御書研鑚の集い 御書研鑚資料
三世諸仏総勘文教相廃立 8 権教は方便の説
第7章 権教は方便の説
【是の方便の教は唯穢土〔えど〕に有って】
この方便の教えは、ただ汚〔けが〕れた穢土にだけあって、
【総て浄土には無し。】
すべて浄土には無いのです。
【法華経に云はく「十方仏土の中には唯一乗の法のみ有りて、】
法華経には「四方の仏の国土の中には、ただ一乗の法のみあって、
【二も無く亦三も無し。仏の方便の説をば除く」(已上)。】
二も無く、また三も無し、ただし、仏の方便の説を除く」とあります。
【故に知んぬ、十方の仏土に無き方便の教を取りて、】
故に四方の仏の国土にはない方便の教えを
【往生〔おうじょう〕の行と為し、】
往生の修行とし、
【十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌〔きら〕ひて取らずして】
四方の浄土に有る一乗の法を嫌って、
【成仏すべき道理有るべしや否や。一代の教主釈迦如来、】
人々が成仏できる道理が有るでしょうか。一代聖教の教主釈迦牟尼仏が、
【一切経を説き勘文〔かんもん〕し給ひて言はく、】
すべての経文を説き、その意見書において、このように言われています。
【三世の諸仏の同様に一つ語一つ心に勘文し給へる説法の儀式なれば、】
三世の諸仏も同様に一つの言葉、一つの心にも意見書がつく説法の儀式なので、
【我も是くの如く一言も違はざる説教の次第なり云云。】
私もこのように一言も違はないように説教の手順を慎重に踏んだのである。
【方便品に云はく「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く】
方便品に「三世の諸仏の説法の儀式のように、私も今、また、このように三乗に
【無分別〔むふんべつ〕の法を説く」(已上)。】
差別がない諸法実相の妙理を説くのである」と説かれています。
【無分別の法とは一乗の妙法なり。】
三乗に差別がない法とは、一仏乗の妙法であり、
【善悪を簡〔えら〕ぶこと無く、草木樹林にも山河大地にも】
善人悪人を問わず草木にも山河にも
【一微塵〔みじん〕の中にも互ひに各十法界の法を具足す。】
一つの塵〔ちり〕の中にも互いに十界の法を具足しているのです。
【我が心の妙法蓮華経の一乗は、】
自身の心の妙法蓮華経の一仏乗は、
【十方の浄土に周遍して欠くること無し。】
四方の浄土に行き渡って及ばないところがないのです。
【十方の浄土の依報〔えほう〕・正報〔しょうほう〕の功徳荘厳は、】
四方の浄土の依報、正報の功徳にあふれた荘厳な姿は、
【我が心の中に有って片時も離るゝこと無き】
自身の心の中にあって片時も離れることがないのです。
【三身即一の本覚の如来なり。是の外には法無し。】
これが三身即一の本覚の如来なのです。これ以外に法はなく、
【此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し。】
この一法ばかりが四方の浄土にあって、他の法が有るということは無いのです。
【故に無分別の法と云ふは是なり。此の一乗妙法の行をば取らずして、】
それ故に差別がない法と言い、この一乗妙法の修行をしないで、
【全く浄土にも無き方便の教を取りて、】
浄土にない方便の教えを守って
【成仏の行と為〔せ〕んは迷ひの中の迷ひなり。】
成仏の修行とするのは迷いの中の迷いなのです。
【我仏に成りて後に穢土に立ち還〔かえ〕りて、】
自身が仏に成った後に穢土に立ち還って、
【穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に、】
穢土の衆生を仏法界に入らせる為に、
【次第に誘ひ入れて方便の教を説くを化他の教とは云ふなり。】
次第に導いて方便の教を説く事を化他の教えと言うのです。
【故に権教と言ひ、又方便とも云ふ。】
これ故に権教と言い、また方便とも言うのです。
【化他の法門の有り様、大体略を存して斯〔か〕くの如し。】
化他の法門の有り様は、だいたい、このようなことを言うのです。