日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(上) 10 第09章 総じて権教諸宗を破す

【爰〔ここ〕に愚人驚きて云はく、】
この時、愚者は、驚いて、このように告げたのです。

【如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為なり。】
釈尊一代の聖教は、いずれも衆生の為にと、説かれたものではないのですか。

【始め七処〔しょ〕八会〔え〕の莚〔むしろ〕より】
始め七処八会で説かれた華厳経から、

【終はり跋提河〔ばつだいが〕の儀式まで、】
最後に跋提河〔ばつだいが〕のほとりで説かれた涅槃経に到るまで、

【何れか釈尊の所説ならざる。】
いずれも釈尊の説でないものは、ないでしょう。

【設〔たと〕ひ一分の勝劣をば判ずとも、】
たとえ一分の優劣を比較できたとしても、

【何ぞ悪道の因と云ふべきや。】
どうして悪道の因になるなどと言うことが出来るでしょうか。

【聖人云はく、】
その反論に対して、聖人は、このように告げたのです。

【如来一代の聖教に権有り実有り、大有り小有り、】
釈尊一代の聖教には、権教があり、実教があり、大乗があり、小乗があり、

【又顕密二道相分かち其の品一に非ず。】
また、顕教、密教の二道に分かれ、それは、すべて同じではないのです。

【須〔すべから〕く其の大途を示して汝が迷ひを悟らしめん。】
そこで今、その大略を示して、あなたの迷いを、あきらかにしましょう。

【夫〔それ〕三界の教主釈尊は十九歳にして伽耶城〔がやじょう〕を出で、】
そもそも三界の教主釈尊は、十九歳で伽耶城を出て、

【檀特山〔だんとくせん〕に籠〔こも〕りて難行苦行し、】
檀特山〔だんとくせん〕に入って、そこで難行苦行をし、

【三十成道の刻〔きざ〕みに三惑頓〔とみ〕に破し、】
三十歳で成道する時に、三惑を一時に破して、

【無明の大夜爰〔ここ〕に明けしかば、】
無明の長い夜が、ここに明けたのです。

【須く本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども、】
当然、本願に従って一乗、妙法蓮華経を説くべきであったのですが、

【機縁万差にして】
衆生の機根と因縁は、千差万別であり、

【其の機仏乗に堪へず。】
これでは、一乗の妙法蓮華経を理解することができなかったのです。

【然れば四十余年に所被の機縁を調へて、】
そこで四十余年の間に衆生の機根、因縁を調えて、

【後八箇年に至って出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へり。】
のち八箇年に至って、出世の本懐である妙法蓮華経を説かれたのです。

【然れば仏の御年七十二歳にして、序分無量義経に説き定めて云はく】
それゆえ、仏の御年七十二歳の時、法華経の序分の無量義経に

【「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、】
「私は、先に寂滅道場、菩提樹の下に端坐すること六年にして、

【阿耨多羅三藐三菩提〔あのくたらさんみゃくさんぼだい〕を】
無上の正覚を

【成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに】
成ずることを得た。仏眼で持って、一切の諸法を観察する時に、

【宣説すべからず。】
真実の悟りのままを説くことは、できないと知った。

【所以は何〔いかん〕。諸の衆生の性欲〔しょうよく〕不同なるを知れり。】
その理由は、諸々の衆生の性欲が不同であると知ったからである。

【性欲不同なれば種々に法を説く。】
性欲が不同であるから、種々に法を説き、

【種々に法を説くこと方便力を以てす。】
種々に法を説くことは、方便の力を用いたのです。

【四十余年には未だ真実を顕はさず」文。】
この四十余年間には、未だ真実を顕していない」と説かれたのです。

【此の文の意は、仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して、】
この文章の意味は、仏は、三十歳の時に寂滅道場の菩提樹の下に端座して、

【仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに、】
仏眼をもって、一切衆生の心根を御覧になった時に、

【衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず。】
衆生の成仏の直道である法華経を、すぐに説くわけにはいかなかったのです。

【是を以て空拳を挙〔あ〕げて嬰児をすか〔賺〕すが如く、】
まるで幼い赤ん坊に、おとぎ話を聞かせるように、

【様々のたばかりを以て】
さまざまな絵空事を使って衆生を教化し、

【四十余年が間は、いまだ真実を顕はさずと年紀をさして、】
その間の四十余年は、まだ真実を顕していないと、きちんと年数を挙げ、

【青天に日輪の出で、暗夜に満月のかゝるが如く説き定めさせ給へり。】
青天に太陽が出現し、暗夜に満月のかかるように、明らかに説かれたのに、

【此の文を見て何ぞ同じ信心を以て、】
なぜ、この文章を見て、同じ仏教を信じているのに、

【仏の虚事〔そらごと〕と説かるゝ法華已前の権教に執著して、】
仏が真実ではないと説かれている、法華経以前の権教に執着して、

【めずらしからぬ三界の故宅〔こたく〕に帰るべきや。】
別に珍しくもない欲界、色界、無色界の元の三界に帰っても良いものでしょうか。

【されば法華経の一の巻方便品に云はく】
それゆえ、法華経巻一の方便品には、

【「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」文。】
「正直に方便を捨て、ただ無上道を説く」とあるのです。

【此の文の意は前四十二年の経々、】
この文章の意味は、法華経以前の四十二年間の経々である、

【汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよとなり。】
あなたの述べるところの念仏、真言、禅、律を正直に捨てよと言うことなのです。

【此の文明白なる上、重ねていましめて第二の巻譬喩品〔ひゆほん〕に云はく】
この文章に明白な上に、重ねて、法華経巻二の譬喩品には、

【「但楽〔ねが〕って大乗経典を受持し、乃至余経の一偈をも受けざれ」文。】
「ただ、ねがって大乗経典を受持し、余経の一偈をも受けざれ」とあるのです。

【此の文の意は年紀かれこれ煩〔わずら〕はし、】
この文章の意味は、年数など、あれこれ言う必要もなく、

【所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり。】
法華経以外の他の経文を一偈でも信じてはならないと言うことなのです。

【然るに八宗の異義蘭菊〔らんぎく〕に、】
ところが八宗派の異説は、菊のように咲き乱れ、

【道俗形〔かたち〕を異〔こと〕にすれども、】
道俗の形も相違しているのに、

【一同に法華経をば崇〔あが〕むる由〔よし〕を云ふ。】
一同に法華経を崇めていると言うのです。

【されば此等の文をばいかゞ弁へたる。】
それならば、これらの文章を、どのように解釈しているのでしょうか。

【正直に捨てよと云ひて余経の一偈をも禁〔いまし〕むるに、】
正直に捨てよと言って、余経の一偈をも受持するなと禁めているのに、

【或は念仏、或は真言、或は禅、或は律、】
あるいは、念仏、あるいは、真言、あるいは、禅、あるいは、律、

【是余経にあらずや。】
これらは、法華経以外の余経ではないとでも言うのでしょうか。


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