日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三世諸仏総勘文教相廃立 22 一大事因縁


第21章 一大事因縁

【三世の諸仏は此を一大事の因縁と思〔おぼ〕し食〔め〕して】
三世の諸仏は、これを仏の一大事の因縁と思い定めて、

【世間に出現し給へり。】
これを教える為に世間に出現したのです。

【一とは(中道なり法華なり)、大とは(空諦なり華厳なり)、】
一とは、中道であり法華であり、大とは、空諦であり華厳であり、

【事とは(仮諦なり阿含と方等と般若となり)。】
事とは、仮諦であり、阿含と方等と般若なのです。

【已上一代の総の三諦なり。】
これが釈迦牟尼仏一代聖教の総の三諦なのです。

【之を悟り知る時仏果を成ずるが故に、出世の本懐成仏の直道〔じきどう〕なり。】
これを悟り知る時、仏果を成ずるが故に、出世の本懐、成仏の直道となるのです。

【因とは一切衆生の身中に総の三諦有りて】
因縁の因とは、すべての衆生の身体の中に総の三諦があって、

【常住〔じょうじゅう〕不変〔ふへん〕なり。此を総じて因と云ふなり。】
常住不変である。これを総じて因と言うのです。

【縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値はざれば、】
因縁の縁とは、三因仏性があっても善知識の縁に合わなければ、

【悟らず知らず顕はれず。】
悟ることは出来ず、知る事すら出来ず、まして実際に現れないのです。

【善知識の縁に値へば必ず顕はるゝが故に縁と云ふなり。】
善知識の縁に合えば、必ず現れるゆえに縁と言うのです。

【然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して、】
末法である、現在、この一と大と事と因と縁との五事が和合して、

【値ひ難き善知識の縁に値ひて】
会い難き善知識の縁に会って

【五仏性を】
天台が説いた正因仏性、了因仏性、縁因仏性、果性仏性、果果性仏性の五仏性が

【顕はさんこと、何の滞〔とどこお〕りか有らんや。】
現れる事は間違いないのです。

【春の時来たりて風雨の縁に値ひぬれば、】
春が来て雨が降れば、それが縁となって、

【無心の草木も皆悉〔ことごと〕く萠〔も〕え出で、】
心が無いはずの草木も、生えて来ます。

【華を生じて敷〔さ〕き栄へて世に値ふ気色〔けしき〕なり。】
また、花が咲き、世間の景色は、花で美しく彩られます。

【秋の時に至りて月光の縁に値ひぬれば、】
また秋になり、月の光に合えば、それが縁となって

【草木皆悉く実〔み〕成熟して一切の有情を養育し、寿命を続きて長養し、】
草木すべてに果実が熟して、すべての有情を養い、生物の寿命が続いて繁栄し、

【終に成仏の徳用〔とくゆう〕を顕はす。】
最終的には、人々を自然に成仏を促すことになるのです。

【之を疑ひ之を信ぜざる人有るべきや。】
このことを、疑って信じない人がいるでしょうか。

【無心の草木すら猶〔なお〕以て是くの如し、】
心が無い草木ですら、このようであるので、

【何に況〔いわ〕んや人倫〔じんりん〕に於てをや。】
人間に生まれては、当然のことではないでしょうか。

【我等は凡夫なりと迷ふと雖も】
私たちが凡夫であり、そのことで迷うとは言っても、

【一分の心も有り解〔げ〕も有り、】
少しでも信心があり、理解する力もあり、

【善悪を分別し折節〔おりふし〕を思ひ知る。】
善悪を考え、適切な時期もわかるものです。

【然るに宿縁に催〔もよお〕されて生を仏法流布の国土に受けたり。】
しかも宿縁によって仏法の流布する国土に生を受けたのです。

【善知識の縁に値〔あ〕ひなば、因果を分別して、】
善知識の因縁に会えさえすれば、その因果を理解して

【成仏すべき身なるを以て善知識〔ぜんちしき〕に値ふと雖も、】
成仏すべき身であるのに、その善知識に会っても、

【猶草木にも劣りて身中の三因仏性を顕はさずして】
なお、草木にも劣り、身体の中の三因仏性を顕わさずに、

【黙止〔もだ〕せる謂〔いわ〕れ有るべきや。】
黙止していると言うのは、どういうことなのでしょう。

【此の度必ず必ず生死の夢を覚まし、】
この度は、必ず、必ず、生死の夢を覚まして、

【本覚の寤〔うつつ〕に還〔かえ〕って生死の紲〔きずな〕を切るべし。】
本覚の現実に帰って、生死のきずなを切るべきなのです。

【今より已後は夢中の法門を心に懸〔か〕くべからざるなり。】
今より以後は、夢の中の法門を心に思い描くことがあってはなりません。

【三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し、】
三世諸仏と一心に心を合わせて妙法蓮華経を修行し、

【障〔さわ〕り無く開悟〔かいご〕すべし。】
いかなる障害も乗り越えて仏界を開き悟るべきなのです。

【自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰〔くも〕り無し。】
自行と化他との二教の差別は、まったく曇りのない鏡のように明らかなのです。

【三世諸仏の勘文〔かんもん〕是くの如し。秘すべし秘すべし。】
三世諸仏の勘文は、このようであり、秘して、いかなくてはならないのです。

【弘安二年己卯十月 日蓮花押】
弘安2年(西暦1279年)10月 日蓮花押


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