御書研鑚の集い 御書研鑽資料
池上兄弟御消息文 15 大夫志殿御返事
【大夫志殿御返事 弘安三年一二月初旬 五九歳】大夫志(宗仲)殿御返事 弘安3年12月初旬 59歳御作
【小袖〔こそで〕一つ・直垂〔ひたたれ〕三具・同じく腰三具等云云。】
小袖〔こそで〕一つ、袴〔はかま〕の上下、腰三具などを確かに受け取りました。
【小袖は七貫、直垂並びに腰は十貫、】
小袖は、金子〔きんす〕7貫文、直垂と袴の三具は、10貫文ですから、
【已上十七貫文に当たれり。夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば天台大師の御位を】
以上、合わせると17貫目に相当するものです。よく考えてみると天台大師の位を
【章安〔しょうあん〕大師顕はして云はく、】
章安大師が顕わして言うのには、
【止観の第一に序の文を引いて云はく「安禅として化す、】
止観第一に序文に「天台大師は、安祥として禅定に入って遷化〔せんげ〕された。
【位五品に居したまへり。】
その位は、法華経分別功徳品に説かれている五品の位に居〔お〕られる。
【故に経に云はく、四百万億那由他〔なゆた〕の国の人に施すに】
故に法華経分別功徳品には、四百万億那由他〔なゆた〕の国の人に施すのに、
【一々に皆七宝〔しっぽう〕を与へ、又化して六通を得せしむるすら、】
一人一人に皆、七宝を与え、また、これを教化して六神通を得せしめるとしても、
【初随喜〔しょずいき〕の人に如〔し〕かざること百千万倍せり、】
なお末だ五品中、第一の初隨喜の人には、及ばないこと百千万倍である。
【況〔いわ〕んや五品をや。文に云はく、即ち如来の使ひなり。】
况んや五品の位に達している人に及ぶわけがないと。また法華経法師品には、
【如来の所遣として如来の事を行ず」等云云。】
即ち如来の事を行ずるのである」と述べています。
【伝教大師、天台大師を釈して云はく】
伝教大師は、天台大師について
【「今吾が天台大師は法華経を説き法華経を釈し】
「今、我が天台大師は、法華経を説き、法華経を釈し、
【群に特秀し唐に独歩〔どっぽ〕す」云云。】
特に群を抜きんでて、唐に独歩して並ぶ者がいない」と述べられています。
【又云はく「明らかに知んぬ、如来の使ひなり。】
また「天台大師が如来の使いである事は、明らかに知ることができる。
【讃めん者は福を安明〔あんみょう〕に積み、謗〔そし〕らん者は】
讃めたたえる者は、須弥山〔しゅみせん〕の如き大いなる福を積み、謗る者は、
【罪を無間に開く」云云。如来は且く之を置く。】
無間地獄に堕ちる罪を得る」と述べています。このことは、しばらく置きます。
【滅後の一日より正像末二千二百余年が間、仏の御使ひは二十四人なり。】
仏滅後第一日から正像末二千二百余年の間に仏の御使いは、24人います。
【所謂第一は大迦葉〔かしょう〕、第二は阿難、】
それは、第1は、摩訶迦葉〔まかかしょう〕第2は、阿難〔あなん〕、
【第三は末田地、第四は商那和修〔しょうなわしゅ〕、】
第3は、末田地〔まてんだい〕、第4は、商那和修〔しょうなわしゅ〕、
【第五は毱多〔きくた〕、第六は提多迦〔だいたか〕、】
第5は、憂婆毱多〔うばきくた〕、第6は、提多迦〔だいたか〕、
【第七は弥遮迦〔みしゃか〕、第八は仏駄難提〔ぶっだなんだい〕、】
第7は、弥遮迦〔みしゃか〕、第8は、仏駄難提〔ぶっだなんだい〕、
【第九は仏駄密多〔ぶっだみった〕、第十は脇比丘〔きょうびく〕、】
第9は、仏駄密多〔ぶっだみった〕、第10は、脇比丘〔きょうびく〕、
【第十一は富那奢〔ふなしゃ〕、第十二は馬鳴〔めみょう〕、】
第11は、富那奢〔ふなしゃ〕、第12は、馬鳴〔めみょう〕、
【第十三は毘羅〔びら〕、第十四は竜樹〔りゅうじゅ〕、】
第13は、毘羅〔びら〕、第14は、竜樹〔りゅうじゅ〕、
【第十五は提婆、第十六は羅睺〔らご〕、】
第15は、迦那提婆〔かなだいば〕、第16は、羅睺羅多〔らごらた〕、
【第十七は僧佉難提〔そうぎゃなんだい〕、】
第17は、僧佉難提〔そうぎゃなんだい〕、、
【第十八は僧佉耶奢〔そうぎゃやしゃ〕、】
第18は、僧佉耶奢〔そうぎゃやしゃ〕、
【第十九は鳩摩羅駄〔くまらだ〕、第二十は闍夜那〔しゃやな〕、】
第19は、鳩摩羅駄〔くまらだ〕、第20は、闍夜多〔しゃやた〕、
【第二十一は盤駄〔ばんだ〕、第二十二は摩奴羅〔まぬら〕、】
第21は、婆修盤駄〔ばしゅばんだ〕、第22は、摩奴羅〔まぬら〕、
【第二十三は鶴勒夜奢〔かくろくやしゃ〕、第二十四は師子〔しし〕尊者なり。】
第23は、鶴勒夜奢〔かくろくやしゃ〕、第24は、師子〔しし〕尊者です。
【此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載せたり。】
この24人は、釈尊の記すところの付法蔵経に載せられています。
【但し小乗・権大乗経の御使ひなり、】
ただし、これらの人々は、小乗経や権大乗経を弘める御使いであって、
【いまだ法華経の御使ひにはあらず。】
いまだ法華経を弘める御使いでは、ありません。
【三論宗の云はく、道朗・吉蔵は仏の使ひなりと。】
しかし、三論宗は「道朗、吉蔵は、仏の使いである」と言っています。
【法相宗の云はく、玄奘〔げんじょう〕・慈恩〔じおん〕は仏の使ひなりと。】
また法相宗は「玄奘、慈恩は、仏の使いである」と言っています。
【華厳宗の云はく、法蔵・澄観は仏の使ひなりと。】
華厳宗は「法蔵、澄観は、仏の使いである」と言っています。
【真言宗の云はく、善無畏〔ぜんむい〕・金剛智・不空・】
また真言宗が言うのには「善無畏〔ぜんむい〕、金剛智、不空、
【恵果〔けいか〕・弘法等は仏の使ひなりと。】
恵果〔けいか〕、弘法などは、仏の使いである」と言っています。
【日蓮之を勘へて云はく、】
日蓮がこれを考えてみると、このうち三論、法相、真言などの人々は、
【全く仏の使ひに非ず、全く大・小乗の使ひにも非ず。】
全く仏の使いでは、ありません。また、大乗、小乗の使いでもないのです。
【之を供養せば災を招き】
このような人々に供養すれば、返って災いを招き、
【之を謗ぜば福を至さん。】
逆に、これを非難すれば、福を得るのです。
【問ふ、汝の自義か。】
それでは、それは、あなた自身の考えなのでしょうか。
【答へて云はく、設〔たと〕ひ自義たりと雖も】
それは、たとえ自分自身の考えであっても、
【有文・有義ならば何の科〔とが〕あらん。】
それを証明する経文があり、道理があるならば、何の問題があるでしょうか。
【然りと雖も釈せる有り。】
しかし、これは、自分の考えではなく、これについては、きちんと解釈があります。
【伝教大師の云はく「詎〔なん〕ぞ福を捨て罪を慕ふ者あらんや」と云云。】
伝教大師は「誰が福を捨てて、罪を慕うものがあろうか」と述べいます。
【福を捨つるとは】
この福を捨てるとは、伝教大師の心によれば、
【天台大師を捨つる人なり。罪を慕ふとは上に挙ぐる所の】
天台大師を捨てる事であり、罪を慕うとは、上に挙げたところの
【法相〔ほっそう〕・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨て】
法相、三論、華厳、真言の元祖などを慕うことなのです。これらの諸師を捨てて、
【一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。】
ただ、天台大師を供養する人の受ける福について、今から述べると、
【三千大千世界と申すは東西南北・一須弥山〔しゅみせん〕・】
三千大千世界と云うのは、東西南北、ひとつの須弥山〔しゅみせん〕、
【六欲〔ろくよく〕梵天〔ぼんてん〕を一四天下となづく。】
六欲天〔ろくよくてん〕、梵天を合わせて、それを、ひとつの四天下と名づけ、
【百億の須弥山・四洲等を小千と云ひ、】
百億の須弥山、百億の四州など四天下を集めたものを小千世界と云い、
【小千の千を中千と云ひ、】
この小千世界を千集めたものを中千世界と云い、さらに、
【中千の千を大千と申す。】
この中千世界を千集めたものを大千世界と云い、また、三千大千世界と言うのです。
【此の三千大千世界を一つにして四百万億那由他〔なゆた〕の国の】
この三千大千世界を一つにして、四百万億那由他〔なゆた〕の国の
【六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を】
六道の衆生を80年間、養い、法華経以外の過去、現在、未来に説いた一切経を、
【一々の衆生に読誦せさせて、三明〔さんみょう〕六通〔ろくつう〕の阿羅漢・】
一人一人の衆生に読誦させて、三明智六神力を得た阿羅漢や、
【辟支仏〔びゃくしぶつ〕・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、】
辟支仏〔びゃくしぶつ〕や、等覚の菩薩と成した一人の檀那と、
【世間・出世の財〔たから〕を一分も施さぬ人の法華経計〔ばか〕りを】
世間、出世間において、その財産を、まったく供養をせず、法華経だけを
【一字一句一偈〔いちげ〕持つ人と相対して功徳を論ずるに、】
一字でも、一句でも、一偈でも持〔たも〕つ人の功徳を比較して論じると、
【法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。】
法華経の行者の功徳が百千万億倍、優れているのです。
【天台大師此に勝れたる事五倍なり。】
しかも天台大師は、これより優れていることは、5倍なのです。
【かゝる人を供養すれば】
したがって、このような天台大師に供養すれば
【福を須弥山につ〔積〕み給ふなりと、】
福を須弥山のごとく積むことに成ると、
【伝教大師ことはらせ給ひて候。】
伝教大師が、はっきりと言われているのです。
【此の由を女房には申させ給へ。】
この仏法の道理を、あなたの女房御前にも話してあげてください。
【恐々謹言。】
恐れながら謹んで申し上げます。
【日蓮花押】
日蓮花押
【大夫志殿御返事】
大夫志(宗仲)殿御返事