御書研鑚の集い 御書研鑚資料
三世諸仏総勘文教相廃立 14 一体三身の徳
第13章 一体三身の徳
【止観〔しかん〕の九に云はく「譬〔たと〕へば眠〔ねむ〕りの法、】
魔訶止観の第九巻には「たとえば眠りの法が心を覆っているように、
【心を覆〔おお〕ふて一念の中に無量世〔むりょうせ〕の事を夢みるが如し。】
一念の中で無量の世の歴劫修行を夢見ているようなものなのです。
【乃至寂滅〔じゃくめつ〕真如〔しんにょ〕に何の次位か有らん。】
しかし、寂滅真如の世界では、歴劫修行などなく、
【乃至一切衆生即大涅槃〔だいねはん〕なり。】
すべての衆生がそのままの現実で大涅槃を現わすのです。
【復〔また〕滅すべからず。】
また、それで実際に滅すこともないのです。
【何の次位の高下・大小有らんや。】
どのような歴劫修行の順番や歴劫修行の高下、大小が有ると言うのでしょうか。
【不生不生にして不可説〔ふかせつ〕なれども】
歴劫修行などなく不生不生なので説明することは出来ないけれども、
【因縁有るが故に亦説くことを得べし。】
一大事因縁が有る為に、また説くことも出来るのです。
【十因縁の法は生の為に因と作〔な〕る。】
十二因縁の中の十の因縁の法は、生の為の原因となるのです。
【虚空〔こくう〕に画〔えが〕き方便して樹を種〔う〕うるが如し。】
方便として大空に絵を描き樹を植えるようなものなのです。
【一切の位を説くのみ」(已上)。】
そういう事ですべての歴劫修行の位を説いているのです。」と書かれています。
【十法界の依報〔えほう〕・】
十法界の依報と
【正報〔しょうほう〕は法身の仏、一体三身の徳なりと知りて】
正報は、法身の仏、一体三身の徳なりと知って
【一切の法は皆是仏法なりと通達〔つうだつ〕し解了〔げりょう〕する、】
すべての法は、みんな、仏法であると通達して理解すれば、
【是を名字即と為〔な〕づく。名字即の位にて即身成仏する故に】
このことを名字即と言うのです。名字即の位でそのまま現実世界で即身成仏する故に
【円頓〔えんどん〕の教〔きょう〕には次位の次第無し。】
円頓の教えには歴劫修行の位や順序はないのです。
【故に玄義〔げんぎ〕に云はく「末代の学者多く経論の方便の】
その故に法華玄義には「末代の学者の多くが経論に方便として
【断伏〔だんぷく〕を執〔しゅう〕して諍闘〔じょうとう〕す。】
説かれた煩悩を断じ伏す歴劫修行に執着して競い争っているのです。
【水の性の冷〔ひ〕やゝかなるが如きも、】
水の冷たさも
【飲まずんば安〔いずく〕んぞ知らん」(已上)。】
飲んでみなくては、どうやって知ることができようか。」と書かれています。
【天台の判に云はく「次位の綱目〔こうもく〕は】
天台大師の判釈には「歴劫修行の順番や位の大綱と網目は、
【仁王〔にんおう〕・瓔珞〔ようらく〕に依り、】
仁王経や瓔珞経に依り、
【断伏〔だんぷく〕の高下は大品〔だいぼん〕・】
煩悩を断じ伏す歴劫修行における位の高下は、大品般若経や
【智論〔ちろん〕に依る」(已上)。】
大智度論に依るのである。」と言われており、
【仁王・瓔珞・大品・大智度論、】
仁王経、瓔珞経、大品般若経、大智度論などの
【是の経論は皆法華已前の八教の経論なり。】
これらの経論は、すべて法華経以前の八教の経論なのです。
【権教の行は無量劫〔むりょうこう〕を経〔へ〕て】
権教の歴劫修行は、無量劫を経て
【昇進する次位なれば位の次第を説けり。】
昇進する順序なので、そのまま位の序列を説いているのです。
【今の法華は八教に超えたる円なれば、】
今の法華経は、八教に超えた円教であるので
【速疾頓成〔そくしつとんじょう〕にして心と仏と衆生と】
速疾頓成、即身成仏して、心と仏と衆生との、
【此の三は我が一念の心中に摂〔おさ〕めて心の外に無しと観ずれば、】
この三つは、我が一念の心の中にすべて納まっていて心の外にないと理解出来れば、
【下根〔げこん〕の行者すら尚一生の中に】
理解力が乏しい修行者ですら、言葉は、
【妙覚の位に入る。】
すべてを理解できる仏の悟りである妙覚の位に入ることが出来るのです。
【一と多と相即〔そうそく〕すれば】
一と無数がそのまま備わっているので、
【一位に一切の位皆是具足〔ぐそく〕せり。】
一位にすべての位がすべて具足しているのです。
【故に一生に入るなり。下根すら是くの如し。】
その故に一生の間に妙覚の位に入るのです。
【況〔いわ〕んや中根〔ちゅうこん〕の者をや。】
下根の者ですら、そうであるのに中根の者は、
【何に況んや上根〔じょうこん〕をや。実相の外に更に別の法無し。】
なおさらであり、上根の者は、当然の事なのです。実相の外に別の法は無いのです。
【実相には次第無きが故に位無し。】
実相には、歴劫修行の順番がないので、その修行による位もないのです。