御書研鑚の集い 御書研鑽資料
池上兄弟御消息文 05 兵衛志殿女房御返事
【兵衛志殿女房御返事 建治三年一一月七日 五六歳】兵衛志(宗長)殿女房御返事 建治3年11月7日 56歳御作
【銅の御器〔ごき〕二つ給び畢〔おわ〕んぬ。】
銅の仏具を二つ頂きました。
【釈迦仏三十の御年、仏になり始〔そ〕めてをはし候時、】
釈尊が三十歳で、まさに仏に成ろうとしておられた時に、
【牧牛〔もくご〕女と申せし女人、】
牛飼いの為に牧牛〔もくご〕女と呼ばれた女性が、
【乳のかい〔粥〕をに〔煮〕て仏にまいらせんとし候ひし程に、】
乳の粥〔かゆ〕を煮て仏に供養しようと思ったのですが、
【いれてまいらすべき器〔うつわ〕なし。】
それを入れる器〔うつわ〕がありませんでした。
【毘沙門〔びしゃもん〕天王等の四天王、四鉢〔はち〕を仏にまいらせたりし、】
その時に毘沙門天王などの四天王が四つの鉢〔はち〕を仏に差し上げたのです。
【其の鉢をうちかさねて】
牧牛女は、その鉢〔はち〕を重ねて、
【かい〔粥〕をまいらせしに仏にはならせ給ふ。】
その中に粥〔かゆ〕を入れて供養したところ、釈尊は、仏に成られました。
【其の鉢、後には人もも〔盛〕らざりしかども、】
その鉢〔はち〕は、のちには、人が飯を盛らなくとも、
【常に飯〔いい〕のみ〔満〕ちしなり。】
つねに飯が満ちたと云う事です。
【後に馬鳴〔めみょう〕菩薩と申せし菩薩、】
のちに戦さに敗れた華氏〔かし〕王が、馬鳴〔めみょう〕菩薩と、その鉢〔はち〕を
【伝へて】
勝った迦弐志加〔かにしか〕王に渡して、
【金銭三貫にほう〔報〕じたりしなり。】
戦いに負けた賠償金の三貫の代わりにした事が付法蔵因縁伝五に書かれています。
【今御器二つを千里にをくり、釈迦仏にまいらせ給へば、】
今、仏具二つを千里を隔てた身延に送って、釈迦牟尼仏に供養されたのですから、
【かの福のごとくなるべし。】
その功徳は、牛飼いの女性が粥〔かゆ〕を供養した鉢〔はち〕と同じなのです。
【委〔くわ〕しくは申さず候。】
これ以上、詳しくは、ここでは、申しあげません。
【十一月七日 日蓮花押】
11月7日 日蓮花押
【兵衛志殿女房御返事】
兵衛志(宗長)殿女房御返事