御書研鑚の集い 御書研鑚資料
三世諸仏総勘文教相廃立 5 権実の経文の意義
第4章 権実の経文の意義
【此の教相をば無量義経に】
これらの教えの姿を無量義経では
【「四十余年未顕〔みけん〕真実〔しんじつ〕」と説きたまふ(已上)。】
「四十余年、未顕真実」と説いているのです。
【未顕真実の諸経は夢中の権教なり。故に釈籖〔しゃくせん〕に云はく】
未顕真実の経文は、すべて夢の中の権教なのです。それ故に法華玄義釈籖には
【「性〔しょう〕は殊〔こと〕なること無しと雖も】
「夢の中と現実では、その心の動きは、異なる事が無いと言っても、
【必ず幻〔げん〕に藉〔よ〕りて】
必ず夢の中の幻〔まぼろし〕によって心が動き、
【幻の機と幻の感と幻の応と幻の赴とを発〔お〕こす。】
幻〔まぼろし〕によって機、感、応、赴が起きるのです。
【能応〔のうおう〕と所化と】
能応である仏と所化である衆生は、
【並びに権実に非ず」(已上)。】
ともに幻の権であって現実ではないのです。」とあり、
【此皆夢幻〔むげん〕の中の方便の教なり。】
これらは、みんな夢、幻の中の方便の教えなのです。
【「性は殊なること無しと雖も」等とは、】
この「夢の中と現実では、その心の動きは、異なる事が無い」とは、
【夢〔ゆめ〕見〔み〕る心性と寤の時の心性とは只一の心性にして、】
夢を見ている心の動きと現実の心の動きは、ただ同じ心の動きであって、
【総〔すべ〕て異なること無しと雖も、】
すべて異なることがないと言う意味で、
【夢の中の虚事〔こじ〕と寤の時の実事と、二事一の心法なるを以て、】
夢の中の虚構と現実の時の実際とは、二つの事であっても一つの心の動きなので、
【見ると思ふも我が心なりと云ふ釈なり。】
見え方も思う事も、すべて自分の心の動きが行っていると言う解釈なのです。
【故に止観〔しかん〕に云はく】
それ故に止観輔行伝〔ぶぎょうでん〕弘決には
【「前の三教の四弘〔しぐ〕、】
「爾前教である蔵、通、別の三教の四弘誓願は、
【能〔のう〕も所〔しょ〕も泯す」(已上)。】
仏や衆生にとって何の意味もない」と書かれています。
【四弘とは、衆生の無辺〔むへん〕なるを度せんと誓願し、】
四弘誓願とは、衆生のすべてを救うと誓願し、
【煩悩〔ぼんのう〕の無辺なるを断ぜんと誓願し、】
煩悩のすべてを断じさせようと誓願し、
【法門の無尽〔むじん〕なるを知らんと誓願し、】
法門の無尽である事を教えようと誓願し、
【無上菩提を証せんと誓願す。】
最高の悟りを得させようと誓願するものです。
【此を四弘と云ふ。能とは如来なり、所とは衆生なり。】
これを四弘誓願と言うのです。能とは如来であり、所とは衆生なのです。
【此の四弘は能の仏も所の衆生も、】
この四弘誓願は、能の仏も所の衆生も、
【前三教は皆夢中の是非なりと釈し給へるなり。】
爾前教の蔵、通、別の三教では、みんな夢の中の事であると言われているのです。
【然れば法華以前の四十二年の間の説教たる諸教は、】
そうであれば、法華経以前の四十二年の間の説教である多くの教えは、
【未顕真実の権教なり方便なり。】
すべて未顕真実の権教であり方便なのです。
【法華に取り寄るべき方便なるが故に真実には非ず。】
法華経の為に説かれた準備の為の方便であるが故に真実ではないのです。
【此は仏自〔みずか〕ら四十二年の間説き集め給ひて後に、】
これは、仏自身が四十二年の間の説法をした後に、
【今法華経を説かんと欲して、】
今から法華経を説こうと思って、
【先づ序分〔じょぶん〕の開経〔かいきょう〕の無量義経の時、】
まず法華経の序分である開経の無量義経の時に、
【仏自ら勘文〔かんもん〕し給へる教相なれば、】
仏、みずからが、厳しく意見をされたものであれば、
【人の語も入るべからず、不審をも生〔な〕すべからず。】
その他の人の言葉を入れるべきではなく、それを不審に思ってもならないのです。
【故に玄義〔げんぎ〕に云はく】
そうであるから妙楽大師の法華玄義釈□〔しゃくせん〕に
【「九界を権と為し、仏界を実と為す」(已上)。】
「九界を権とし、仏界を実とする」と書かれており、
【九法界の権は四十二年の説教なり。】
九法界の権とは、四十二年の説教であり、
【仏法界の実は八箇年の説、法華経是なり。】
仏界の実は、八年間の説法である法華経のことなのです。
【故に法華経を仏乗と云ふ。】
それ故に法華経を仏乗と言うのです。
【九界の生死は夢の理なれば権教と云ひ、】
九界の生死は、夢の中の虚構であれば権教と言い、
【仏界の常住は寤の理なれば実教と云ふ。】
仏界の常住は、現実の道理なので実教と言うのです。
【故に五十年の説教、一代の聖教、一切の諸経は、】
それ故に釈迦牟尼仏の五十年の説教、一代の聖教、一切の諸経は、
【化他の四十二年の権教と自行の八箇年の実教と合して五十年なれば、】
化他の四十二年の権教と自行の八年間の実教を合わせて五十年となるのです。
【権と実との二の文字を以て】
このように権と実との二つの文字によって、
【鏡に懸けて陰〔くもり〕無し。】
その意味は、鏡にまったく曇りがないように明々白々のことなのです。