の法華第三の邪義

【弘法大師は】
以上の釈尊、天台大師、妙楽大師、伝教大師の説に対し、弘法大師だけは、

【「法華は戯論〔けろん〕、華厳は真実なり」云云。】
「法華経は戯れの論であり、華厳経は真実である」と述べているのです。

【何れを用ふべきや。宝鑰〔ほうやく〕に云はく】
いずれの説を用いるべきでしょうか。弘法大師の秘蔵法鑰に

【「此くの如き乗々は】
「十住心のうち第八の一道無為心の法華、第九の極無自性心の華厳は、

【自乗に名を得れども】
自らの教えにおいて、一往は、仏乗の真理であるとの名前を得ているが、

【後に望めば戯論と作す」文。】
第十の秘密荘厳心の真言密教に比べると戯れの論となる」とあります。

【又云はく「謗人謗法は定めて阿鼻獄に堕せん」文。】
また「これを批判する謗人、謗法は、必ず阿鼻地獄に堕ちる」とあります。

【記の五に云はく】
法華文句記の巻五には

【「故に実相の外は皆戯論と名づく」文。】
「ゆえに諸法実相の法門以外は、すべて戯れの論と名づける」とあります。

【梵網経疏〔ぼんもうきょうしょ〕に云はく】
鳩摩羅什訳の梵網経疏には、

【「第十に謗三宝戒。亦は謗菩薩戒と云ひ、】
「第十に三宝を謗る謗三宝戒、または、菩薩を謗る謗菩薩戒と言い、

【或は邪見と云ふ。謗は是乖背〔けはい〕の名なり。】
あるいは、邪見と言い、謗は、違背の名前なのです。

【絓〔げ〕は是解〔げ〕、理に称〔かな〕はず。】
すべて〔絓〕は、言っていることが理に合わず、

【言〔ことば〕は実に当たらずして異解〔いげ〕して説く者を】
その言葉が現実と違っており、現実と異なった解釈をして説く者を、

【皆名づけて謗と為すなり」文。玄の三に云はく】
みな名づけて謗と言うのである」とあります。法華玄義の三には、

【「文証無きは悉〔ことごと〕く是邪偽〔じゃぎ〕にして彼の外道に同じ」文。】
「文証がないのは、すべて邪義であり、外道に同じである」とあります。

【弘〔ぐ〕の十に云はく「今の人他の所引〔しょいん〕の経論を信じて】
止観輔行伝弘決の巻十に「今の人は、他人が引用する経論を信じて、

【謂ひて憑〔たの〕み有りと為して宗の源を尋ねず。】
それを証拠として、宗旨の本来の源流を究めない。

【謬誤〔みょうご〕何ぞ甚〔はなはだ〕しき」文。】
この誤りは、実に甚だしい」とあるのです。

【守護章上の中に云はく「若し所説の経論明文有らば、】
守護国界章巻上の中に「もし所説の経論の明文があるならば、

【権実・大小・偏円〔へんえん〕・】
権教か実教か、大乗教か小乗教か、偏教か円教か、

【半満〔はんまん〕を簡択〔かんちゃく〕すべし」文。】
半字教である小乗か満字教である大乗かを選別すべきである」とあります。

【玄の三に云はく「広く経論を引きて】
法華玄義巻三に「広く経論を引用し

【己義を荘厳す」文。】
自分の教義を飾り立てても、権教は、権教であり、実教とはならない」とあります。

【抑〔そもそも〕弘法の法華経は真言より三重の劣、】
そもそも弘法は、法華経は、真言より三重の劣で、

【戯論の法にして尚華厳にも劣ると云ふ事、】
戯れの教法であり、華厳経よりも劣ると言っているが、

【大日経六巻に供養法の巻を加へて七巻三十一品、】
大日経六巻には、供養法の巻を加えて七巻三十一品、

【或は三十六品には何〔いず〕れの品何れの巻に見えたるや。】
あるいは、三十六品の中で、どの品どの巻にそれが書いてあるのでしょうか。

【加之〔しかのみならず〕蘇悉地〔そしっじ〕経三十四品、】
それだけでなく蘇悉地経三十四品、

【金剛頂〔こんごうちょう〕経三巻三品、或は一巻に全く見えざる所なり。】
金剛頂経三巻三品、あるいは、一巻にも全く書かれていないのです。

【又大日経並びに三部の秘経には、】
また大日経、並びに三部の秘経の中で、

【何れの巻何れの品にか十界互具之有りや。】
どの巻、どの品に十界互具の法門が説かれているのでしょうか。

【都〔すべ〕て無きなり。法華経には事理共に有るなり。】
これらのどこにも説かれていないのです。法華経には、事理ともに説かれています。

【所謂久遠〔くおん〕実成〔じつじょう〕は事なり。二乗作仏は理なり。】
いわゆる久遠実成は、亊であり、二乗作仏は、理なのです。

【善無畏等の理同〔りどう〕】
善無畏らの法華経と大日経は、理は同じであるが、

【事勝〔じしょう〕は臆説〔おくせつ〕なり。】
事においては、大日経が優れていると言うのは、憶測の説であり、

【信用すべからざる者なり。】
信用できないのです。


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