日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(上) 14 第13章 弘法の邪義を破す

【爰〔ここ〕に愚人云はく、誠に是〔これ〕此の法門を聞くに、】
そこで愚者は、このように告げたのです。ほんとうに、この法門を聞くと、

【念仏の法門実に往生すと雖も其の行儀修行し難し。】
念仏の法門がたとえ確実に往生できるとしても、その修行は、非常に難しく、

【況んや彼の憑〔たの〕む所の経論は皆以て権説なり、】
まして、頼りとする経論は、すべて権経であり、

【往生すべからざるの条分明なり。】
これでは、往生ができないことは、明らかです。

【但〔ただ〕真言を破する事は其の謂〔いわ〕れ無し。】
ただ、同じ権教でも真言宗を破折するには、その根拠がありません。

【夫〔それ〕大日経とは大日覚王の秘法なり。】
そもそも大日経とは、大日如来の秘法なのです。

【大日如来より系も乱れず、善無畏〔ぜんむい〕・不空〔ふくう〕之を伝へ、】
大日如来から系統も乱れず、善無畏、不空と、この秘法が伝えられ、

【弘法大師は日本に両界の曼荼羅〔まんだら〕を弘め、】
弘法大師は、日本に金剛界曼陀羅と胎蔵界曼陀羅を弘めました。

【尊高三十七尊秘奥〔ひおう〕なる者なり。】
これは、三十七尊を描いた秘奥の法なのです。

【然るに顕教の極理は尚密教の初門にも及ばず。】
したがって顕教の極理は、なお密教の初門にも及ばないのです。

【爰を以て後唐院〔ごとういん〕は「法華尚及ばず況んや
このゆえに智証大師は「法華経でも、なお及ばない。

【自余の教をや」と釈し給へり。】
まして、その他の教は、言うまでもない」と解釈しているのです。

【此の事如何が心うべきや。】
このことを、どう考えるべきなのでしょうか。

【聖人示して云はく、】
この疑問に対し聖人は、このように告げたのです。

【予も始めは大日に憑みを懸〔か〕け、密宗に志を寄す。】
自分も初めは、大日如来を頼みとして、真言宗に志を寄せていたのですが、

【然れども彼の宗の最底を見るに】
しかし、真言宗の奥底を見てみると、

【其の立義〔りゅうぎ〕も亦謗法〔ほうぼう〕なり。】
その立義も、また謗法なのです。

【汝が云ふ所の高野〔こうや〕の大師は嵯峨天皇の御宇〔ぎょう〕の人師なり。】
あなたの言われる弘法大師は、嵯峨天皇の時代の人師で、

【然るに皇帝より仏法の浅深〔せんじん〕を判釈すべき由の宣旨を給ひて、】
帝から仏法の浅深を判断し説明せよとの勅命を受けて、

【十住心論十巻之を造る。】
十住心論十巻を造ったのですが、

【此の書広博なる間、要を取って三巻に之を縮〔つづ〕め、】
この書は、広博なので、その肝要を取って三巻に縮め、

【其の名を秘蔵〔ひぞう〕宝鑰〔ほうやく〕と号す。】
その名を秘蔵宝鑰と名づけて、著したのです。

【始め異生羝羊心〔いしょうていようしん〕より】
この中の最初の異生羝羊心から、

【終はり秘密〔ひみつ〕荘厳心〔しょうごんしん〕に至るまで】
終わりの秘密荘厳心に至るまで、

【十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てゝ】
十に分別して、第八を法華、第九を華厳、第十を真言と立てて、

【法華は華厳にも劣れば大日経には三重の劣と判じて】
法華経は、華厳経にも劣るので、大日経に対しては、三重にも劣っていると判じて

【「此くの如きの乗々は自乗に仏の名を得れども、後に望めば】
「このような経において、仏乗と仏の名を付けているが、後に望めば

【戯論〔けろん〕と作る」と書いて、法華経は狂言綺語〔きご〕と云ひ、】
戯論となる」と書いて、法華経を狂言、綺語と言い、

【釈尊をば無明に迷へる仏と下せり。】
釈尊を無明に迷っている仏と下〔くだ〕したのです。

【仍〔よ〕って伝法院を建立せし弘法〔こうぼう〕の弟子正覚房は】
これによって高野山に伝法院を建立した弘法の弟子、正覚房は

【「法華経は大日経のはきもの〔履物〕と〔取〕りに及ばず、】
「法華経は大日経の履物取りにも及ばない。

【釈迦仏は大日如来の牛飼ひにも足らず」と書けり。】
釈迦仏は、大日如来の牛飼にも達していない」と書いたのです。

【汝心を静めて聞け、一代五千七千の経教、外典三千余巻にも、】
あなたは、心を静めて聞きなさい。釈尊一代の五千七千の経教、外典三千余巻にも、

【法華経は戯論三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は、無明に迷へる仏にて、】
法華経は戯論、三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷っている仏で、

【大日如来の牛飼ひにも足らずと云ふ慥〔たし〕かなる文ありや。】
大日如来の牛飼にも及ばないと言う、確かな文証があるのでしょうか。

【設〔たと〕ひさる文有りと云ふとも能〔よ〕く能く思案有るべきか。】
たとえ、そう言う文証があると言っても、よくよく考えるべきです。

【経教は西天より東土に□〔およ〕ぼす時、】
釈尊の経教は、インドから中国に伝わった時に、

【訳者の意楽〔いぎょう〕に随って経論の文不定なり。】
訳者の意向に従って経論の文章の内容が不確かであったのです。

【さて後秦の羅什〔らじゅう〕三蔵は、】
そこで後秦の羅什三蔵は、

【我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり。我が訳する所の経】
「私が漢土の仏法を見ると、多くは、梵本に相違している。私の訳した経文に

【若し誤りなくば、我死して後、身は不浄なれば焼くると云ふとも、】
もし、誤りがなければ、私が死んで火葬にする時、身は不浄なので焼けるとしても、

【舌計〔ばか〕りは焼けざらんと常に説法し給ひしに、】
舌ばかりは焼けないであろう」と常に語っていたのです。

【焼き奉る時御身は皆骨となるといへども、】
死後、果たして身は、焼かれて、皆、骨となってしまいましたが、

【御舌計りは青蓮華〔しょうれんげ〕の上に光明を放って、】
舌だけは、青蓮華の上に光りを放ち、

【日輪を映奪〔えいだつ〕し給ひき、有り難き事なり。】
太陽の光を奪うほどであったと言うのです。実に不思議な有り得ないことです。

【さてこそ殊更〔ことさら〕彼の三蔵所訳の法華経は】
そういう訳で、なおさら、この羅什三蔵の翻訳した法華経は、

【唐土にやすやすと弘まらせ給ひしか。】
中国において、瞬く間に弘まったのです。

【然れば延暦寺〔えんりゃくじ〕の根本大師、諸宗を責め給ひしには、】
それゆえ、延暦寺の伝教大師が、諸宗の間違いを責めた時に、

【法華を訳する三蔵は】
「法華経が正しいと言うことは、訳した羅什三蔵の舌が

【舌の焼けざる験〔しるし〕あり。】
焼けなかったと言う現実がある。

【汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是なり。】
あなた達の依経は、皆、誤っている」と破折したのは、このことを指すのです。

【涅槃経にも「我が仏法は他国へ移らん時誤り多かるべし」と説き給へば、】
涅槃経にも「我が仏法が他国へ移る時、誤りが多いであろう」と説かれたので、

【経文に設ひ法華経はいたずら事、】
経文には、たとえ法華経は、無益なこと、

【釈尊をば無明に迷へる仏なりとありとも、】
釈尊は、無明に迷っている仏であると書いてあったとしても、

【権教実教・大乗小乗・説時前後、訳者能く能く尋ぬべし。】
権教と実教、大乗と小乗、説法時の前後、翻訳者などを詳しく調べるべきなのです。

【所謂〔いわゆる〕老子・孔子は九思一言・三思一言、】
いわゆる老子や孔子は、九思一言、三思一言と言い、

【周公旦は食するに三度吐き、】
周公旦は、食事中に来客があり、三度も口の中の食物を吐き、

【沐〔もく〕するに三度にぎ〔握〕る。】
髪を洗う時にも来客があって、三度も髪を握って外に出たと言います。

【外典のあさましき猶是くの如し、】
外典の浅い教えであっても、なお、このように注意するのであるから、

【況んや内典の深義を習はん人をや。】
まして内典の深義を学ぼうとする人は、言うまでもないことです。

【其の上此の義経論に迹形〔あとかた〕もなし。】
そのうえ法華経が大日経に劣ると言う義は、経にも論にも跡形もないのです。

【人を毀〔そし〕り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈なり。】
「人を毀り、法を謗ずるならば悪道に堕ちる」とは、弘法大師の解釈なのです。

【必ず地獄に堕ちんこと疑ひ無き者なり。】
従って弘法が地獄に堕ちることは、間違いのないことなのです。


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