日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 17 頭破作七分


第16章 頭破作七分

【疑って云はく、法華経の行者をあだむ者は】
しかしながら、法華経の行者をあだむ者は

【頭破作七分ととかれて候に、】
「頭、破れて七分と作らん」と説かれているのに、

【日蓮房をそしれども頭〔こうべ〕もわれぬは、】
日蓮を謗〔そし〕っても、誰も頭が割れないのは、

【日蓮房は法華経の行者にはあらざるかと申すは、】
日蓮は、法華経の行者では、ないのではないかと、そう言うのも、

【道理なりとをぼへ候はいかん。】
道理のように思うのですが、いかがでしょうか。

【答へて云はく、日蓮を法華経の行者にてなしと申さば、】
日蓮を法華経の行者では、ないと言うのならば、

【法華経をなげすてよとかける法然等、】
法華経を投げ捨てよと書いた法然や、

【無明〔むみょう〕の辺域〔へんいき〕としるせる弘法大師、】
釈尊を、まだ無明に属する者であると書いた弘法大師、

【理同事勝〔りどうじしょう〕と宣べたる】
法華と真言は、理は、同じだが、事では、真言が優れていると述べた

【善無畏・慈覚等が法華経の行者にてあるべきか。】
善無畏、慈覚こそが法華経の行者なのでしょうか。

【又頭破作七分と申す事はいかなる事ぞ。】
また、頭破作七分と言うことは、どう言うことであるのでしょうか。

【刀をもてきるやうにわ〔割〕るゝとしれるか。】
人々は、刀で斬ったときのように割れるのだと思っていますが、

【経文には如阿梨樹枝〔にょありじゅし〕とこそと〔説〕かれたれ。】
経文には「阿梨樹の枝のごとし」と説かれているではないですか。

【人の頭に七滴〔てき〕あり、】
もともと人の頭のなかには、精気の根元をなす七滴の水があるのですが、

【七鬼神ありて】
七人の鬼神がいて、これを取って食べようと隙〔すき〕をうかがっていて

【一滴食らへば頭をいたむ、三滴を食らへば寿〔いのち〕絶えんとす、】
一滴食えば、頭を痛める、三滴を食えば、寿命が絶えようとし、

【七滴皆食らへば死するなり。】
七滴全部を食えば、人は死ぬのです。

【今の世の人々は皆頭〔こうべ〕阿梨樹の枝のごとくにわれたれども、】
今の世の人々は、皆、頭が阿梨樹の枝のように破れてしまっているのですが、

【悪業ふかくしてしらざるなり。】
悪業が深いために自覚がないのです。

【例せばてを〔手負〕いたる人の、或は酒にゑ〔酔〕ひ、】
たとえば、傷を負った人が酒に酔ったり、深く寝入ってしまって、

【或はねい〔寝入〕りぬれば、をぼえざるが如し。】
その傷の痛みを感じないのと、同じなのです。

【又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して、】
また、頭破作七分と言うのは、または、心破作七分とも言って、

【頂〔いただき〕の皮の底にある骨のひゞた〔狂〕ぶるなり。】
頭の皮の底にある骨が狂うのです。

【死ぬる時はわるゝ事もあり。今の世の人々は去ぬる正嘉の大地震、】
死ぬときは、割れることもあるのです。今の世の人々は、去る正嘉の大地震、

【文永の大彗星〔すいせい〕に皆頭われて候なり。】
文永の大彗星出現のときに、みんな頭が破れてしまったのです。

【其の頭のわれし時ぜひぜひ〔喘息〕やみ、】
その頭が破れたときに喘息を病み、

【五蔵の損ぜし時あかき〔赤痢〕腹をやみしなり。】
五臓を損なったときに赤痢になって腹を病んだのです。

【これは法華経の行者をそし〔謗〕りしゆへにあたりし罰とはしら〔知〕ずや。】
これは、法華経の行者を謗〔そし〕ったためにあたってしまった罰なのです。


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