日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 11 開目抄の御述作


第10章 開目抄の御述作

【さて皆帰りしかば、】
みんな、帰ったので、

【去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。】
去年の11月から、考えていた開目抄と言う二巻を書き著したのです。

【頸切らるゝならば】
これは、もし首を斬られたならばと思い、

【日蓮が不思議とゞ〔留〕めんと思ひて勘へたり。】
日蓮の身の不思議を書き留めて置こうと考えて行ったもので、

【此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。】
この文書の主題は、「日蓮によって日本国の有無は、決まるのである。

【譬〔たと〕へば宅〔いえ〕に柱なければたもたず。】
譬えば、家に柱がなければ保〔たも〕てず、

【人に魂なければ死人なり。】
人に魂がなければ、死人であるのと同じ道理なのです。

【日蓮は日本の人の魂なり。】
日蓮は、日本の人の魂であり、

【平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。】
平左衛門は、すでに日本の柱を倒してしまったのです。

【只今世〔よ〕乱れて、】
そのために、現在、世の中が乱れて、

【それともなくゆめ〔夢〕の如くに妄語出来して、】
まったく、妄想の中の出来事のような事実でない流言が出てきて、

【此の御一門どしう〔同士討〕ちして、後には他国よりせめらるべし。】
北条一門が同士打ちを始め、後には、他国から攻められるであろう。

【例せば立正安国論に委〔くわ〕しきが如し。】
それは、立正安国論に詳しく述べたとおりなのである」と、

【かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使ひにとらせぬ。】
このように書き付けて、四条金吾の使いに持たせてやったのです。

【つきたる弟子等もあらぎ〔強義〕かなと思へども、力及ばざりげにてある程に、】
そばにいる弟子達も、乱暴な主張であるが、仕方がないと言う雰囲気であり、

【二月の十八日に島に船つく。】
そのうち2月18日に島に船が着いて、

【鎌倉に軍あり、京にもあり、そのやう申す計りなし。】
鎌倉で戦があり、京都でもあって、その状態は、大変なものであったと言うのです。

【六郎左衛門尉其の夜にはやふね〔早舟〕をもて、一門相具してわたる。】
本間重連は、その夜、早舟をもって一門を率いて渡って行ったのです。

【日蓮にたな心を合はせて、たすけさせ給へ、】
そのとき日蓮に手を合わせて「お助け下さい。

【去ぬる正月十六日の御言いかにやと此の程疑ひ申しつるに、】
正月16日の御言葉を今まで疑って参りましたが、

【いくほどなく三十日が内にあひ候ひぬ。】
ほどなく三十日の内に、その通りになりました。

【又蒙古国も一定渡り候なん。】
それでは、また蒙古国も必ずや攻めて来ることでありましょう。

【念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん。】
念仏の無間地獄も、また、正しいことでありましょう。

【永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云ふとも、】
今後は、決して念仏を申しません」と言ったので、あなたがどう言おうとも、

【相模守殿等の用ひ給はざらんには、】
執権、北条時宗殿が、もちいられないならば、

【日本国の人用ゆまじ。用ゐずば国必ず亡ぶべし。】
日本の人々も、もちいられず、もちいなければ、国は、必ず亡びるのです。

【日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦仏の御使ひぞかし。】
日蓮は、愚かな者であるが、法華経を弘めている以上は、釈迦仏の御使いである。

【わづかの天照太神・正八幡なんどと申すは此の国には重んずけれども、】
天照太神や正八幡などと言う神は、この国でこそ重んじられているけれども、

【梵〔ぼん〕釈・日月・四天に対すれば小神ぞかし。】
梵天帝釈、日月、四天王に対するならば、小神にすぎないのです。

【されども此の神人なんどをあやまち〔過〕ぬれば、】
それでも、これに仕える神人などを殺したならば、

【只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし。】
普通の人を殺した場合の七人半に、あたるのです。

【太政入道・隠岐法皇等のほろび給ひしは是なり。】
平清盛や隠岐法皇などが亡んだのは、このためなのです。

【此はそれにはに〔似〕るべくもなし。】
しかし、日蓮への迫害は、それには似るべくもない大罪であり、

【教主釈尊の御使ひなれば】
日蓮は、教主釈尊の御使いであるから、

【天照太神・正八幡宮も頭をかたぶけ、手を合はせて地に伏し給ふべき事なり。】
天照太神、正八幡宮も頭を下げ、手を合わせて、地に伏すべきなのです。

【法華経の行者をば梵釈左右に侍り】
法華経の行者に対しては、梵天、帝釈は、左右に仕え、

【日月前後を照らし給ふ。】
日天、月天は、前後を照らし給うのです。

【かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやま〔敬〕はゞ国亡ぶべし。】
このように日蓮を、もちいたとしても、悪しく敬うならば、必ず国が亡ぶのです。

【何に況んや数百人ににく〔憎〕ませ二度まで流しぬ。】
まして敬うどころか、数百人に憎ませ、二度までも流罪にしたのですから、

【此の国の亡びん事疑ひなかるべけれども、】
この国が亡びることは、疑いないけれども、

【且〔しばら〕く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひか〔控〕うればこそ、】
しばらく神々を制止して、国を助け給えと日蓮がひかえたればこそ、

【今までは安穏にありつれども、】
今までは、安穏であったのですが、

【はう〔法〕に過ぐれば罰あたりぬるなり。】
理不尽な行為が、あまりに度を越したから、罰があたってしまったのです。

【又此の度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて】
また、このたびも、もちいなければ、大蒙古国から襲撃を受けて、

【日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざはひなり。】
日本は、亡ぼされるでしょう。これは、平左衛門が自らが選んで招く災いなのです。

【和殿原〔わどのばら〕とても此の島とても】
そのときは、あなた方も、この佐渡であったとしても

【安穏なるまじきなりと申せしかば、】
安穏ですむはずはないのです」と聞かせたところ、

【あさましげにて立ち帰りぬ。】
驚き、呆〔あき〕れたようすで帰って行ったのです。

【さて在家の者ども申しけるは、】
これを伝え聞いた、在家の者どもが言うのには、

【此の御房は神通〔じんずう〕の人にてましますか、あらおそろしおそろし。】
「この御房は、神通の御方であろうか、ああ、怖ろしい、怖ろしい、

【今は念仏者をもやしな〔養〕ひ、持斎をも供養すまじ。】
今後は、念仏者に供養すまい、良観の信奉者にも供養すまい」と言ったのです。

【念仏者・良観が弟子の持斎等が云はく、】
念仏者や良観の弟子や信奉者などは「内乱をあらかじめ知っていたところを見ると

【此の御房は謀叛〔むほん〕の内に入りたりけるか。】
この御房は、謀叛の仲間ではないか」と疑ったのです。

【さて且くありて世間しづまる。】
そのような中で、しばらくして世間の騒ぎは静まったのです。


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