日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 13 三度目の国諌


第12章 三度目の国諌

【同じき四月八日平左衛門尉に見参しぬ。】
そして4月8日に平左衛門尉に対面したのです。

【さき〔前〕にはにるべくもなく威儀を和〔やわ〕らげてたゞ〔正〕しくする上、】
彼等は、前と打って変わって、表情を和らげて礼儀正しくした上に、

【或入道は念仏をとふ、或俗は真言をとふ、或人は禅をとふ、】
ある入道は、念仏について質問し、ある俗人は、真言を問い、ある人は、禅を問い、

【平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ。】
平左衛門尉は、爾前に得道が有るか無いかを質問したのです。

【一々に経文を引きて申す。】
これらには、一つ一つ、はっきりと経文を引いて答えたのですが、

【平左衛門尉は上の御使ひの様にて、】
その中で平左衛門尉は、執権北条時宗に命じられていたようすで、

【大蒙古国はいつか渡り候べきと申す。】
「大蒙古国は、一体いつ攻めて参りましょうか」と尋ねたのです。

【日蓮答へて云はく、今年は一定なり、】
日蓮は、今年中に必ずと答え、

【それにとっては日蓮己前より勘へ申すをば御用ひなし。】
「そのことについては、日蓮が以前から考えて進言しているのに、もちいられない。

【譬へば病の起こりを知らざらん人の病を治せば】
譬えば、病いの原因を知らない者が、病いを治療すれば、

【弥〔いよいよ〕病は倍増すべし。真言師だにも調伏〔じょうぶく〕するならば、】
病いは、いよいよ、ひどくなる道理で、真言師が蒙古調伏の祈禱をするならば、

【弥此の国軍〔いくさ〕にま〔負〕くべし】
ますます、この国は、戦に負けることになろう。

【穴賢〔あなかしこ〕穴賢。真言師総じて当世の法師等をもて】
決して真言師や、今の諸宗の法師などをもって、

【御祈り有るべからず。】
祈禱をしてはならない。

【各々は仏法をしらせ給ひておわすにこそ申すともしらせ給はめ。】
彼らが仏法を知っているのならば、ともかく、そうではないから判らないのである。

【又何なる不思議にやあるらん、】
また、どういう訳であろうか、

【他事にはこと〔殊〕にして日蓮が申す事は御用ひなし。】
余所の者達と違って、日蓮が申す事に限って、もちいられない。

【後に思ひ合はせさせ奉らんが為に申す。】
やむをえないので、後で考えるために話しておくが、

【隠岐法皇は天子なり。権大夫〔ごんのたいふ〕殿は民ぞかし。】
隠岐法皇は、天皇であり、北条義時は、民衆ではないか。

【子の親をあだまんをば天照太神うけ給ひなんや。】
子が親に仇をなすのを、天照太神が助けることがあるであろうか。

【所従が主君を敵〔かたき〕とせんをば正八幡は御用ひあるべしや。】
家来が主君を敵にするのを、正八幡は、もちいられるであろうか。

【いかなりければ公家はまけ給ひけるぞ。此は偏〔ひとえ〕に只事にはあらず。】
それなのに公家は、負けたので、これは、まさしく、ただ事ではないのです。

【弘法大師の邪義、慈覚〔じかく〕大師・智証〔ちしょう〕大師の】
弘法大師の邪義、慈覚大師、智証大師の

【僻見〔びゃっけん〕をまことと思ひて、】
僻見を真実と思って、

【叡山・東寺・園城寺〔おんじょうじ〕の人々の鎌倉をあだみ給ひしかば、】
叡山、東寺、園城寺の人々が鎌倉幕府を仇〔かたき〕にしたので、

【還著於本人〔げんじゃくおほんにん〕とて】
還著於本人と言って、

【其の失〔とが〕還〔かえ〕って公家はまけ給ひぬ。】
その罪が、祈った方へ還って来て、公家が負けたのです。

【武家は其の事知らずして調伏も行なはざればかち〔勝〕ぬ。】
武家は、祈禱の事などは、知らないので、調伏を行なわなかったから勝ったのです。

【今又かくの如くなるべし。ゑぞ〔蝦夷〕は死生不知のもの、】
今、また、そのようなことになるでしょう。蝦夷は、死生の理を知らぬ者、

【安藤五郎は因果の道理を弁へて堂塔多く造りし善人なり。】
安藤五郎は、因果の道理を弁〔わきま〕えて堂塔を沢山造った善人なのです。

【いかにとして頸をばゑぞにとられぬるぞ。】
それなのに、どうして蝦夷に首を取られたのであろうか。

【是をもて思ふに、此の御房たちだに御祈りあらば】
これを以って考えるに、この僧侶らが、祈禱をするならば、

【入道殿事〔こと〕にあひ給ひぬと覚え候。】
北条時宗殿は、必ず大事件に遇〔あ〕うと確信するものです。

【あなかしこあなかしこ。さい〔言〕はざりけるとおほせ候なと、】
そのようになってから、聞いてないなどと言わないで頂きたい」と、

【したゝかに申し付け候ひぬ。】
はっきりと、申し上げたのです。


ページのトップへ戻る