日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


種々御振舞御書 5 二度目の諌暁


第04章 二度目の諌暁

【去ぬる文永八年(太歳辛未)九月十二日御勘気をかほる。】
それから、文永8年9月12日に幕府の迫害を受けたのです。

【其の時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ。】
そのときの迫害の様子も尋常ではなく、法を越えた異常なもので、

【了行〔りょうこう〕が謀反〔むほん〕ををこし、】
鎌倉幕府の転覆を謀って、九條家の僧、了行が謀反をおこしたときよりも、

【大夫〔たいふ〕律師が世をみださんとせしを、】
三浦義村の子、律師、良賢が鎌倉幕府の滅亡を企み露見して、

【めしとられしにもこへたり。】
捕まったときにも増して、大がかりなものであったのです。

【平左衛門尉大将として数百人の兵者〔つわもの〕に】
そのありさまは、平左衛門尉が大将となって、

【どうまろ〔胴丸〕きせてゑぼうし〔烏帽子〕かけして、】
数百人の兵士に胴丸を着せて、自分は、烏帽子をかぶって、

【眼をいからし声をあら〔荒〕うす。大体事の心を案ずるに、】
眼を怒らし声を荒げてやってきたのです。大体、この迫害の意味を考えてみると、

【太政〔だいじょう〕入道の世をとりながら国をやぶらんとせしにに〔似〕たり、】
平清盛が天下をとりながら、非道を重ねて国を亡ぼそうとしたのに似ていて、

【たゞ事ともみへず。日蓮これを見てをも〔思〕うやう、】
普通の出来事とは、思えず、私は、これを見て、このように考えたのです。

【日ごろ月ごろをも〔思〕ひまうけたりつる事はこれなり。】
つまり、常日頃、このようになれば良いと思っていたのは、このことなのです。

【さいはひなるかな、法華経のために身をすてん事よ。】
法華経のために一身を捨てることは、大変に幸運なことであり、

【くさ〔臭〕きかうべ〔頭〕をはなたれば、沙〔いさご〕に金〔こがね〕をかへ、】
それで、臭〔くさ〕い首を刎〔は〕ねられるのであれば、砂と黄金を交換し、

【石に珠〔たま〕をあきな〔貿〕へるがごとし。】
石で宝珠を買い求めることが出来るのと同じではないかと思っているのです。

【さて平左衛門尉が】
そのときの光景は、平左衛門尉〔へいのさえもんのじょう〕の

【一の郎従〔ろうじゅう〕少輔房〔しょうぼう〕と申す者はしりよりて、】
第一の家来である少輔房と言う者が駆け寄って来て、

【日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出だして、】
日蓮が懐〔ふところ〕にいれていた法華経の第五の巻を取り出し、

【おもて〔面〕を三度さいな〔呵責〕みて、】
それで自分の顔を三度なぐりつけて、

【さんざん〔散散〕とう〔打〕ちちらす。】
さんざんに経巻を抛〔な〕げ散らかしたのです。

【又九巻の法華経を兵者ども打ちちらして、あるいは足にふみ、】
また、残り九巻の法華経も、兵士達が抛げ散らかし、また、足で踏みつけ、

【あるいは身にまとひ、あるいはいたじき〔板敷〕たゝみ〔畳〕等、】
身に巻き付け、あるいは、板敷や畳など、

【家の二三間にちらさぬ所もなし。】
家の中の二、三間にまき散らかさないところがなかったのです。

【日蓮大高声〔だいこうしょう〕を放ちて申す。】
このとき、日蓮は、声高に彼等に言ったのです。

【あらをもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ。】
「なんと面白いことであろうか。平左衛門尉の狂いようを見よ。

【とのばら〔殿原〕、但今ぞ日本国の柱をたを〔倒〕すとよ〔呼〕ばはりしかば、】
あなた方は、今、日本の柱を倒しているのである」と大声でたしなめたところ、

【上下万人あわてゝ見へし。】
その場の者、全員が、うろたえてしまったのです。

【日蓮こそ御勘気をかほれば、をく〔臆〕して見ゆべかりしに、】
日蓮の方こそ迫害にあっているので、怖気づいて見えるべきなのに、

【さはなくして、これはひが〔僻〕ごとなりとやをもひけん。】
そうではなく、逆になったので、これは、何かの間違いだとでも思ったのか、

【兵者どものいろ〔色〕こそへんじて見へしか。】
兵士達の方が顔色を変えたのが、よくわかりました。

【十日並びに十二日の間、】
十日に呼び出されたときと十二日の逮捕の夜、

【真言宗の失、禅宗・念仏等、】
真言宗の害毒や禅宗、念仏宗の宗旨の間違いや、

【良観が雨ふらさぬ事、】
良観が雨乞いの祈禱をしても、まったく雨が降らなかった事実などを、

【つぶさ〔具〕に平左衛門尉にいゐきかせてありしに、】
詳しく平左衛門尉に言い聞かせたところ、

【或はわっとわらひ、或はいかり】
あるいは、わっと一斉に笑い、あるいは、大いに怒り、

【なんどせし事どもはしげければしるさず。】
これらことは、煩しいので、いちいち、その様子を書かないが、

【せん〔詮〕ずるところは、六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして、】
要するに6月18日から7月4日まで、幕府の命を受けて良観が雨乞いをして、

【日蓮にかゝれてふらしかね、あせ〔汗〕をながしなんだ〔涙〕のみ下して】
日蓮に阻止されて降らせることができず、汗を流し、涙だけ流して、

【雨ふらざりし上、逆風ひまなくてありし事、】
結局、一滴も雨が降らなかった上に、逆に大風が吹き続けたのです。

【三度までつかひ〔使者〕をつかわして、一丈のほり〔堀〕をこへぬもの】
この祈祷の間に三度も使者をつかわして、一丈の堀を越えることができない者が

【十丈二十丈のほりを越ゆべきか。】
どうして十丈、二十丈の堀を越えられようか。

【いずみ〔和泉〕しきぶ〔式部〕いろごのみの身にして】
和泉式部が好色不貞の身でありながら

【八斎戒〔さいかい〕にせい〔制〕せるうた〔和歌〕をよみて雨をふらし、】
八斎戒で制止している和歌を詠んで雨を降らし、

【能因法師が破戒の身としてうたをよみて天雨を下〔ふ〕らせしに、】
能因法師が破戒の身でありながら和歌を詠んで雨を降らせたのに、

【いかに二百五十戒の人々百千人あつまりて、】
二百五十戒の持者ともあろう人々が何百人も集まって、

【七日二七日せめさせ給ふに】
一週間も二週間も天を責め立てたにもかかわらず、

【雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもって存ぜさせ給へ。】
どうして雨が降らない上に大風が吹くのでしょうか。これをもって知りなさい。

【各々の往生は叶ふまじきぞとせめられて、良観がなきし事、】
あなたたちの往生は、かなわないと責めたてたので、良観が悔し涙を流したこと、

【人々につきて】
この良観が、この敗北を逆恨みして、権力者の女房に取り入って

【讒〔ざん〕せし事、一々に申せしかば、】
讒言〔ざんげん〕したことなどを、一つ一つはっきりと申し聞かせたところ、

【平左衛門尉等かたうど〔方人〕しかなへずして、】
平左衛門尉などが良観の味方をしたが、道理に詰まり、弁護しきれなくなって、

【つま〔詰〕りふ〔伏〕しし事どもはしげ〔繁〕ければか〔書〕ゝず。】
ついに沈黙してしまった様子などは、ここで詳しくは、書かないこととします。


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