日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(上) 15 第14章 法華第一が金言なるを示す

【爰〔ここ〕に愚人茫然〔ぼうぜん〕とほ〔恍〕れ、忽然〔こつねん〕となげひて】
ここで愚者は、呆然として、肩を落として嘆いていたが、

【良〔やや〕久しふして云はく、】
やや、しばらくしてから、このように告げたのです。

【此の大師は内外の明鏡、衆人の導師たり。】
この弘法大師は、内外の明鏡であり、衆人の導師であり、

【徳行世に勝れ名誉普く聞こえて、】
徳は、世間の誰よりも優れており、その名誉は、あまねく人々に聞こえて、

【或は唐土より三鈷〔さんこ〕を八万余里の海上をな〔投〕ぐるに】
中国から密教で使う仏具の三鈷を投げると、八万余里の海上を越えて

【即ち日本に至り、或は心経の旨をつゞるに】
日本に落ちたと主張し、また、あるいは、般若心経の趣旨を書いて、疫病を止め、

【蘇生の族〔やから〕途〔みち〕に彳〔たたず〕む。】
蘇生した者が道に溢れたと言います。

【然れば此の人たゞ人にあらず、大聖権化の垂迹〔すいじゃく〕なり。】
それ故に、この人は、ただの人ではなく、仏が姿を変えて、この世に現れたのです。

【仰いで信を取らんにはし〔如〕かじ。】
これを仰いで信じなければなりません。

【聖人云はく、】
この言葉に聖人は、このように告げたのです。

【予も始めは然なり。但し仏道に入って理非を勘〔かんが〕へ見るに、】
自分も初めは、そのように思いましたが、仏道によって、この理非を考えてみると、

【仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず、】
仏法の邪正は、けっして神通力に依る自在の力で決まるものではないのです。

【是を以て仏は依法不依人と定め給へり、前に示すが如し。】
この故に、仏は「法に依って人に依らざれ」と定められているのです。

【彼の阿伽陀仙〔あかだせん〕は恒河を片耳にたゝ〔湛〕へて十二年、】
彼の阿伽陀〔あかだ〕仙人は、恒河の水を十二年間、片耳に湛〔たた〕え、

【耆兎仙〔ぎとせん〕は一日の中に大海をすひほす。】
耆兎〔ぎと〕仙人は、一日のうちに大海を呑み干したと言います。

【張階〔ちょうかい〕は霧を吐き、欒巴〔らんば〕は雲を吐く。】
張階〔ちょうかい〕は、霧〔きり〕を吐き、欒巴〔らんば〕は、雲を吐いたのです。

【然れども未だ仏法の是非を知らず、】
しかしながら、彼らは、まだ仏法の是非も知らず、

【因果の道理をも弁へず。】
因果の道理をも弁〔わきま〕えず、

【異朝の法雲法師は講経勤修〔ごんしゅ〕の砌に須臾〔しゅゆ〕に】
中国の法雲法師は、法華経を講義した時に、

【天華をふらせしかども、妙楽大師は】
天から華が降りましたが、妙楽大師は、そのことについて、

【「感応〔かんのう〕斯くの若〔ごと〕きも猶理に称〔かな〕はず」とて、】
「感応は、そのようであっても、説くところは、なお道理に適っていない」と、

【いまだ仏法をばし〔知〕らずと破し給ふ。】
いまだ仏法を知らないと破折されたのです。

【夫〔それ〕此の法華経と申すは已今当の三説を嫌ひて、】
さて、この法華経と言うのは、已今当の三説を嫌って、

【已前の経をば未顕真実と打ち破り、】
法華経の「已前」の経を「未顕真実」と打ち破り、

【肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ、】
同時の無量義経を「今説」の文章をもって責め、

【已後の経をば当説の文を以て破る、】
已後の涅槃経は「当説」の文章をもって破り、

【実に三説第一の経なり。】
法華経は、まことに「已今当」の三説の中で第一の経であるとされたのです。

【第四の巻に云はく「薬王今汝に告ぐ、我が所説の経典而も此の経の中に於て】
法華経巻四法師品に「薬王、今、あなたに告げる。私の所説の諸経の中において、

【法華最第一なり」文。此の文の意は霊山会上〔えじょう〕に】
法華経は、最も第一である」と説かれて、この文章の意味は、霊山会上で

【薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云はく、始め華厳より終はり】
薬王菩薩と言う菩薩に仏が言われるのには「始め華厳経より終わり

【涅槃経に至るまで無量無辺の経は恒河沙等のごとく数多し。】
涅槃経に至るまで、無量無辺の経文があって、河の砂のように数が多いのですが、

【其の中には今の法華経最も第一と説かれたり。】
その中で、この法華経が最も第一なのである」と説かれているのです。

【然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。】
ところが弘法大師は、一の字を三と読まれたのです。

【同巻に云はく「我仏道の為に無量の土に於て始めより】
同巻見宝品第十一に「私が仏道を広めるために、無量の国土において、

【今に至るまで広く諸経を説く、】
始めより今に至るまで、広く諸経を説く、

【而も其の中に於て此の経第一なり」と。】
しかしその中において、この経は第一である」と説かれています。

【此の文の意は、又釈尊無量の国土にして或は名字を替へ、】
この文章の意味は、また釈尊が無量の国土において、あるいは、名字を変え、

【或は年紀を不同になし、種々の形を現じて説く所の諸経の中には、】
あるいは、寿命を不同とし、種々の形を現じて、説かれた諸経の中で、

【此の法華経を第一と定められたり。】
この法華経を第一であると定められたのです。

【同じき第五巻には最在其上〔さいざいごじょう〕と宣べて、】
同じく法華経巻五安楽行品には「法華経は、最もその上にある」と述べられて、

【大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に、此の経は有るべしと説かれたるを、】
大日経、金剛頂経などの無量の経典の頂上に、この経は、あると説かれたのを、

【弘法大師は最在其下と謂〔い〕へり。】
弘法大師は「最もその下にある」と言ったのです。

【釈尊と弘法と、法華経と宝鑰〔ほうやく〕とは実に以て相違せり。】
釈尊と弘法と、法華経と秘蔵宝鑰とは、このように大きく相違しているのです。

【釈尊を捨て奉りて弘法に付くべきか、又弘法を捨てゝ釈尊に付き奉るべきか、】
釈尊を捨てて弘法につくべきか、また弘法を捨てて釈尊につくべきか。

【又経文に背いて人師の言に随ふべきか、】
また経文に背いて人師の言葉に随うべきか、

【人師の言を捨てゝ金言を仰ぐべきか、】
人師の言葉を捨てて仏の金言を仰ぐべきか。

【用捨心に有るべし。】
いずれを用い、いずれを捨てるか、よくよく判断すべきです。


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