日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 9 塚原三昧堂


第08章 塚原三昧堂

【同じき十月十日に依智を立って、同じき十月二十八日に佐渡国へ著〔つ〕きぬ。】
そうして10月10日に依智を発〔た〕って、10月28日に佐渡へ着きました。

【十一月一日に六郎左衛門が家のうしろみの家より】
11月1日に目的地に着きましたが、ここは、本間重連の家の後ろで、

【塚原と申す山野の中に、洛陽〔らくよう〕の蓮台野〔れんだいの〕のやうに】
塚原と言う山野の中にある、京の蓮台野のような

【死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、】
死人を捨てる場所にある、一間四面の三昧堂で、仏も何もないところだったのです。

【上はいた〔板〕ま〔間〕あはず、】
上は、板間が合わず、

【四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆる事なし。】
四面の壁は、荒れ果てて、雪が降り積もって消えることがありません。

【かゝる所にしきがは〔敷皮〕打ちしき蓑〔みの〕うちきて、】
こういう所に敷皮〔しきがわ〕をしき、蓑を着て、

【夜をあかし日をくらす。】
夜を明かし日を送ったのです。

【夜は雪雹〔ゆきあられ〕・雷電〔いなずま〕ひまなし、】
夜は、雪、雹〔あられ〕、雷電〔いなずま〕が絶え間なく、

【昼は日の光もさゝせ給はず、心細かるべきすまゐなり。】
昼は、日の光も差し込まず、心細くなるのがあたり前の住まいなのです。

【彼の李陵〔りりょう〕が胡国〔ここく〕に入りて】
前漢の軍人、李陵が中国北方の異民族の国へ入って、

【がんかうくつ〔巌窟〕にせめられし、】
岩窟に閉じ込められたのも、

【法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて、面〔かお〕にかなやき〔火印〕を】
法道三蔵が北宋の第八代皇帝、徽宗皇帝に責められて顔にかな焼きを押されて、

【さゝれて江南〔こうなん〕にはな〔放〕たれしも只今とおぼゆ。】
江南に放逐されたのも、このようなことであったと感じたものです。

【あらうれしや、】
これは、ほんとうに嬉しいことで、

【檀王は阿私〔あし〕仙人にせめられて法華経の功徳を得給ひき。】
須頭檀王〔すずだんのう〕は、阿私〔あし〕仙人に酷使されて法華経の功徳を得、

【不軽〔ふきょう〕菩薩は上慢〔じょうまん〕の比丘等の杖にあたりて】
不軽菩薩は、増上慢の僧侶などに杖で打たれて

【一乗の行者といはれ給ふ。今日蓮は末法に生まれて】
一乗の法華経の行者と言われました。今、日蓮は、末法に生まれて

【妙法蓮華経の五字を弘めてかゝるせめ〔責〕にあへり。】
妙法蓮華経の五字を弘めて、このような責めに遇ったのです。

【仏滅度後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も】
仏滅後二千二百余年の間、恐らくは、天台智者大師も

【「一切世間多怨〔たおん〕難信〔なんしん〕」の経文をば行じ給はず。】
「一切世間に怨多くして信じ難し」の経文は、行じられなかったのです。

【「数々見〔さくさくけん〕擯出〔ひんずい〕」の明文は但日蓮一人なり。】
また「しばしば擯出せられ」の明文を行じたのは、ただ日蓮一人だけなのです。

【「一句〔いっく〕一偈〔いちげ〕我皆与授記〔がかいよじゅき〕」は】
「一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には、我、皆、記を与え授く」に当たるのは、

【我なり。】
日蓮の事なのです。

【「阿耨多羅三藐三菩提〔あのくたらさんみゃくさんぼだい〕」は疑ひなし。】
ですから、「阿耨多羅三藐三菩提」を得ることは、疑いないのです。

【相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆逹多〔だいばだった〕よ。】
北条時宗殿こそ善知識であり、平左衛門こそ提婆達多と同じであり、

【念仏者は瞿伽利〔くがり〕尊者〔そんじゃ〕、】
念仏者は、提婆達多を師匠と仰いだ瞿伽利尊者であり、

【持斎等は善星〔ぜんしょう〕比丘。】
極楽寺良観の信奉者などは、慢心を起こし釈尊に反逆した善星比丘なのです。

【在世は今にあり、今は在世なり。】
釈迦牟尼仏の在世は、現在であり、現在は、在世なのです。

【法華経の肝心は諸法実相ととかれて、】
法華経の肝心は、諸法実相と説かれていて,

【本末究竟等とのべられて候は是なり。摩訶止観〔まかしかん〕第五に云はく】
本末究竟等と述べられているのは、このことなのです。摩訶止観第五には、

【「行解〔ぎょうげ〕既〔すで〕に勤〔つと〕めぬれば】
「行解すでに勤めぬれば、

【三障四魔〔さんしょうしま〕紛然〔ふんぜん〕として競ひ起こる」文。】
三障四魔が紛然として競い起こる」とあり、

【又云はく「猪の金山を摺〔す〕り、】
また、三障四魔の必然性とは、「猪が金山で体をこすって、ますます光らせ、

【衆流の海に入り、薪〔たきぎ〕の火を熾〔さか〕んにし、】
多くの川が海に入って海水を増し、薪が火をますます、さかんにするように、

【風の求羅〔ぐら〕を益〔ま〕すが如きのみ」等云云。】
また、風に乗って虫が大量発生するようなものなのです」と説かれています。

【釈の心は、法華経を教へのごとく】
この文書の意味は「法華経を教えの通りに、

【機に叶ひ時に叶ひて解行すれば、】
機根に叶い、時期に叶って、信じ行ずれば、

【七つの大事出来〔しゅったい〕す。其の中に天子魔とて】
七つの大事が出て来て、その中に天子魔と言って、

【第六天の魔王、或は国主或は父母或は妻子或は檀那或は悪人等について、】
第六天の魔王が国主や父母、妻子、信者、悪人などに取り付いて、

【或は随って法華経の行をさ〔障〕え、】
あるいは、第六天の魔王に随って、法華経の行をさまたげ、

【或は違してさ〔障〕うべき事なり。】
あるいは反対するはずで、

【何れの経をも行ぜよ、仏法を行ずるには分々に随って留難〔るなん〕あるべし。】
どの経を行ずるにせよ、仏法を行ずるならば、それに応じて難があるはずであり、

【其の中に法華経を行ずるには強盛にさ〔障〕うべし。】
その中でも法華経を行ずるならば、それをさらに強く妨げようとするのである。

【法華経ををしへの如く時機〔じき〕に当たって行ずるには】
このように法華経を教えのとおりに時期と機根に合わせて行ずるならば、

【殊〔こと〕に難あるべし。】
とくに強く難があるはずである」と言うことを述べているのです。

【故に弘決〔ぐけつ〕の八に云はく】
それ故に、妙楽の止観輔行伝弘決〔しかんぶぎょうでんぐけつ〕の第八巻には、

【「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、】
「もし衆生が生死をわきまえずに成仏を望んでいないと知れば、

【魔是〔こ〕の人に於て】
魔は、この人に対して

【猶〔なお〕親〔おや〕の想〔おもい〕を生〔な〕す」等云云。】
親の想いをなして護る」と述べられているのです。

【釈の心は人〔ひと〕善根〔ぜんこん〕を修すれども、】
この解釈文の意味は、「人が良い行いをすることを、こころがけても、

【念仏・真言・禅・律等の行をなして】
念仏、真言、禅、律などの行をして、

【法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして、】
法華経を行じなければ、魔王が親のような想いをして、

【人間につきて其の人をもてなし供養す。】
人間に取り付いて、その人を、もてなし供養をするのです。

【世間の人に実〔まこと〕の僧と思はせんが為なり。】
それは、世間の人に正しい僧侶であると思わせるためであり、

【例せば国主のたと〔尊〕む僧をば】
たとえば、国主が尊敬する僧侶を信じてしまい

【諸人供養するが如し。】
あらゆる人が供養するようなものである」と言っているのです。

【されば国主等のかたきにするは、】
ですから、国主が目の敵〔かたき〕にするのは、

【既に正法を行ずるにてあるなり。】
こちらが正法を行じている証拠となるのです。

【釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。】
釈迦如来のためには、提婆達多こそ第一の善知識であったのです。

【今の世間を見るに、人をよくな〔成〕すものはかたうど〔方人〕よりも】
今の世間を見ると、人を良くするものは、味方よりも

【強敵〔ごうてき〕が人をばよくなしけるなり。眼前に見えたり。】
強敵が人をよく成長させているのです。その実例は、眼の前にあります。

【此の鎌倉の御一門の御繁昌は】
この鎌倉幕府の繁栄は、

【義盛と隠岐〔おきの〕法皇〔ほうおう〕ましまさずんば、】
和田義盛〔わだよしもり〕と隠岐に流された後鳥羽天皇が、おられなかったならば、

【争〔いか〕でか日本の主となり給ふべき。】
どうして、源頼朝が日本の主となることが、出来たでしょうか。

【されば此の人々は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり。】
それ故に、この人々は、北条一門のためには、第一の味方と言えるのです。

【日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信〔かげのぶ〕、】
同じく日蓮が仏になるための第一の味方は、日蓮を迫害した東条景信であり、

【法師には良観〔りょうかん〕・道隆〔どうりゅう〕・】
僧侶では、真言律宗の僧、極楽寺の良観、禅宗の建長寺の道隆、

【道阿弥陀仏〔どうあみだぶつ〕、】
浄土宗の僧、新善光寺の道教房念空であり、

【平左衛門尉・守殿〔こうどの〕ましまさずんば、】
平左衛門尉や北条時宗殿がいなかったならば、

【争でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。】
どうして、法華経の行者になることが、出来たであろうかと悦んだのです。


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