御書研鑚の集い 御書研鑽資料
真言見聞 11 印・真言の有無
第10章 印・真言の有無
【抑〔そもそも〕唐朝の善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕等、】
そもそも唐朝の善無畏三蔵や金剛智三蔵などが、
【法華経と大日経の両経に、】
法華経と大日経の両経について、
【理同事勝〔りどうじしょう〕の釈を作るは、】
「理は同じであるが事において大日経が勝れている」との解釈を作ったのは、
【梵華〔ぼんか〕両国共に勝劣か。】
はたしてインドの梵語と中国の漢字の両国の経文が同じだったのでしょうか。
【法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量の事有れども、】
法華経もインドには、十六里の宝蔵があったので無量の事が説かれていたのですが、
【流沙〔りゅうさ〕・葱嶺〔そうれい〕等の険難〔けんなん〕、】
西域の砂漠やパミール高原などの険しい難所があり、
【五万八千里十万里の路次〔ろじ〕容易〔ようい〕ならざる間、】
そのうえ、五万八千里、十万里と、その道のりが容易でないので、
【枝葉をば之を略せり。】
法華経を伝える時には、どうでもよいものは、略したのです。
【此等は併〔しか〕しながら訳者の意楽〔いぎょう〕に随ふ。】
これらは、翻訳者の好みによるもので、
【広を好み略を悪〔にく〕む人も有り。略を好み広を悪む人も有り。】
広を好み、略を嫌う人もいれば、略を好み広を嫌う人もいたのです。
【然〔しか〕れば則〔すなわ〕ち、玄奘〔げんじょう〕広を好んで】
したがって、玄奘は、広を好んで
【四十巻の般若経を六百巻に成し、】
四十巻の般若経を六百巻に訳し、
【羅什〔らじゅう〕三蔵〔さんぞう〕は略を好んで千巻の大論を百巻に縮めたり。】
羅什三蔵は、略を好んで、千巻の大智度論を百巻に縮めたのです。
【印契〔いんげい〕・真言の勝るゝと云ふ事、是を以て弁〔わきま〕へ難し。】
印相や真言が説かれているかどうかで、経文の優劣は、決められないのです。
【羅什所訳〔しょやく〕の法華経には是を宗とせず。】
鳩摩羅什が翻訳した法華経には、印相や真言などは、翻訳されていません。
【不空〔ふくう〕三蔵〔さんぞう〕の法華儀軌〔ぎき〕には印・真言之有り。】
不空三蔵の法華儀軌には、印相や真言が訳出されています。
【仁王経〔にんのうきょう〕も羅什の所訳には印・真言之無し。】
仁王経も鳩摩羅什の翻訳には、印相や真言がありません。
【不空、所訳の経には之を副〔そ〕へたり。】
不空が翻訳した経には、印相や真言を副えてあります。
【知んぬ是訳者の意楽なりと。其の上法華経には】
これで訳者の好みであることが分かるのです。そのうえ法華経方便品には
【「為説実相印〔いせつじっそういん〕」と説いて、】
「無量の衆に尊〔とうと〕まれて、為に実相の印を説く」と説かれてあり、
【合掌の印之有り。譬喩品には「我が此の法印〔ほういん〕は】
合掌の印があります。法華経譬喩品には「我がこの法印は、
【世間を利益〔りやく〕せんと欲〔ほっ〕するが為の故に説く」云云。】
世間を利益しようとするために説く」とあります。
【此等の文如何〔いかん〕。只広略の異なりあるか。】
これらの文章は、どうでしょうか。ただ、広と略の差異だけでしょう。
【又舌相〔ぜっそう〕の言語〔ごんご〕皆是真言なり。法華経には】
また舌相を具えた仏の言語は、すべて真実なのです。法華経法師功徳品には
【「治生の産業〔さんごう〕は皆実相と相〔あい〕違背〔いはい〕せず」と】
「生活や産業は、すべて実相と違背しない」と述べ、
【宣〔の〕べ、亦〔また〕】
また同じ法師功徳品には
【「是〔これ〕前〔ぜん〕仏経中〔ぶっきょうちゅう〕に説く所なり」と説く。】
「これは、先仏の経の中に説く所である」と説いてあります。
【此等は如何。】
これらはどうでしょうか。
【真言こそ有名〔うみょう〕無実〔むじつ〕の真言、】
真言宗で説く真言こそ、名のみ有って実のない真言であり、
【未顕〔みけん〕真実〔しんじつ〕の権教なれば、】
未だ真実を顕さない権教であるから、
【成仏得道跡形〔あとかた〕も無し。】
成仏得道の跡形もなく、
【始成〔しじょう〕を談じて久遠無ければ、】
始成正覚を談じて、久遠実成を説かず、
【性徳〔しょうとく〕本有〔ほんぬ〕の仏性も無し。】
性徳や本来ある仏性も説き明かされていないのです。
【三乗が仏の出世を感ずるに、】
声聞、縁覚、菩薩の三乗は、仏がこの世に出現することが、わかっているのに、
【三人に二人を捨て、三十人に二十人を除く。】
三人に声聞と縁覚の二乗の二人を捨て、三十人に二十人を除いているのです。
【「皆仏道に入らしむ」の】
法華経方便品第二の「皆、仏道に入らしむ」との
【仏の本願満足すべからず。】
仏の本願が満足することが出来ないばかりか、
【十界互具は思ひもよらず。】
真言宗では、十界互具など思いもよらないのです。
【まして非情の上の色心〔しきしん〕の因果争〔いか〕でか説くべきや。】
まして非情の上の色心の因果を、どうして説くことが出来るでしょうか。