日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


池上兄弟御消息文 06 兵衛志殿御返事(諌暁抄)

【兵衛志殿御返事 建治三年一一月二〇日 五六歳】
兵衛志(宗長)殿御返事 建治3年11月20日 56歳御作


【かたがたのもの、ふ〔夫〕二人をもってをくりたびて候。】
様々な品物を、使いの人、二人に持たせて、送って頂きました。

【その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候。】
その志については、弁阿闍梨〔べんあじゃり〕殿の手紙に書かれている通りです。

【さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり。】
さて、何よりも、あなたの為に、第一の大事な事を申しましょう。

【正法像法の時は世もいまだをとろ〔衰〕へず、】
正法、像法の時代は、世の中も、いまだ衰える事なく、

【聖人・賢人もつゞき生まれ候ひき。天も人をまぼ〔守〕り給ひき。】
聖人、賢人も続いて誕生しました。そこで諸天も人を守りました。

【末法になり候へば、人のとんよく〔貪欲〕やうやくすぎ候ひて、】
しかし、末法になると、人の貪欲〔どんよく〕さが、次第に強くなって、

【主と臣と親と子と兄と弟と諍論〔じょうろん〕ひまなし。】
主君と臣下と、親と子と、兄と弟とが、言い争いが続くようになり、

【まして他人は申すに及ばず。】
まして、他人同士では、言うまでもなく、言い争いが繰り返されたのです。

【これによりて天もその国をすつれば、三災七難乃至】
これによって、諸天も、その国を捨てて、三災七難が起こり、(中略)

【一二三四五六七の日い〔出〕でて、草木か〔枯〕れう〔失〕せ、】
一つから七つの太陽が出て、草木は、枯れてしまい、

【小大河もつ〔尽〕き、大地はすみ〔炭〕のごとくをこり、】
河川は、大小を問わず、水が枯〔か〕れ、大地は、炭のようになり、

【大海はあぶら〔油〕のごとくになり、けっくは無間地獄〔むけんじごく〕より】
大海は、煮えたぎった油のようになり、最後は、無間地獄から

【炎いでて上梵天〔ぼんてん〕まで火炎充満すべし。】
炎が出て、上梵天まで火炎が充満するのです。

【これ〔是〕てい〔体〕の事いでんとて、やうやく世間はをとろ〔衰〕へ候なり。】
このようなことが起こって、次第に世間は、衰えていくのです。

【皆人のをもひて候は、父には子したがひ、】
すべての人が正しいと思っている事は、子供は、父親に従い、

【臣は君にかなひ、弟子は師にゐ〔違〕すべからずと云云。】
臣下は、主君の意志に従い、弟子は、師匠に従って、違背すべきではないと

【かしこき人もいやしき者もしれる事なり。】
賢い人も、卑しい人も知っているのですが、

【しかれども貪欲〔とんよく〕・瞋恚〔しんに〕・愚癡〔ぐち〕と申す】
しかしながら、貪欲〔どんよく〕、瞋恚〔しんに〕、愚癡〔ぐち〕と云う三毒の

【さけ〔酒〕にゑ〔酔〕ひて、主に敵し、親をかろしめ、】
酒に酔って、臣下でありながら、主君に敵対し、子供が親を軽んじ、

【師をあな〔侮〕づる、つねにみへて候。】
弟子が師匠をみくびることも、少しも珍しい事では、なくなっているのです。

【但師と主と親とに随ひてあしき事を諫〔いさ〕めば】
ただし、師、主、親が悪い時には、これを諌〔いさ〕めることが、

【孝養となる事は、さきの御ふみにかきつけて候ひしかば、】
逆に孝行となるのは、前の手紙に書いておいた通りですので、

【つねに御らむあるべし。】
それを読んでください。

【たゞしこのたびゑもん〔右衛門〕の志〔さかん〕どの〔殿〕かさねて】
ただ、このたび、右衛門(宗仲)殿が再度の

【親のかんだう〔勘当〕あり。】
勘当をされたそうで、

【とのゝ御前にこれにて申せしがごとく、一定かんだうあるべし、】
その事は、あなたの女房御前に、身延において、そうなると申しておいたのですが、

【ひゃうへ〔兵衛〕の志殿をぼつかなし、】
実際にそうなると、兵衛志(宗長)殿の事が非常に気がかりなのです。その時には、

【ごぜん〔御前〕かまへて御心へ〔得〕あるべしと申して候ひしなり。】
女房御前に、あなたがしっかりしなくては、なりませんと言っておきました。

【今度はとの〔殿〕は一定を〔落〕ち給ひぬとをぼ〔覚〕うるなり。】
今度は、あなたは、必ず退転されると思います。

【をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず。】
退転されるのを、どうこう言うつもりは、ありませんが、

【但地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ。】
ただ、地獄に堕ちてから、日蓮を怨〔うら〕んでは、なりません。

【しり候まじきなり。】
その時は、何と言い訳されようと知りません。

【千年のか〔苅〕るかや〔茅〕も一時にはひ〔灰〕となる。】
千年間もたった苅茅〔かるかや〕で屋根をふいた建物でも一時に灰となってしまい、

【百年の功も一言にやぶれ候は法のことわ〔理〕りなり。】
百年の功も一言で破れると云うのは、物事の道理です。

【さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだ〔定〕まり給ふとみへて候。】
父の康光殿は、今度、法華経の敵〔かたき〕である事が定まったように思われます。

【ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。】
そうであれば、兄の宗仲殿は、今度こそ、法華経の行者となられるでしょう。

【とのは現前の計〔はか〕らひなれば親につき給はんずらむ。】
それなのに、あなたは、目先の利益に気を取られて、親に従ってしまうでしょう。

【ものぐる〔物狂〕わしき人々はこれをほめ候べし。】
そして、物事の道理がわからぬ人々からは、これを称〔たた〕えられるでしょう。

【宗盛〔むねもり〕が親父〔おや〕入道の悪事に随ひて】
平宗盛〔むねもり〕が父親の清盛〔きよもり〕入道の悪事に従って、

【しのわら〔篠原〕にて頸を切られし、】
篠原〔しのわら〕で頸〔くび〕を斬られ、

【重盛〔しげもり〕が随はずして先に死せし、】
長兄の重盛は、従わないで、その前に死んでいます。

【いづれか親の孝人なる。】
このどちらが、本当の親孝行の人でしょうか。

【法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をす〔捨〕てば、】
法華経の敵〔かたき〕である親に従って、法華経の行者である兄を捨てるならば、

【親の孝養となりなんや。】
はたして、親に対しても孝行になるのでしょうか。

【せんずるところ、ひとすぢにをも〔思〕ひ切って、兄と同じく仏道をなり給へ。】
結局は、思いきって、兄と同じように仏道を成じることが孝行となるのです。

【親父は妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕のごとし、】
父親は、法華経、妙荘厳王本事品の妙荘厳王〔みょうしょうごんのう〕であり、

【兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。】
兄弟は、浄蔵〔じょうぞう〕や浄眼〔じょうげん)と云う立ち場になるのです。

【昔と今はかわるとも、法華経のことわりたが〔違〕うべからず。】
昔と今と時は、変われども、法華経の道理は、違う事はありません。

【当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてゝ遁世〔とんせい〕あり。】
先ごろも、武蔵入道が多くの所領、家来を捨てて隠居したと云う事がありました。

【ましてわどの〔和殿〕ばらがわづ〔僅〕かの事をへつらひて、】
まして、あなた方が、わずかの所領の為に父親にへつらい、

【心うすくて悪道に堕ちて】
信じる心が疎〔おろそ〕かになって、悪道に堕ち

【日蓮うらみさせ給ふな。】
日蓮を恨むような事があってはなりません。

【かへすがへす今度との〔殿〕は堕つべしとをぼうるなり。】
繰り返し申しますが、今度は、宗長殿は、退転されると思います。

【此程の心ざしありつるが、】
これまで、長い間、信仰して来たのに、

【ひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびん〔不便〕なれば申すなり。】
今、悪道に堕ちるのは、あまりに不敏なので云うのです。

【百に一つ、千に一つも日蓮が義につ〔付〕かんとをぼさば、】
百に一つ、千に一つでも、日蓮の教えを信じようと思うのであれば、

【親に向かっていゐ切り給へ。】
はっきりと、親に向かって言い切りなさい。

【親なればいかにも順〔したが〕ひまいらせ候べきが、】
親であるから、その言葉に従うのは、当然ですが、

【法華経の御かたきになり給へば、】
親が法華経の敵〔かたき〕になってしまうのであれば、

【つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、】
従っては、返って不孝の身となるので、

【す〔捨〕てまいらせて兄につき候なり。】
私は、親を捨てて兄につきます。

【兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。】
兄を勘当されるのならば、私も兄と同じだと思って下さいと言い切りなさい。

【すこしもをそるゝ心なかれ。】
少しも恐れる心があってはなりません。

【過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。】
過去遠々劫より法華経を信じたのに、仏に成れなかった理由は、これなのです。

【しを〔潮〕のひ〔干〕るとみ〔満〕つと、月の出づるといると、】
潮が干く時と満つる時と、月の出る時と入る時、

【夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。】
また、夏、秋、冬、春の四季が変わる時には、必ず普段と異なる事が起こるのです。

【凡夫の仏になる又かくのごとし。】
凡夫が仏になる時も、また同じことです。

【必ず三障四魔と申す障〔さわ〕りいできたれば、】
仏になる時には、必ず三障四魔が現れるのです。

【賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。】
それを、賢者は、喜び、愚者は、怯〔ひる〕んで退〔しりぞ〕くのです。

【此の事はわざ〔態〕とも申し、又びんぎ〔便宜〕にとをもひつるに、】
この事は、こちらから使いを立ててでも、殿に言上したいと思っていましたが、

【御使ひにありがたし。】
ちょうど、御使いを下さったので、有難く思っております。

【堕ち給ふならばよもこの御使ひはあらじとをもひ候へば、】
あなたが退転してしまうならば、このような御使いが、あるわけがないので、

【もしやと申すなり。】
もしかしたら、あなたも信心を全うするかも知れないと思っております。

【仏になり候事は此の須弥山〔しゅみせん〕にはり〔針〕をたてゝ彼の須弥山より】
仏に成る事は、須弥山のこちらの峰に針を立てて、あちらの須弥山の峰より、

【いと〔糸〕をはなちて、そのいとのす〔直〕ぐにわた〔渡〕りて、】
糸を放って、その糸が、まっすぐに渡って、

【はりのあな〔穴〕に入るよりもかたし。いわ〔況〕うやさか〔逆〕さまに】
こちらの峰の針の穴に入るよりも難しいのです。まして、逆向きに

【大風のふきむかへたらんは、いよいよかた〔難〕き事ぞかし。経に云はく】
大風が吹いて来たならば、いよいよ難しいことなのです。法華経の常不軽品には

【「億々万劫より不可議に至って、時に乃〔いま〕し是の法華経を聞くことを得。】
「億々万劫より、不可思議劫に至って、この法華経を聞くことを得て、

【億々万劫より不可議に至って、諸仏世尊時に是の経を説きたまふ。】
億々万劫より、不可思議劫に至って、諸仏世尊は、この経を説かれるのである。

【是の故に行者仏の滅後に於て是くの如き経を聞いて】
このゆえに行者は、仏滅後に、このように遇〔あ〕い難い経を聞いて、

【疑惑を生ずること勿〔なか〕れ」等云云。】
疑惑を生じてはならない」と説かれているのです。

【此の経文は法華経二十八品の中にことにめづら〔珍〕し。】
この経文は、法華経二十八品の中でも、とくに大事な文章なのです。

【序品より法師品にいたるまでは】
序品から法師品に至るまでの法華経の会座〔えざ〕には、

【等覚已下人天・四衆・八部〔ぶ〕】
等覚の菩薩以下、人、天、四衆、八部など、

【そのかず〔数〕ありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり。】
その数は、多くいましたが、仏は、ただ釈迦如来一仏であり、

【重くてかろ〔軽〕きへんもあり。】
重要であるようでも、まだ、軽いとも言えます。

【宝塔品〔ほうとうほん〕より嘱累品〔ぞくるいほん〕にいたるまでの】
宝塔品から嘱累品に至るまでの十二品は、

【十二品は殊に重きが中の重きなり。】
とくに重要な経文の中でも、さらに重いのです。

【其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現〔ゆげん〕せり。】
その理由は、釈迦牟尼仏の御前には、多宝の宝塔が涌現〔ゆげん〕し、

【月の前に日の出でたるがごとし。又十方の諸仏は樹下に御は〔座〕します。】
それは、月の前に太陽が出たようなものであり、十方の諸仏が樹下に居ましたが、

【十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。】
それは、十方世界の草木の上に火を灯〔とも〕したようなものなのです。

【此の御前にてせん〔選〕せられたる文なり。】
その前で説かれた経文なのです。

【涅槃経に云はく「昔無数〔むしゅ〕無量劫より来〔こんかた〕常に苦悩を受く。】
涅槃経には「無数無量劫の昔より、衆生は、つねに苦悩を受けてきた。

【一々の衆生一劫の中に】
一人一人の衆生は、そのただ一つの劫の間だけでも、

【積む所の身の骨は】
無数の生を受けてきており、その間に積んだところの骨は、

【王舍城の毘富羅〔びふら〕山の如く、】
王舎城の毘富羅〔びふら〕山のように膨大になる。

【飲む所の乳汁〔ちち〕は四海の水の如く、】
また、飲んだところの乳汁〔ちち〕は、四海の水のように大量であり、

【身より出だす所の血は四海の水よりも多く、】
身より出した血は、四海の水より多く、

【父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣〔こくきゅう〕して】
父母、兄弟、妻子などの命終に泣き悲しんで、

【出だす所の目涙〔なみだ〕は四大海より多く、】
流したところの涙は、四大海の水よりも多く、

【地の草木を尽して四寸の籌〔かずとり〕となし、】
大地の草木の全てを、四寸の竹製の棒として、

【以て父母を数ふるも亦〔また〕尽すこと能〔あた〕はじ」云云。】
その竹棒を過去の父母の数として数えても、数える事はできない」とあります。

【此の経文は仏最後に双林の本〔もと〕に臥〔ふ〕してかたり給ひし御言なり。】
この経文は、釈尊が最後に双林〔そうりん〕の下で臥〔ふ〕して説かれた経であり、

【もっとも心をとゞむべし。】
最も心に、とどめなければなりません。

【無量劫より已来〔このかた〕生むところの父母は、】
無量劫より以来、自分を産んでくれた父母は、

【十方世界の大地の草木を四寸に切りて、あ〔充〕てかぞ〔算〕うとも、】
十方世界の大地の草木を四寸に切って竹製の棒として、一人一人にあてて数えても

【たるべからずと申す経文なり。此等の父母にはあ〔値〕ひしかども、】
足りないと云う経文です。このように数多くの父母には、会ったけれども、

【法華経にはいまだあわず。】
法華経には、いまだ遇〔あ〕っていません。

【されば父母はまう〔儲〕けやす〔易〕し、法華経はあひがたし。】
それほど父母には、会いやすいが、法華経には、遇〔あ〕い難いのです。

【今度あひやすき父母のことばをそむ〔背〕きて、】
今度、会いやすい父母の言葉に背〔そむ〕いて、

【あひがたき法華経のとも〔友〕にはな〔離〕れずば、】
遇〔あ〕い難い法華経の友から離れなかったならば、

【我が身仏になるのみならず、そむきしをや〔親〕をもみちび〔導〕きなん。】
わが身が仏に成るだけではなく、背いた親をも導く事ができるでしょう。

【例せば悉達太子〔しったたいし〕は】
譬えば、悉達〔しった〕太子は、

【浄飯王〔じょうぼんのう〕の嫡子なり。】
浄飯王〔じょうぼんのう〕の嫡子〔ちゃくし〕でした。

【国をもゆづり位にもつけんとをぼして、すでに御位につけまいらせたりしを、】
浄飯王は、国も譲り、王位にも就〔つ〕けようと思い、そして王位に就けましたが、

【御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給ひしかば、】
その心に背いて太子は、夜中に城を逃げ出されたので、

【不孝の者なりとうら〔恨〕みさせ給ひしかども、】
浄飯王は、太子を不孝の者であると恨んでいましたが、

【仏にならせ給ひてはまづ浄飯王・摩耶〔まや〕夫人をこそみちびかせ給ひしか。】
太子は、仏になると、まず、最初に浄飯王、麻耶〔まや〕夫人を導かれたのです。

【をや〔親〕というをやの世をすてゝ仏になれと申すをやは一人もなきなり。】
親と云う親で、世の中を捨てて仏に成れとすすめる親は、一人も居ないのです。

【これはとによ〔寄〕せかくによせて、】
これは、何かに事よせて、

【わどの〔和殿〕ばらを持斎・念仏者等がつくりを〔堕〕とさんために、】
持斎、念仏者たちが、様々に画策して、あなたたちを退転させる為に、

【をや〔親〕をすゝめをとすなり。】
まず、親をそそのかして悪道に堕としているのです。

【両火房は百万反の念仏をすゝめて人々の内をせ〔塞〕きて、】
両火房(良観)は、百万遍の念仏称名をすすめ、人々の仲を裂いて、

【法華経のたね〔種〕をたゝんとはか〔謀〕るときくなり。】
法華経の仏種を断とうと謀っていると聞いております。

【極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。】
極楽寺殿(北条重時)は、立派な人でしたが、

【念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給ひしかば、】
念仏者などに騙〔だま〕されて、日蓮を怨〔うら〕みに思われたので、

【我が身といゐ其の一門皆ほろびさせ給ふ。】
我が身と云い、その一門と云い、皆、滅びてしまったのです。

【たゞいまはへちご〔越後〕の守〔かみ〕殿一人計りなり。】
現在、残っているのは、越後の守殿(北条業時)一人だけです。

【両火房を御信用ある人はいみじきと御らむ〔覧〕あるか。】
両火房を信用している人が栄えていると御思いになりますか。

【なごへ〔名越〕の一門の善覚寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給ひて】
名越〔なごえ〕の一門が善光寺、長楽寺、大仏殿を立てられて、

【其の一門のな〔成〕らせ給ふ事をみよ。】
その後、その一門が、どうなったかを見なさい。

【又守殿〔こうどの〕は日本国の主にてをはするが、】
また、守〔こう〕殿(北条時宗)は、日本の主では、あられるが、

【一閻浮提〔いちえんぶだい〕のごとくなる】
一閻浮提を敵にまわしたと言ってもいいような、

【かたきをへ〔得〕させ給へり。】
大蒙古国と云う敵〔かたき〕にぶつかっています。

【わどの兄をすてゝあにがあとをゆづ〔譲〕られたりとも、】
あなたが兄を捨てて、兄が勘当になった、その跡を譲られたとしても、

【千万年のさか〔栄〕へかたかるべし。】
千万年も栄える事は、難しいのです。

【しらず、又わづかの程にや。】
それも、わずかの間に滅びてしまうかも知れません。

【いかんがこ〔此〕のよ〔世〕ならんずらん。】
どうして、この世の中で滅びないと云う保証があるでしょうか。

【よくよくをもひ切って、一向に後世をたのまるべし。】
よくよく思い切って、ひたすら後世を頼みなさい。

【かう申すとも、いたづらのふみ〔文〕なるべしとをもへば、】
このように言っても、無駄な手紙になると思うと、

【かくもものう〔物憂〕けれども、】
書くのも物憂いのですが、

【のち〔後〕のをも〔思〕ひで〔出〕にしるし申すなり。恐々謹言。】
後々の思い出になると思って記しております。恐れながら謹んで申し上げます。

【十一月二十日    日蓮花押】
11月20日    日蓮花押

【兵衛志殿御返事】
兵衛志(宗長)殿御返事


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