日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 8 月天の不思議


第07章 月天の不思議

【其の日の戌の時計りに、かまくら〔鎌倉〕より上の御使ひとて、】
その日の午後8時ごろに鎌倉から幕府の使いと言う者が、

【たてぶみ〔立文〕をもって来ぬ。】
書状を持ってきました。

【頸〔くび〕切れというかさ〔重〕ねたる御使ひかとものゝふ〔兵士〕どもは】
ふたたび「日蓮の首を斬れ」と言う使いかと武士達が思っていたところ、

【をも〔思〕ひてありし程に、六郎左衛門が代官】
この館〔やかた〕の本間重連の代官、

【右馬〔うま〕のじょう〔尉〕と申す者、】
右馬尉〔うまのじょう〕と言う者が、

【立てぶみもちてはしり来たりひざま〔跪〕づいて申す。】
幕府の使いの者が渡した書状を持って来て、ひざまづいて言うのには、

【今夜にて候べし、あらあさましやと存じて候ひつるに、】
「斬首は、今夜であろうか、なんと、ひどいことかと思っておりましたのに、

【かゝる御悦びの御ふみ来たりて候。】
このような悦びの手紙が参りました。

【武蔵守殿は、今日卯の時にあたみの御ゆ〔湯〕へ御出でにて候へば、】
使いの者は、北条宣時殿が、今日、午前6時に熱海へ湯治に向かわれたので、

【いそぎあやなき〔無益〕事もやと、】
本間重連殿が事を急いで無益な事などが、あっては、大変だと思い、

【まづこれへはし〔走〕りまいりて候と申す。】
まず、こちらへ走って参りましたと申しております。

【かまくらより御つかひは二時にはしりて候。】
それで鎌倉からの使者は、四時間でここまで走って来たのです。

【今夜の内にあたみの御ゆ〔湯〕へははしりまいるべしとて、まかりいでぬ。】
そして、今夜のうちに熱海へ行くと言って出発いたしました」と告げたのです。

【追状〔ついじょう〕に云はく、此の人はとがなき人なり。】
そして、追伸には、「この人は、罪の無い人である。

【今しばらくありてゆるさせ給ふべし。】
今、しばらくしてから、赦免されるであろう。

【あやまちしては後悔あるべしと云云。】
あやまって殺したりすれば、問題となるであろう」と書いてあったのです。

【其の夜は十三日、兵士ども数十人】
その夜は、十三日で、兵士達が数十人、

【坊の辺り並びに大庭になみゐて〔並居〕候ひき。】
坊のあたりと大庭に並んで控〔ひか〕えていました。

【九月十三日の夜なれば月大いにはれてありしに、】
9月13日の夜ですから、月が実によく晴れていたので、

【夜中に大庭に立ち出でて月に向かひ奉りて、】
夜中に大庭へ出て月に向かって、

【自我偈少々よみ奉り、諸宗の勝劣、法華経の文あらあら申して、】
自我偈を少し誦み奉り、諸宗の勝劣と法華経の文の概略を申し述べて、

【抑〔そもそも〕今の月天は法華経の御座に列なりまします名月天子ぞかし。】
「そもそも、この月天は、法華経の会座に列席している名月天子ではないか。

【宝塔〔ほうとう〕品にして仏勅〔ぶっちょく〕をうけ給ひ】
宝塔品で仏勅を受けられ、

【嘱累〔ぞくるい〕品にして仏に頂〔いただき〕をなでられまいらせ】
嘱累品で仏に頭を摩〔な〕でられて、

【「世尊の勅〔みことのり〕の如く当〔まさ〕に具〔つぶさ〕に奉行すべし」と】
「釈迦牟尼世尊の勅命の通りに必ず実行いたします」と

【誓状をたてし天ぞかし。】
誓状を立てた天神ではないか。

【仏前の誓ひは日蓮なくば虚〔むな〕しくてこそをはすべけれ。】
仏前の誓いは、日蓮がいなかったならば、虚しくなってしまう。

【今かゝる事出来せば、】
それが、今、このように大難が出てきたのであるから、

【いそぎ悦びをなして法華経の行者にもかはり、】
悦び勇んで、法華経の行者に代わり、

【仏勅をもはたして、誓言のしるし〔験〕をばとげさせ給ふべし。】
仏の勅命を果たし、誓いの言葉の験〔しるし〕を遂げるべきで、

【いかに、今しるしのなきは不思議に候ものかな。】
それが一体どうしたわけか、今も験〔しるし〕がないのは、実に不思議であり、

【何なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず。】
何事も国に起こらなければ、鎌倉へ帰ろうとも思いません。

【しるしこそなくとも、】
たとえ験〔しるし〕が現われないにしても、

【うれしがを〔顔〕にて澄み渡らせ給ふはいかに。】
すました顔で平然としているのは、どう言うわけでしょうか。

【大集経には「日月明〔みょう〕を現ぜず」ととかれ、】
大集経には、日月は、明るさを現さずと説かれ、

【仁王経には「日月度〔ど〕を失ふ」とかゝれ、】
仁王経には、日月は、平静を失うと書かれ、

【最勝王経には「三十三天各〔おのおの〕瞋恨〔しんこん〕を生ず」とこそ】
最勝王経には、三十三天が、おのおの瞋りを生ずると

【見え侍〔はべ〕るに、】
明らかに、されているではないか。

【いかに月天いかに月天とせめ〔責〕しかば、其のしるしにや、】
どうしたわけであるか」と強く月天を責めたところ、その験〔しるし〕であろうか、

【天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかゝりてありしかば、】
天から明星のような大きな星が下りてきて、前の梅の木の枝にかかったので、

【ものゝふども皆ゑん〔縁〕よりとびをり、或は大庭にひれふし、】
武士たちが、皆、縁側から飛び降り、ある者は、大庭に平伏し、

【或は家のうしろ〔後〕へにげぬ。】
ある者は、家の後ろへ逃げてしまったのです。

【やがて即ち天かきくもりて大風吹き来たりて、】
間もなく、にわかに天が曇って、大風が吹いてきて、

【江の島のなるとて空のひゞく事、】
江の島から音が鳴って空に響き、

【大いなるつゞみを打つがごとし。】
それは、まるで大きな鼓〔つつみ〕を打つようであったのです。

【夜明くれば十四日、卯の時に十郎入道と申すもの来たりて云はく、】
夜が明けた14日、午前六時ごろに十郎入道と云う者が来て言うには、

【昨日の夜の戌の時計りにかうどの〔守殿〕に大いなるさわぎあり。】
昨夜の八時ごろに執権北条時宗殿の館〔やかた〕で大変な騒動があり、

【陰陽師を召して御うらなひ候へば、申せしは、】
陰陽師を呼んで占わせたところ、彼が言うのには、

【大いに国みだれ候べし、此の御房御勘気のゆへなり、】
「大いに国が乱れましょう。それは、この僧侶を迫害した為である。

【いそぎいそぎ召しかえさずんば世の中いかゞ候べかるらんと申せば、】
大至急、迫害を止めなければ、世の中がどうなるかわかりません」と言ったので、

【ゆりさせ給へ候と申す人もあり、】
「すぐに赦〔ゆる〕されますように」と言う人もあり、

【又百日の内に軍あるべしと申しつれば、】
「また、百日の内に反乱が起こるであろうと申していたから、

【それを待つべしとも申す。】
それが本当かどうか待ちましょう」と言う者もいたと言うのです。

【依智〔えち〕にして二十余日、】
こうして依智に滞在すること二十日あまり、

【其の間鎌倉に或は火をつくる事七八度、】
その間、鎌倉では、放火が七、八度あり、

【或は人をころす事ひまなし。讒言〔ざんげん〕の者共の云はく、】
また、人殺しが絶えなかったのです。これを讒言の者どもが、

【日蓮が弟子共の火をつくるなりと。】
「日蓮の弟子どもが火をつけた」と言ったので、

【さもあるらんとて】
幕府では、そう言うこともあろうと云うことになり、

【日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて、二百六十余人にしる〔記〕さる。】
日蓮の弟子達を鎌倉に置いてはならぬとの方針で、二百六十余人の名が記され、

【皆遠島へ遣〔つか〕はすべし、】
その者達は、すべて遠島され、

【ろう〔牢〕にある弟子共をば頸をはねらるべしと聞こふ。】
すでに牢〔ろう〕にある弟子達は、首を斬られるだろうと聞こえてきたのです。

【さる程に火をつくる者は持斎・念仏者が計り事なり。】
ところが真相は、放火などは、良観の信奉者や念仏者の計〔はか〕り事なのです。

【其の由はしげければかゝず。】
その理由については、くどくなるので書きません。


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