日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 12 宣時の迫害と御赦免


第11章 宣時の迫害と御赦免

【又念仏者集まりて僉議〔せんぎ〕す。】
そんな中でふたたび念仏者が集まって話し合ったのです。

【かう〔是〕てあらんには、我等かつ〔餓〕えし〔死〕ぬべし。】
こうしていたのでは、我らは、飢え死するしかないだろう。

【いかにもして此の法師を失はゞや。】
どうしても、この法師を亡きものにしようではないか。

【既に国の者も大体つきぬ、いかんがせん。】
既に国中の者も大体、彼についてしまった、どうしたものかと相談して、

【念仏者の長者唯阿弥陀仏〔ゆいあみだぶつ〕・】
念仏者の長者の唯阿弥陀仏、

【持斎の長者生喩〔しょうゆ〕房・良観が弟子道観〔どうかん〕等、】
良観の信奉者の長者の生諭房、良観の弟子の道観が

【鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す。此の御房島に候ものならば、】
鎌倉へ走り登って、北条宣時に讒訴し「此の御房が佐渡にいるならば

【堂塔一宇も候べからず、僧一人も候まじ。】
諸宗の堂塔は、ひとつとして残らないし、僧も誰一人、居なくなるだろう。

【阿弥陀仏をば或は火に入れ、或は河にながす。】
阿弥陀仏を焼き払い、あるいは、河に捨て流しております。

【夜もひるも高き山に登りて、】
夜も昼も高い山に登って、

【日月に向かって大音声〔だいおんじょう〕を放って】
日月に向かって大声をあげて、

【上〔かみ〕を呪咀〔じゅそ〕し奉る。】
幕府を呪咀しております。

【其の音声一国に聞こふと申す。】
その音声は、佐渡一国に聞こえております」と告げたのです。

【武蔵前司殿是をきゝ、上へ申すまでもあるまじ、】
北条宣時は、これを聞いて「幕府へ申し上げるまでもあるまい。

【先づ国中のもの日蓮房につくならば、】
まず佐渡の中で日蓮につく者があれば、

【或は国をおひ、或はろう〔牢〕に入れよと、】
佐渡から追い出し、また、牢に入れよ」と自分勝手に命令を下したのです。

【私の下知を下す、又下文〔くだしぶみ〕下る。】
また同じ趣旨の書状が本間重連へと伝わったのです。

【かくの如く三度、其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし。】
このようなことが三度あり、その間の出来事は、推察してください。

【或は其の前をとを〔通行〕れりと云ひてろう〔牢〕に入れ、】
島の役人は、人々に対して、日蓮の庵室の前を通ったと言っては、牢に入れ、

【或は其の御房に物をまいらせけりと云ひて国をおひ】
あるいは、日蓮に物を渡したと言っては、佐渡から追い払い、

【或は妻子をとる。】
あるいは、妻子を取り上げたのです。

【かくの如くして上〔かみ〕へ此の由を申されければ、】
北条宣時が、このようにしておいて、幕府へこれらを言上したところ、

【案に相違して、去ぬる文永十一年二月十四日】
予想に反して去る文永11年2月14日の

【御赦免の状、同じき三月八日に島につきぬ。】
御赦免〔しゃめん〕状が同じ年の3月8日に佐渡に到着したのです。

【念仏者等僉議〔せんぎ〕して云はく、此程の阿弥陀仏の御敵、】
ふたたび念仏者などが謀議して「これほどの阿弥陀仏の敵〔かたき〕であり、

【善導〔ぜんどう〕和尚・法然〔ほうねん〕上人をのる〔罵〕ほどの者が、】
善導和尚や法然上人を罵〔ののし〕るほどの悪い者が、

【たまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを、御赦免あるとて】
たまたま迫害を受けて、この佐渡に流されたのを、御赦免になったからと言って、

【いけ〔生〕て帰さんは心う〔憂〕き事なりと云ひて、】
生かして帰すのは、心苦しいことだ」と言って、

【やうやうの支度〔したく〕ありしかども、】
さまざまな企てがあったが、

【何なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来たりて島をばたちしかば、】
どういう訳であろうか、思いがけなく、順風が吹いて島を出発し、

【あはい〔間合〕あしければ百日五十日にもわたらず。】
運が悪ければ、百日、五十日を経ても渡ることが出来ず、

【順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ。】
順風でも三日かかるところを、少しの間で渡ってしまったのです。

【越後のこう〔国府〕、信濃の善光寺の】
これを聞いて越後の国府や信濃の善光寺の

【念仏者・持斎・真言等は雲集〔うんじゅう〕して僉議す。】
念仏者、良観の信奉者、真言などは、ふたたび集まって謀議したのです。

【島の法師原〔ほっしばら〕は今までい〔生〕けてかへ〔還〕すは】
「佐渡の法師たちは、今まで生かしておいて島から無事に出してしまうとは、

【人かったい〔乞丐〕なり。】
まったくの腰抜けたちである。

【我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとを〔通〕すまじと僉議せしかども、】
我らは、どうしても生身の阿弥陀仏の御前は、通すまい」と謀議したけれども、

【又越後のこう〔国府〕より兵者〔つわもの〕どもあまた日蓮にそ〔添〕ひて】
越後の国府から兵士どもが大勢日蓮につき添って、

【善光寺をとを〔通〕りしかば力及ばず。】
善光寺を通ったので、また彼等の力も及ばなかったのです。

【三月十三日に島を立ちて、同じき三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。】
こうして3月13日に佐渡を発〔た〕って、3月26日に鎌倉へ入ったのです。


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