御書研鑚の集い 御書研鑽資料
聖愚問答抄(上) 04 第03章 律宗の主張を述べる
【其の時愚人座より起って掌〔たなごころ〕を合はせて云はく、】
その時、愚者は、立ち上がり、手を合わせて、このように告げたのです。
【我は日来〔ひごろ〕外典を学し風月に心をよせて、】
私は、日ごろから外典を学び、詩歌の道に心をよせて、おりましたが、
【いまだ仏教と云ふ事を委細にしらず。】
未だ、仏教のことは、詳しくは、わかりません。
【願はくは上人我が為に是を説き給へ。】
願わくば、私の為に、これを教えてもらえないでしょうか。
【其の時上人の云はく、】
その時、この智者が、このように告げたのです。
【汝耳を伶倫〔れいりん〕が耳に寄せ目を離朱〔りしゅ〕が眼にかって、】
あなたが黄帝の臣下の伶倫と離朱の耳と眼を以って、
【心をしづめて我が教へをきけ、汝が為に之を説かん。】
心静かに私の教えを聞くならば、あなたの為に、これを説きましょう。
【夫〔それ〕仏教は八万の聖教多けれども、】
仏教は、八万聖教と言って、その教典は、数多いけれども、
【諸宗の父母たる事戒律にはしかず。】
諸宗の父母とも言えるものは、戒律に代わるものはないのです。
【されば天竺には世親〔せしん〕・馬鳴〔めみょう〕等の薩埵〔さった〕、】
それゆえインドでは、世親や馬鳴などの菩薩や、
【唐土には慧曠〔えこう〕・道宣と云ひし人是を重んず。】
中国では、慧曠や道宣と言った人達が、これを重んじたのです。
【我が朝には人皇四十五代聖武天皇の御宇〔ぎょう〕に、鑑真〔がんじん〕和尚】
我が国では、第四十五代の聖武天皇の時代に、鑑真和尚が
【此の宗と天台宗と両宗を渡して東大寺の戒壇之〔これ〕を立つ。】
律宗と天台宗の両宗派を伝えて、東大寺に小乗の戒壇を建てたのです。
【爾〔しか〕しより已来〔このかた〕当世に至るまで崇重〔そうじゅう〕】
それ以来、今日に至るまで人々に崇拝されて
【年旧〔ふ〕り尊貴日に新たなり。】
長い年月を経て、日々に、その尊さを増しているのです。
【就中〔なかんずく〕極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで、】
とりわけ極楽寺の良観上人を、上一人より下万民に至るまで、
【生身の如来と是を仰ぎ奉る。彼の行儀を見るに実に以て爾〔しか〕なり。】
生身の仏と仰ぎ見て、その振る舞いを見れば、実際に、その通りなのです。
【飯島の津にて六浦〔むつら〕の関米〔せきまい〕を取りては諸国の道を作り、】
飯島の津を律宗が管轄し、通行料の徴収で六浦の米を取っては、諸国に道を作り、
【七道に木戸をかまへて人別〔にんべつ〕の銭を取りては諸河に橋を渡す。】
七つの道に関所を作っては、通る人ごとに銭を取り、多くの川に橋をかけたのです。
【慈悲は如来に斉〔ひと〕しく徳行は先達に越えたり。】
その慈悲は、仏に等しく、徳と行いは、仏教の先人達よりも優れているのです。
【汝早く生死を離れんと思はゞ、】
あなたが早く生死を離れようと思うのであれば、
【五戒・二百五十戒を持ち慈悲をふかくして物の命を殺さずして、】
五戒、二百五十戒を受持し、慈悲深く、物の命を殺さず、
【良観上人の如く道を作り橋を渡せ。是第一の法なり。】
良観上人のように人々の為に道を作り橋をかけるべきです。
【汝持〔たも〕たんや否や。】
あなたは、この五戒、二百五十戒を受持し、良観上人を敬いますか。
【愚人弥〔いよいよ〕掌を合はせて云はく、】
愚者は、いよいよ手を合わせて、このように告げたのです。
【能〔よ〕く能く持ち奉らんと思ふ。具〔つぶさ〕に我が為に是を説き給へ。】
心して受持しようと思うので、詳しく、このことを教えてください。
【抑〔そもそも〕五戒・二百五十戒と云ふ事は】
そのそも、五戒、二百五十戒と言うことを
【我等未だ存知せず。委細に是を示し給へ。】
私達は、まだよく知らないことです。詳しく、これを教えてください。
【智人云はく、汝は無下に愚かなり。】
その言葉に智者が、このように告げたのです。あなたは、あまりにも愚かです。
【五戒・二百五十戒と云ふ事をば孩児〔おさなご〕も是をしる。】
五戒、二百五十戒と言うことは、幼児でもこれを知っています。
【然れども汝が為に之を説かん。】
しかしながら、あなたのために、これを説きましょう。
【五戒とは一には不殺生戒〔ふせっしょうかい〕、】
五戒とは、一には不殺生戒、
【二には不偸盗戒〔ふちゅうとうかい〕、三には不妄語戒〔ふもうごかい〕、】
二には、不偸盗戒、三には、不妄語戒、
【四には不邪淫戒〔ふじゃいんかい〕、】
四には、不邪淫戒、
【五には不飲酒戒〔ふおんじゅかい〕是なり。】
五には、不飲酒戒のことです。
【二百五十戒の事は多き間之を略す。】
二百五十戒については、数が多いから一つ一つの説明は、省略します。