御書研鑚の集い 御書研鑽資料
聖愚問答抄(上) 09 第08章 法華経の聖人に値う
【愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観じ、】
愚者は、この言葉を聞いて、つくづく諸法の違いを思い起こし、
【閑〔しず〕かに義理を案じて云はく、】
道理を静かに考えて、次のように告げたのです。
【仏教万差にして理非明らめ難し。宜〔むべ〕なるかな、】
仏教には、数多くの差異があって、その理非を明らかにすることは難しい。
【常啼〔じょうたい〕は東に請〔こ〕ひ善財は南に求め、】
そうであるからこそ、常啼菩薩は、東に法を訪ね、善財童子は、南に教えを求め、
【薬王は臂〔ひじ〕を焼き楽法〔ぎょうぼう〕は皮を剥〔は〕ぐ。】
薬王菩薩は、臂を焼いて供養し、楽法梵志は、身の皮を剥いで紙としました。
【善知識実に値ひ難し。】
このように善知識に会うことは、まことに難しいのです。
【或は教内と談じ、或は教外と云ふ。】
ある人は、経典に依るべきと述べ、ある人は、真理は、教外にあると言います。
【此のことはりを思ふに】
この事を判断しようとしても、
【未だ淵底を究めず、法水に臨む者は】
まだ、教義の淵底を極めず、このような数々の主張を聞く者にとっては、
【深淵の思ひを懐き、】
深い淵〔ふち〕を覗〔のぞ〕き込むような不安な気持ちを懐〔いだ〕き、
【人師を見る族〔やから〕は薄氷の心を成せり。】
これら人師の主張を、薄氷を踏むような疑いの目で見ているのです。
【爰を以て金言には依法不依人と定め、】
このことから、仏の金言には「法に依って人に依らざれ」と定められ、
【又爪上〔そうじょう〕の土〔ど〕の譬へあり。】
また仏法を得る者の少なさを「爪の上の土」に譬えられているのです。
【若し仏法の真偽をしる人あらば尋ねて師とすべし、求めて崇〔あが〕むべし。】
もし仏法の真偽を知る人がいれば、求めて師とし崇めるべきでしょう。
【夫〔それ〕人界に生を受くるを】
まさに人界に生を受けることは、
【天上の糸にたとへ、】
天上より糸を降ろして地上の針の穴に通すほどの難しさであり、
【仏法の視聴は】
仏法を見聞きする難しさは、
【浮木の穴に類〔たぐい〕せり。】
一眼の亀の浮木の穴に会うのと同じであると説かれているのです。
【身を軽くして法を重くすべしと思ふに依って】
そこで、身を軽んじ、法を重んじなければならないと思ったので、
【衆山に攀〔よ〕ぢ、歎きに引かれて諸寺を回る。】
数々の山に登り、悲嘆の気持ちに引かれるままに多くの寺を巡り歩いたのです。
【足に任せて一つの厳窟〔がんくつ〕に至るに、】
足にまかせて一つの洞窟に行きついたところ、
【後ろには青山峨々〔がが〕として】
そこは、後ろには、青山が高くそびえ立ち、
【松風常楽我浄を奏し、】
吹く松風は、常楽我浄の音を奏〔かな〕で、
【前には碧水〔へきすい〕湯々〔しょうしょう〕として岸うつ波】
前には、深く澄んだ水が、ゆったりと岸に波打って
【四徳波羅蜜を響かす。】
四徳波羅蜜を響かせているのです。
【深谷に開敷〔かいふ〕せる花も中道実相の色を顕はし、】
深い谷に一面に咲いた花でさえも、中道実相の色を現し、
【広野に綻〔ほころ〕ぶる梅も界如三千の薫りを添〔そ〕ふ。】
広野に、ほころび始めた梅も、一念三千の薫りをそなえているのです。
【言語道断・心行所滅せり。謂ひつべし】
ここは、言葉では、表現できず、思いも依らない超越した世界なのです。
【商山の四皓〔しこう〕の所居〔しょご〕とも、】
そこは、中国秦時代、商洛山に逃げた四人の白髪の老人がいた所とも、
【又知らず古仏経行の迹〔あと〕なるか。】
また古仏が修行された跡とでも、言うべきでしょうか。
【景雲朝〔あした〕に立ち霊光夕〔ゆうべ〕に現ず。】
美しい雲が朝に立ちこめ、夕べには、不思議な光が現れ、
【嗚呼〔ああ〕心を以て計るべからず、詞〔ことば〕を以て宣ぶべからず。】
その光景は、心で想像することもできず、言葉にすることもできないのです。
【予此の砌に沈吟〔ちんぎん〕とさまよひ、】
私は、この光景を深く味わいながら、
【彷徨〔ほうこう〕とたち〔徘〕もと〔回〕をり、徙倚〔しい〕とたゝずむ。】
さまよい歩き、たたずんでいると、
【此の処に忽然〔こつねん〕として一〔ひとり〕の聖人坐〔いま〕す。】
一人の聖人が居られるのを見かけたのです。
【其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて、】
その様子をみれば、法華経を読誦の声は、深く心に染み、
【閑窓〔かんそう〕の戸ぼそを伺〔うかが〕へば】
窓から中をうかがえば、
【玄義の床〔ゆか〕に臂をくた〔腐〕す。】
深遠な教義の研鑽に精魂を注ぐ姿があったのです。
【爰に聖人、予が求法の志を酌み知りて、詞を和らげ予に問うて云はく、】
その時、聖人は、私の仏道を求める志をくまれたのか、優しい声で、
【汝なにゝ依って此の深山の窟〔いわや〕に至れるや。】
「あなたは、なぜ、この深い山奥に来られたのですか」と問われたのです。
【予答へて云はく、生をかろくして法をおもくする者なり。】
私は、それに「身を軽んじて法を重んずる者です」と答えると、
【聖人問うて云はく、其の行法如何〔いかん〕。】
聖人は「その修行の方法とは、何なのですか」と問われたので、
【予答へて云はく、本より我は俗塵に交はりて】
私が「私は、いままで世俗に交わって来たので、
【未だ出離を弁〔わきま〕へず。】
まだ生死を離れる方法を理解できていません。
【適〔たまたま〕善知識に値ひて始めには律、次には念仏・真言並びに禅、】
たまたま、善知識にあって、始めは、律、次には、念仏、そして真言、禅と、
【此等を聞くといへども】
これらの教えを聞いたのですが、
【未だ真偽を弁へず。】
まだ、その真偽がわからないのです」と答えたのです。
【聖人云はく、】
聖人は、その返事を聞いて、このように告げられたのです。
【汝が詞を聞くに実に以て然なり。】
「あなたの話を聞けば、ほんとうに、その通りであって、
【身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ、予が存ずるところなり。】
身を軽んじ法を重んじるのは、先聖の教えであり、自分も知っております。
【抑〔そもそも〕上は非想の雲の上、下は那落の底までも、】
そもそも、上は、非想天がある雲の上から、下は、那落の底に至るまで、
【生をうけて死をまぬか〔免〕るゝ者やはある。】
生を受けて死をまぬがれる者があるでしょうか。
【然れば外典のいやしきをし〔教〕えにも】
それゆえ外典の低い教えにも
【「朝〔あした〕に紅顔有って世路〔せろ〕に誇るとも、夕〔ゆうべ〕には】
「朝、美貌を世間に誇ったとしても、夕べには、
【白骨と為〔な〕って郊原〔こうげん〕に朽〔く〕ちぬ」と云へり。】
白骨となって原野に朽ち果てる」とあります。
【雲上に交はりて雲のびんづら〔鬢面〕あざやかに、】
また宮中に交わって黒髪も鮮やかに、
【雪のたもと〔袂〕をひるがへすとも、】
風に舞う雪のように、袖〔そで〕をひるがえしたとしても、
【其の楽しみをおもへば夢の中の夢なり。】
その虚栄に満ちた姿を見れば、夢の中の夢のように、はかないものなのです。
【山のふもと、蓬〔よもぎ〕がもと〔下〕はつゐ〔終〕の栖〔すみか〕なり。】
結局は、山麓の草の下が最後の住み家となるのです。
【玉の台〔うてな〕・錦の帳〔とばり〕も後世の道にはなにかせん。】
珠の台に座り、錦の布に寝たとしても、死後には、何の助けにもなりません。
【小野小町〔おののこまち〕・衣通姫〔そとおりひめ〕が】
小野小町や軽大娘皇女〔かるのおおいらつめ〕のような美女であっても、
【花の姿も無常の風にちり、樊噌〔はんかい〕・張良〔ちょうりょう〕が】
その花のような姿も無常の風に散り、前漢の英雄、樊噌、張良のような
【武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ。】
武芸に通じた者も、結局は、獄卒の呵責を受けなければならないのです。
【されば心ありし古人の云はく「あはれなり鳥べの山の夕煙〔ゆうけむり〕】
それゆえ、心ある古い歌人は「憐れなり。鳥辺山の夕べに立つ火葬の煙よ。
【をく〔送〕る人とてとまるべきかは」】
死者を送る人さえ、いつまで生きていられようか」と詠〔うた〕い、
【「末のつゆ〔露〕本のしずくや世の中のをく〔遅〕れさきだつ〔先立〕】
また「末の露も本の雫も、皆、落ちていくように、後先の違いは、あっても、
【ためしなるらん」と。】
誰もが、やがて死ぬことに変わりはない」と詠〔うた〕ったのです。
【先亡後滅の理〔ことわり〕、始めて驚くべきにあらず。】
先亡後滅の道理は、今、初めて聞くことではないのですが、
【願ふても願ふべきは仏道、求めても求むべきは経教なり。】
願うべきは、仏道であり、求めるべきは、経教なのです。
【抑汝が云ふところの法門をきけば、或は小乗、】
ところで、あなたの言われた法門を聞けば、あるいは小乗、
【或は大乗、位の高下は且〔しばら〕く之を置く、】
または、大乗であるが、その教えの高低は、しばらく置くとしても、
【還って悪道の業たるべし。】
これらは、かえって悪道の業因となるのです。