日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(上) 08 第07章 禅宗の教えを説く

【愚人の云はく、実に以て然〔しか〕なり。】
これを聞いて愚者は、なるほど、その通りです。

【先非をひるがへして賢き教へに付き奉らんと思ふなり。】
過去の過ちを改めて、優れた真言の教えに付こうと思いますと告げたのです。

【又爰に萍〔うきくさ〕のごとく諸州を回り蓬〔よもぎ〕のごとく】
またここに、浮き草のように諸国を巡り歩き、よもぎのように

【県々〔けんけん〕に転ずる非人の、それとも知らず来たり、】
各地に広がる非人が、いつとはなしに現れて、

【門〔かど〕の柱に寄り立ちて含笑〔ほくそえ〕み語る事なし。】
門の柱に寄りかかって、黙って、ほくそ笑んでいたのです。

【あやしみをなして是を問ふに始めには云ふ事なし。】
それを怪しんで、何の用かを尋ねてみても、始めは、何も言わずに

【後に強〔し〕ひて問ひを立つる時、彼が云はく、】
後に強く尋ねた時に、その非人が、

【月蒼々〔そうそう〕として風忙々〔ぼうぼう〕たりと。】
「月は、あおあおと照り、風は、ぼうぼうと吹く」と答えたのです。

【形質〔なりかたち〕常に異〔こと〕に、言語又通ぜず。】
姿形は、常人と異なり、言葉も、また通じないのです。

【其の至極を尋ぬれば当世の禅法是なり。】
よくよく尋ねてみると、これは、当世の禅法であったのです。

【予彼の人の有り様〔よう〕を見、其の言語を聞いて仏道の良因を問ふ時、】
私は、この人の姿を見、その言葉を聞いて、仏道の良因を尋ねてみたのです。

【非人の云はく、修多羅〔しゅたら〕の教は月をさす指、】
するとその時、この非人の言うのには、経典の教えは、月をさす指であり、

【教網〔きょうもう〕は是言語にとゞこほる妄事なり。】
仏の説いた教々の網によるのは、言葉にとらわれた迷妄であり、

【我が心の本分におちつかんと出で立つ法は】
自分の心の本質に立ち帰ろうとして説かれた法は、

【其の名を禅と云ふなり。】
その名を禅と言うのであると答えたのです。

【愚人云はく、願はくば我聞かんと思ふ。】
愚者が是非とも私に、その禅を教えてくださいと言うと

【非人云はく、】
非人は、このように告げたのです。

【実に其の志深くば壁に向かひ坐禅して本心の月を澄ましめよ。】
本当にその志が深いのならば、壁に向かい坐禅して本心の月を澄まさせなさい。

【爰〔ここ〕を以て西天には二十八祖系〔けい〕乱れず、】
この禅は、インドでは、二十八祖が乱れず伝承し、

【東土には六祖の相伝明白なり。】
中国では、六祖の相伝が明白である。

【汝是を悟らずして教網にかゝる、不便不便。】
あなたは、これを知らず、教網にかかっており、まことに憐れむべきです。

【是心即仏、即心是仏なれば。】
この心は、そのまま仏、心に即して仏があるのだから、

【此の身の外に更に何〔いず〕くにか仏あらんや。】
この身の外に、別に仏があるわけがないのです。


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