日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


聖愚問答抄(上) 13 第12章 念仏者の師敵対を述べる

【今世の念仏の行者・俗男・俗女、経文に違するのみならず、】
今の世の念仏の行者や俗世の男女は、経文に相違するばかりでなく、

【又師の教へにも背けり。五種の雑行〔ぞうぎょう〕とて】
また師である善導の教えにも背いているのです。五種の雑行と言って、

【念仏申さん人のす〔捨〕つべき日記、善導の釈之〔これ〕有り。】
念仏を称える者が捨てるべき内容を記した善導の注釈があり、

【其の雑行とは選択〔せんちゃく〕に云はく】
その雑行とは、法然の選択集に

【「第一に読誦〔どくじゅ〕雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて】
「第一に読誦雑行とは、上の観経などの往生浄土の経を除いて、

【已外、大小乗顕密の諸経に於て、】
それ以外の大乗、小乗、顕教、密教の経文を

【受持・読誦するを悉〔ことごと〕く読誦雑行と名づく。】
受持し読誦することであり、

【乃至第三に礼拝〔らいはい〕雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除きて】
第三に礼拝雑行とは、上の阿弥陀如来を礼拝することを除いて

【已外、一切諸余の仏菩薩等・及び諸の世天に於て】
それ以外のすべての仏、菩薩や諸天に対して

【礼拝恭敬〔くぎょう〕するを悉く礼拝雑行と名づく。】
礼拝恭敬することであり、

【第四に称名〔しょうみょう〕雑行とは、上の弥陀の名号を称するを除きて】
第四に称名雑行とは、上の阿弥陀如来の名号を称えることを除いて、

【已外、自余の一切の仏菩薩等及び諸の世天等の】
それ以外のすべての仏、菩薩や諸天に対して

【名号を称するを悉く称名雑行と名づく。】
名号を称えることであり、

【第五に讃歎〔さんだん〕供養〔くよう〕雑行とは、上の弥陀仏を除きて】
第五に讃歎供養雑行とは、上の阿弥陀如来を除いて

【已外、一切諸余の仏菩薩等及び諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く】
それ以外のすべての仏、菩薩や諸天に対して、讃歎し供養することを、

【讃歎供養雑行と名づく」文。此の釈の意は第一の】
讃歎供養雑行と言う」とあるのです。この解釈の意味は、

【読誦雑行とは、念仏申さん道俗男女、読むべき経あり、】
第一の読誦雑行とは、念仏を称える出家在家の男女が読むべき経があり、

【読むまじき経ありと定めたり。】
読んではならない経があると定めたものです。

【読むまじき経は法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・】
読んではならない経とは、法華経、仁王経、薬師経、大集経、般若心経、

【転女〔てんにょ〕成仏経・北斗寿命経、ことさらうち任せて諸人読まるゝ】
転女成仏経、北斗寿命経であり、中でも、人々に普通に読まれている

【八巻の中の観音経、】
法華経八巻の中の観世音菩薩普門品は、読んではならず、

【此等の諸経を一句一偈も読むならば、たとひ念仏を志す行者なりとも、】
これらの諸経の一句一偈でも読むならば、たとえ念仏を志す行者であっても、

【雑行に摂せられて往生すべからずと云云。】
雑行の中に入れられて往生できないと言うのです。

【予愚眼〔ぐげん〕を以て世を見るに、設ひ念仏申す人なれども、】
私が愚眼でもって世間を見ると、たとえ念仏を称する人であっても、

【此の経々を読む人は多く師弟敵対して七逆罪と成りぬ。】
これらの経々を読む人は多く、師敵対し七逆罪の者となってしまっているのです。

【又第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏・】
また第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は、弥陀三尊より外は、上に挙げられた諸仏、

【菩薩・諸天善神を礼するをば礼拝雑行と名づけ、又之を禁ず。】
菩薩、諸天善神を拝むことを礼拝雑行と名づけ、禁じているのです。

【然るを日本は神国として伊奘諾〔いざなぎ〕・伊奘册尊〔いざなみのみこと〕】
しかしながら、日本は、神国として、イザナギ、イザナミノミコトが

【此の国を作り、天照太神垂迹御坐〔いま〕して、】
この国を作り、天照大神がおでましになって、

【御裳濯河〔みもすそがわ〕の流れ久しふして今にたえず、】
伊勢神宮の御裳濯河の流れは、久しくして今まで絶えたことがないのです。

【豈〔あに〕此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや。】
どうして、この国に生まれて、神々を敬うことを邪義と言うのでしょうか。

【又普天〔ふてん〕の下に生まれて三光の恩を蒙りながら、】
また大空の下に生まれて日月星の光明の恩を受けながら、

【誠に日月星宿を破する事尤〔もっと〕も恐れ有り。】
日月、星々を敬わないとは、ほんとうに恐れ多いことです。

【又第四の称名雑行とは、念仏申さん人は唱ふべき仏菩薩の名〔みな〕あり、】
また第四の称名雑行とは、念仏を称える人は、称えるべき仏、菩薩の名号があり、

【唱ふまじき仏菩薩の名あり。】
称えてはならない仏、菩薩の名号があると言うのです。

【唱ふべき仏菩薩の名とは弥陀三尊の名号〔みょうごう〕、】
称えるべき仏、菩薩の名号とは、弥陀三尊の名号であり、

【唱ふまじき仏菩薩の名号とは釈迦・薬師・大日等の諸仏、】
唱えてはならない仏、菩薩の名号とは、釈迦、薬師、大日等の諸仏、

【地蔵・普賢〔ふげん〕・文殊〔もんじゅ〕・日月星、】
地蔵、普賢、文殊、日月星、

【二所と三島と熊野と羽黒と天照太神と八幡大菩薩と、】
二所と三島と熊野と羽黒と天照大神と八幡大菩薩とであるのです。

【此等の名を一遍も唱へん人は念仏を十万遍百万遍申したりとも、】
これらの名号を一遍でも称えた人は、念仏を十万遍、百万遍称えたとしても、

【此の仏菩薩・日月神等の名を唱ふる過〔とが〕に依って、】
この仏、菩薩、日月神などの名号を称える過ちによって、

【無間にはお〔堕〕つとも往生すべからずと云云。】
無間地獄には、堕ちても極楽往生は、できないと言うのです。

【我世間を見るに念仏を申す人も、】
私が世間を見ると、念仏を称えている人も、

【此等の諸仏・菩薩・諸天善神の名を唱ふる故に、】
これらの諸仏菩薩、諸天善神の名号を称えているので、

【是又師の教へに背けり。】
やはり、師の教えに背いているのです。

【第五の讃歎供養雑行とは、念仏申さん人は供養すべき仏は】
第五の讃歎供養雑行とは、念仏を称える人が供養すべき仏は、

【弥陀〔みだ〕三尊を供養せん外は、上に挙ぐる所の仏菩薩・諸天善神に】
弥陀三尊であり、それ以外の仏、菩薩、諸天善神に

【香華のすこしをも供養せん人は、念仏の功は貴とけれども、】
香華を少しでも供養する人は、念仏の功徳は貴〔とうと〕いけれども、

【此の過に依って雑行に摂すと是をきらふ。】
この過ちによって雑行の者になるとしてこれを嫌うのです。

【然るに世をみるに、社壇に詣でては幣帛〔へいはく〕を捧げ、】
ところが世間を見ると、神社に参詣しては、諸物を献上し、

【堂舎に臨〔のぞ〕みては礼拝を致す、是又師の教へに背けり。】
寺院に入っては、礼拝しており、これまた師の教えに背いているのです。

【汝若し不審ならば選択〔せんちゃく〕を見よ、其の文明白なり。】
あなたが不審に思うのであれば、選択集を読みなさい。その文章は、明白なのです。

【又善導和尚の観念法門経に云はく「酒肉五辛〔ごしん〕誓って発願して】
また善導和尚の観念法門経には、「酒肉五辛を

【手に捉〔と〕らざれ、口に喫〔か〕まざれ、若し此の語に違せば、】
手にとらず、口に入れず、もし、この言葉に相違すれば、

【即ち身口倶〔とも〕に悪瘡〔あくそう〕を著けんと願ぜよ」文。】
身と口ともに悪瘡を病むと誓願せよ」とあるのです。

【此の文の意は念仏申さん男女・尼法師は酒を飲まざれ】
この文章の意味は、念仏を称える男女、尼法師は、酒を飲んではならない。

【魚鳥を食はざれ、】
また、魚や鳥を食べてはならないのです。

【其の外にらひる〔韮薤〕等の五つのから〔辛〕くくさ〔臭〕き物を食はざれ、】
その外、にら、ひるなど五つの辛く臭い物を食べてはならないのです。

【是を持たざる念仏者は今生には悪瘡身に出で、】
これを守らない念仏者は、今生には、悪瘡〔あくそう〕が身に出て、

【後生には無間に堕すべしと云云。】
後生には、無間地獄に堕ちると言うのです。

【然るに念仏申す男女・尼法師此の誡めをかへりみず、】
それなのに、念仏を称える男女や尼法師などは、

【恣〔ほしいまま〕に酒をのみ魚鳥を食ふ事、】
この戒律をかえりみずに、酒を飲み、魚や鳥を食べているのです。

【剣を飲む譬へにあらずや。】
これらは、自ら剣を飲むような行為ではないでしょうか。


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