日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 7 竜の口の法難


第06章 竜の口の法難

【ゆい〔由比〕のはまにう〔打〕ちい〔出〕でて、】
由比が浜に出て、

【御りゃう〔霊〕のまへにいたりて又云はく、】
御霊社の前にさしかかったとき、

【しばしとのばら〔殿原〕、これにつ〔告〕ぐべき人ありとて、】
「しばらく待ってください。ここに、このことを知らせるべき人がいる」と言って、

【中務〔なかつかさ〕三郎左衛門尉と申す者のもとへ、】
四条金吾と言う者のところへ、

【熊王と申す童子をつかはしたりしかばいそ〔急〕ぎいでぬ。】
熊王と言う子供を使いに出したところ、彼は、急いで出てきたのです。

【今夜頸〔くび〕切られへまか〔罷〕るなり、この数年が間願ひつる事これなり。】
「今夜、首を斬られに行きます。この数年の間、願ってきたことは、これなのです。

【此の娑婆世界にしてきじ〔雉〕となりし時はたか〔鷹〕につかまれ、】
この娑婆世界において雉〔きじ〕となったときは、鷹〔たか〕につかまれ、

【ねずみとなりし時はねこにくらはれき。】
ねずみとなったときは、猫に食われました。

【或はめ〔妻〕に、こ〔子〕に、かたきに身を失ひし事大地微塵より多し。】
また、妻子の為に敵と戦い身を失ったことは、大地微塵の数よりも多いのですが、

【法華経の御ためには一度も失ふことなし。】
それでも法華経のためには、ただの一度も命を失うことがなかったのです。

【されば日蓮貧道の身と生まれて、父母の孝養心にたらず、】
そのために、日蓮は、貧しい僧侶の身と生まれ、父母への孝養も心にまかせず、

【国の恩を報ずべき力なし。】
国の恩を報ずべき力もなく、

【今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん。】
今度こそ、首を法華経に奉〔たてまつ〕って、その功徳を父母に回向し、

【其のあまりは弟子檀那等にはぶく〔配当〕べしと申せし事】
その余りは、弟子檀那に分けようと言って来たのは、

【これなりと申せしかば、左衛門尉兄弟四人馬の口にとりつきて、】
このことなのです」と告げると四条金吾の兄弟四人は、馬の口に取りついて、

【こしごへ〔腰越〕たつ〔竜〕の口にゆきぬ。】
このような状態のまま、腰越の竜の口へとたどり着いたのです。

【此〔ここ〕にてぞ有らんずらんとをもうところに、】
「首を斬るのは、ここであろうか」と思っていたところ、

【案にたがはず兵士〔つわもの〕どもうちまはりさわ〔騒〕ぎしかば、】
案に違わず兵士どもが日蓮を取りかこんで騒ぎ、

【左衛門尉申すやう、只今なりとな〔泣〕く。日蓮申すやう、】
四条金吾が、ただいまなりと言って泣いたので、それを諭して日蓮が

【不かく〔覚〕のとのばらかな、これほどの悦びをばわらへかし、】
「実におかしな人である。これほどの悦びを、なぜ笑わないのか。

【いかにやくそく〔約束〕をばたがへらるゝぞと申せし時、】
なぜ、今まで言った事を違えられようか」と告げた時に、

【江のしま〔島〕のかたより月のごとくひかり〔光〕たる物、】
江の島の方向から月のように光った物が現われて、

【まり〔鞠〕のやうにて辰巳〔たつみ〕のかたより】
鞠のように東南の方向から

【戌亥〔いぬい〕のかたへひかり〔光〕わたる。】
西北の方角へと光りながら飛んで行ったのです。

【十二日の夜のあけぐれ〔昧爽〕、人の面〔おもて〕もみ〔見〕へざりしが、】
十二日の夜明け前の暗がりで、人の顔も、まったく見えなかったのに、

【物のひかり〔光〕月よ〔夜〕のやうにて人々の面もみなみゆ。】
この光によって、月夜のようになり、人々の顔も、皆、見えたのです。

【太刀取目くらみたふ〔倒〕れ臥し、】
太刀取りは、目が眩〔くら〕んで倒れ臥〔ふ〕してしまい、

【兵共〔つわものども〕おぢ怖〔おそ〕れ、】
兵士どもは、怯〔ひる〕み怖〔おそ〕れて、

【けう〔興〕さめ〔醒〕て一町計りはせのき、】
百メートルばかり後退〔あとずさ〕り、

【或は馬よりをりてかしこまり、或は馬の上にてうずくまれるもあり。】
ある者は馬から下りてかしこまり、また馬の上でうずくまっている者もあり、

【日蓮申すやう、いかにとのばら〔殿原〕かゝる大に禍なる召人〔めしうど〕には】
日蓮が「どうして、これほどの大罪がある者から、

【とを〔遠〕のくぞ、近く打ちよ〔寄〕れや打ちよれやと】
遠のくのか、近くへ寄って来なさい」と、

【たかだか〔高高〕とよばわれども、いそぎよる人もなし。】
高々と呼びかけたのですが、急ぎ寄る者もなく、

【さてよ〔夜〕あけばいかにいかに、】
「こうして夜が明けてしまったならば、どうするのか、

【頸切るべくわいそ〔急〕ぎ切るべし、】
首を斬るなら早く斬るがよい。

【夜明けなばみ〔見〕ぐる〔苦〕しかりなんとすゝめ〔勧〕しかども、】
夜が明けてしまえば、さぞ見苦しくなるであろう」と勧めたけれども、

【とかくのへんじ〔返事〕もなし。】
なんの返事もなかったのです。

【はるか計りありて云はく、さがみ〔相模〕のえち〔依智〕と申すところへ】
しばらくしてから「相模の依智という所へ

【入らせ給へと申す。】
お入り下さい」と言うのです。

【此は道知る者なし、さきうち〔先導〕すべしと申せども、】
「こちらには、道を知る者がいないので、案内しなさい」と言ったけれども、

【うつ人もなかりしかば、さてやすらふ〔小憩〕ほどに、】
案内する者も、いないので、しばらく休んでいると、

【或る兵士〔もののふ〕の云はく、】
ある兵士が、

【それこそその道にて候へと申せしかば、道にまかせてゆく。】
ここが依智への道であると言ったので、道にまかせて進んだのです。

【午〔うま〕の時計りにえち〔依智〕と申すところへ】
そうして正午ごろに依智と言うところへ

【ゆ〔行〕きつ〔着〕きたりしかば、】
着いたので、

【本間の六郎左衛門がいへ〔家〕に入りぬ。】
そこの本間六郎左衛門尉重連〔しげつら〕の館〔やかた〕へと入ったのです。

【さけ〔酒〕とりよせて、ものゝふどもにの〔飲〕ませてありしかば、】
そして酒を取り寄せて、付いて来た兵士に飲ませていたところ、

【各かへ〔帰〕るとてかう〔頭〕べをうなだれ、手をあざ〔叉〕へて申すやう、】
彼等が帰りますと言い出し、頭を下げ、合掌して言うのには、

【このほどはいかなる人にてやをはすらん、】
「今までは、どのような御方か存じませんでしたが、

【我等がたのみて候阿弥陀仏をそしらせ給ふとうけ給はれば、】
我々が頼んできた阿弥陀仏を謗〔そし〕っていると聞いていたので、

【にくみまいらせて候ひつるに、】
どのような悪人であることかと憎んでいました。

【まのあたりをが〔拝〕みまいらせ候ひつる事どもを見て候へば、】
しかしながら直接に御会いし、昨夜からのことを見て、

【たう〔尊〕とさにとしごろ申しつる念仏はすて候ひぬとて、】
あまりにも尊いので、長年、唱えて来た念仏は、捨てました」と言って、

【ひう〔火打〕ちぶくろ〔袋〕よりずゞ〔数珠〕とりいだしてすつる者あり。】
火打ち袋より、念仏の数珠を取り出して捨てる者もいました。

【今は念仏申さじとせいじゃう〔誓状〕をたつる者もあり。】
「今後は、念仏は唱えません」と誓状を差し出す者もいたのです。

【六郎左衛門が郎従等番〔ばん〕をばうけとりぬ。】
本間重連の家来達が警護の役目を引き受けたので、

【さえもんのじょう〔左衛門尉〕もかへりぬ。】
ようやく四条金吾も帰って行きました。


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