日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


真言見聞 16 大日如来の存在


第15章 大日如来の存在

【真言七重難。】
真言宗には、七つの重大な間違いがあります。

【一、真言は法華経より外に】
(一)一つ、真言は、釈迦牟尼仏が説かれた法華経ではなく、

【大日如来の所説なり云云。】
大日如来が説かれた説と言います。

【若し爾れば大日の出世・】
もし、そうであれば、大日如来が生まれたのは、いつなのでしょうか。

【成道・説法・】
成道したのは、いつなのでしょうか。最初に説法をしたのは、いつなのでしょうか。

【利生〔りしょう〕は釈尊より前か後か、如何〔いかん〕。】
衆生に利益を与えたのは、釈迦牟尼仏の前でしょうか、後ろなのでしょうか。

【対機〔たいき〕説法〔せっぽう〕の仏は】
衆生の機根に合わせて説法をする仏は、

【八相作仏〔はっそうさぶつ〕す。】
成道も含めて一生の間に、この世に生まれて来るなどの八種類の姿を顕すのです。

【父母は誰れぞ。】
そうであるならば、大日如来の父母は、誰なのでしょうか。

【名字は如何。娑婆世界〔しゃばせかい〕の仏と云はゞ、世に二仏無く】
その名前は、何と言うのでしょうか。この世界の仏と言えば、二人といないのは、

【国に二主無きは聖教の通判〔つうはん〕なり。】
国に王が二人いないように、あたり前の事なのです。

【涅槃経の三十五の巻を見るべきなり。】
涅槃経の三十五の巻を見てみなさい。

【若し他土〔たど〕の仏なりと云はゞ、】
もし、大日如来が他の土地の仏であると言うのであれば、

【何ぞ我が主師親の釈尊を蔑〔ないがし〕ろにして】
我が主人であり、師匠であり、親である釈迦牟尼仏をないがしろにして、

【他方疎縁〔たほうそえん〕の仏を崇むるや。】
どうして、まったく関係がない大日如来を敬うのでしょうか。

【不忠なり、不孝なり、】
それは、釈迦牟尼仏に対して不忠であり、不孝であり、

【逆路〔ぎゃくろ〕伽耶陀〔かやだ〕なり。】
社会を乱す外道の集団の伽耶陀と同じではないでしょうか。

【若し一体といはゞ何ぞ別仏と云ふや。】
もし、それを同じ仏だと言うのであれば、なぜ別の仏だと言うのでしょうか。

【若し別仏ならば、何ぞ我が重恩の仏を捨つるや。】
もし別の仏であるならば、なぜ大恩が有る釈迦牟尼仏を捨てるのでしょうか。

【唐尭〔とうぎょう〕は老ひ衰へたる母を敬ひ、】
唐尭と言う人は、老いたる母を敬い、

【虞舜〔ぐしゅん〕は頑〔かたく〕ななる父を崇む(是一)。】
虞舜と言う人は、頑固な父を崇めたのです。

【六波羅蜜経に云はく「所謂〔いわゆる〕過去】
(二)大乗理趣六波羅蜜多経には「いわゆる過去からの

【無量ゴウ伽沙〔ごうがしゃ〕の諸仏世尊の所説の正法、】
無数の数多くの仏の説かれた正法を、

【我今亦当〔またまさ〕に是くの如き説を作すべし。】
私は、今まさに、同じように説法をしようとしている。

【所謂八万四千の諸の妙法蘊〔うん〕、】
いわゆる、八万四千の多くの優れた経文を、

【而〔しか〕も阿難陀〔あなんだ〕等の諸大弟子をして一たび耳に聞いて】
阿難たち大弟子に対して、一度聞けば、

【皆悉〔ことごと〕く憶持〔おくじ〕せしむ」云云。】
そのすべてを心に留めて忘れる事がないようにするのである」と言われています。

【此の中の陀羅尼蔵〔だらにぞう〕を弘法は我が真言と云へる。】
この中の陀羅尼蔵を弘法は、勝手に自分が作った真言であると言っているのです。

【若し爾れば此の陀羅尼蔵は釈迦の説に非ざるか。】
もし、そうであるならば、陀羅尼蔵は、釈迦牟尼仏の説ではないのでしょうか。

【此の説に違す(是二)。】
この説は、間違っているのです。

【凡〔およ〕そ法華経は無量千万億の已説〔いせつ〕今説〔こんせつ〕】
(三)およそ法華経は、莫大な数の已〔すで〕に説き、今〔いま〕も説き、

【当説〔とうせつ〕に最第一なり。】
当〔まさ〕に説く、法の中で最高のものなのです。

【諸仏の所説・菩薩の所説・声聞の所説に此の経第一なり。】
諸仏の説法、菩薩の説法、声聞の説法の中で、この法華経が第一なのです。

【諸仏の中に大日漏〔も〕る可きや。】
その諸仏の中に大日如来が漏れているのでしょうか。

【法華経は正直無上道〔しょうじきむじょうどう〕の説、】
法華経は、最高の説であり、

【大日等の諸仏長舌〔ちょうぜつ〕を梵天〔ぼんてん〕に付けて】
大日如来などの諸仏が頷き合って、

【真実と示し給ふ(是三)。】
これは、まったくの真実であると証明されたのです。

【威儀形色経〔いぎぎょうしききょう〕に「身相黄金色にして常に満月輪に遊び】
(四)威儀形色経には「その姿は、黄金色にして常に満月の輪を帯びて、

【定慧智拳〔じょうえちけん〕の印法華経を証誠〔しょうじょう〕す」と。】
大日如来の印は、法華経を真実と証明している」と書いてあります。

【又五仏章の仏も】
また法華経方便品の五仏章である、過去仏、未来仏、現在仏、十方のすべての仏、

【法華経第一と見えたり(是四)。】
釈迦仏などの仏達も、すべての仏が法華経が第一であると言っているのです。

【「要を以て之を言はゞ如来の一切所有〔しょう〕の法、】
(五)「要を持ってこれを言えば、如来の全ての法は、

【乃至皆此の経に於て宣示顕説〔せんじけんぜつ〕す」云云。】
完全に、この法華経によって説明がつく」と言われているのです。

【此等の経文は釈迦所説の諸経の中に第一なるのみに非ず、】
これらの経文は、釈迦牟尼仏の説法の第一であるのみならず、

【三世の諸仏の所説の中に第一なり。】
過去、現在、未来の説法の中の第一なのです。

【此の外一仏二仏の所説の経の中に、】
この外に一人や二人の仏だけが説法の中で、

【法華経に勝れたる経有りと云はゞ用ふべからず。】
法華経よりも優れた経文があるなどと言うわけはないのです。

【法華経は三世不壊〔さんぜふえ〕の】
それは、法華経は、過去、現在、未来において絶対に変わる事がない

【経なる故なり(是五)。】
真実の教えであるからなのです。

【又大日経等の諸経の中に法華経に勝るゝ経文之無し(是六)。】
(六)また大日経などの経文の中に、法華経に優る経文がないからなのです。

【釈尊御入滅より已後〔いご〕、】
(七)釈迦牟尼仏が亡くなって以後、

【天竺〔てんじく〕の論師二十四人の付法蔵〔ふほうぞう〕、】
インドにおいて付嘱を受けた馬鳴、竜樹などの24人の論師、

【其の外大権の垂迹、震旦〔しんだん〕の人師、】
その外、仏、菩薩が生まれ変わって現れた導師、また中国の人師、

【南三北七の十師、】
中国の南部の三師と、北部の七師の十師、

【三論法相〔さんろんほっそう〕の先師の中に、】
日本の南都六宗の三論宗、法相宗の先師の中で、

【天台宗より外に十界互具百界千如一念三千と談ずる人之無し。】
天台宗より外に十界互具、百界千如、一念三千を話題にした人はいないのです。

【若し一念三千を立てざれば】
もし一念三千を立てなければ、仏、菩薩に本来の性分として、

【性悪〔しょうあく〕の義之無し。性悪の義無くば】
悪をそなえる意義はありません。この性悪の意義がなければ、

【仏菩薩の普現色身〔ふげんしきしん〕、】
仏、菩薩が衆生を救うために、相手に応じて種々の姿を表わしたり、

【真言両界の漫荼羅〔まんだら〕、五百七百の諸尊は、】
真言の金剛界、胎蔵界の両界漫荼羅における五百、七百の諸尊は、

【本無今有〔ほんむこんぬ〕の外道の法に同ぜんか。】
原因がないのに現在があると言う矛盾した、外道の法と同じではありませんか。

【若し十界互具百界千如を立てば、】
もし真言宗が十界互具、百界千如を立てているのであれば、

【本経何れの経にか十界皆成〔かいじょう〕の旨之を説けるや。】
真言の三部経のどの経に、十界がすべて成仏すると書いてあるのでしょうか。

【天台円宗〔てんだいえんしゅう〕見聞〔けんもん〕の後、邪智荘厳の為に】
天台円宗を見聞きした後に、邪智によって自らを飾る為に

【盗み取れる法門なり。】
盗み取ったものが、真言宗の一念三千の法門なのではありませんか。

【才芸〔さいげい〕を誦〔じゅ〕し、】
才知を誇り、芸を頼りに、人を欺〔あざむ〕き、

【浮言を吐〔は〕くには依る可からず。】
無責任な言葉が広まっているのに、それを依り処にしてはなりません。

【正しき経文金言を尋ぬべきなり(是七)。】
正しい経文と仏の真実の言葉を尋ねるべきでしょう。

【涅槃経の三十五に云はく「我処々の経の中に於て説いて言はく、】
涅槃経の三十五の巻には「私の数々の経文の中に、このように説いております。

【一人出世すれば多人利益す。】
一人の仏が世に出れば、それだけで多くの人を助ける事が出来る。

【一国土の中に二の転輪王〔てんりんおう〕あり。】
一つの国土に二人の優れた王がいて、

【一世界の中に二仏出世すといはゞ】
一つの世界に二人の仏が世に出るのであれば、

【是の処〔ことわり〕有ること無し」文、】
この論理が合わなくなる」と、このように書いてあります。

【大論の九に云はく】
大論の九に、こう言われています。

【「十方恒河沙〔ごうがしゃ〕三千大千世界を名づけて一仏世界と為す。】
「大河の砂の数の三千大千世界を名づけて一人の仏が生まれ出る世界とする。

【是の中に更に余仏〔よぶつ〕無し。】
この中に別の仏などいない。

【実には一〔ひとり〕の釈迦牟尼仏〔しゃかむにぶつ〕なり」文。】
正しくは、一人、釈迦牟尼仏のみである」と。

【記の一に云はく「世に二仏無く国に二主無し。】
記の一には「世に二人の仏はいない。国に二人の王はいない。

【一仏の境界に二の尊号無し」文。】
一人の仏の境界に二つの尊号はない」と書いてあります。

【持地論〔じじろん〕に云はく「世に二仏無く国に二主無し。】
持地論には「世に二人の仏はいない。国に二人の王はいない。

【一仏の境界に二の尊号無し」文。】
一人の仏の境界には、二つの尊号はない」と書いてあります。

【七月 日   日蓮花押】
7月 日   日蓮花押


ページのトップへ戻る