日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 3 死身弘法


第02章 死身弘法

【日蓮悦〔よろこ〕んで云はく、】
これを聞いて日蓮は、悦んで次のように言ったのです。

【本より存知の旨〔むね〕なり。】
「このような留難が降りかかることは、はじめからよく承知していたことであり、

【雪山〔せっせん〕童子〔どうじ〕は半偈〔はんげ〕のために身をなげ、】
雪山童子は、半偈のために鬼神へ身を投げ与え、

【常啼〔じょうたい〕菩薩〔ぼさつ〕は身をうり、】
常啼菩薩は、法を求めるために身を売り、

【善財〔ぜんざい〕童子〔どうじ〕は火に入り、】
善財童子は、求法のために高山から火のなかに飛び込み、

【楽法梵士〔ぎょうぼうぼんじ〕は皮をはぐ、】
楽法梵士は、仏法の悟りの句を書き残すために自分の身の皮を剥いで紙とし、

【薬王〔やくおう〕菩薩〔ぼさつ〕は臂〔ひじ〕をやく、】
薬王菩薩は、肘〔ひじ〕を焼いて燈明とし、

【不軽〔ふきょう〕菩薩〔ぼさつ〕は杖木〔じょうもく〕をかうむり、】
不軽菩薩は、正法を説いて増上慢の者に杖木で打たれ、

【師子〔しし〕尊者〔そんじゃ〕は頭をはねられ、】
師子尊者は、壇弥羅王に首を斬られ、

【提婆〔だいば〕菩薩〔ぼさつ〕は外道にころさる。】
提婆菩薩は、法論に負けた外道の弟子に殺された。

【此等はいかなりける時ぞやと勘〔かんが〕ふれば、】
以上の実例は、どういう時期に起こったのかと考えてみると、

【天台大師は「時に適〔かな〕ふのみ」とかゝれ、】
天台大師は、法華文句に「摂受か折伏かは時に適って行なうのである」と述べ、

【章安〔しょうあん〕大師は「取捨〔しゅしゃ〕宜〔よろ〕しきを得て】
それを受けて章安大師は、涅槃経の疏に「摂折二門は、時に拠って取捨宜しきを得て

【一向〔いっこう〕にすべからず」としるさる。】
片寄るべきではなく、正像末で変わるものである」と記〔しる〕している。

【法華経は一法なれども機にしたがひ】
であるから、法華経自体は、一法であるけれども、衆生の機根に従い、

【時によりて其の行万差〔ばんさ〕なるべし。】
時によって、その修行の方法は、さまざまに差別があるべきで、

【仏記〔しる〕して云はく】
釈尊が記〔しる〕して言うのには

【「我が滅後〔めつご〕正像〔しょうぞう〕二千年すぎて、】
「我が滅後、正法、像法二千年が過ぎて、

【末法の始めに此の法華経の肝心】
末法に入ると、その始めに、この法華経の肝心である、

【題目の五字計りを弘めんもの出来すべし。】
題目の五字だけを弘める人が出現するであろう。

【其の時悪王・悪比丘等、大地微塵〔みじん〕より多くして、】
其のときには、悪王や悪僧が大地の土よりも数多く現れて、

【或は大乗、或は小乗等をもてきそはんほどに、】
あるいは、大乗、あるいは、小乗をもって、この法華経の行者と競い合い、

【此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて、】
この題目の行者に折伏によって責められる為に、在家の信者などと誘い合って、

【或はの〔罵〕り、或はう〔打〕ち、或はろう〔牢〕に入れ、或は所領を召し、】
あるいは悪口し、あるいは打ち、あるいは牢に入れ、あるいは所領を取り上げ、

【或は流罪、或は頸をはぬべし、などいふとも、】
あるいは、流罪にし、あるいは、首を斬るなどと言って脅迫するが、

【退転なくひろむるほどならば、】
それにも、かかわらず、退転せずに正法を弘めるならば、

【あだをなすものは国主はどし〔同志〕打ちをはじめ、】
これらの仇をなす者たちは、国主は、同士討ちをはじめ、

【餓鬼〔がき〕のごとく身をくらひ、】
国民は、餓鬼のように互いにその身を食い合い、

【後には他国よりせめらるべし。】
のちには他国から攻められるであろう。

【これひとへに梵天〔ぼんてん〕・帝釈〔たいしゃく〕・】
この他国侵逼〔しんぴつ〕の難は、ひとえに梵天、帝釈、

【日月〔にちがつ〕・四天〔してん〕等、法華経の敵なる国を】
日天、月天、四大天王などが法華経の敵〔かたき〕である国に対して

【他国より責めさせ給ふなるべし」ととかれて候ぞ。】
他国によって、その謗法の罪を責めさせるのである」と説かれているのである。

【各々〔おのおの〕我が弟子となのらん人々は】
各々、日蓮の弟子と名乗る人々は、

【一人もをく〔臆〕しをもはるべからず。】
一人として臆する心を起さず、

【をや〔親〕ををもひ、めこ〔妻子〕ををもひ、】
親のことを心配したり、妻子のことを心配したり、

【所領をかへりみることなかれ。】
所領を顧みては、なりません。

【無量劫〔むりょうこう〕よりこのかた、をやこ〔親子〕のため、所領のために、】
無量劫の過去から今日に至るまで、親や子のため、また所領のために、

【命をすてたる事は大地微塵よりもをほし。】
命を捨てたことは、大地の砂の数よりも多いのですが、

【法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。】
法華経のために一度たりとも命を捨てたことはないのです。

【法華経をばそこばく行ぜしかども、】
過去世に法華経をずいぶん修行したけれども、

【かゝる事出来せしかば退転してやみにき。】
このような大難が出て来た場合には、いつも退転してしまっていたのであり、

【譬へばゆ〔湯〕をわかして水に入れ、】
それは、たとえば、せっかく湯を沸かしておきながら、水に入れてしまい、

【火を切るにと〔遂〕げざるがごとし。】
火を起こしている最中に吹き消すようなものなので、

【各々思ひ切り給へ。】
今度こそ、各自が覚悟を決めて最後までやり通しなさい。

【此の身を法華経にかうるは】
命を捨ててでも、この身を法華経と替えるのは、

【石に金をかへ、糞に米をか〔替〕うるなり。】
石を黄金と取り換え、糞を米と交換するようなものなのです。


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