日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三世諸仏総勘文教相廃立 20 諸宗を破折


第19章 諸宗を破折

【四十二年の化他の経を以て立つる所の宗々は、】
法華経以前の四十二年間に説かれた化他の経文によって、成立している諸宗派とは、

【華厳〔けごん〕・真言〔しんごん〕・達磨〔だるま〕・】
華厳宗、真言宗、禅宗、

【浄土〔じょうど〕・法相〔ほっそう〕・三論〔さんろん〕、】
浄土宗、法相宗、三論宗、

【律宗〔りつしゅう〕・倶舎〔くしゃ〕・成実〔じょうじつ〕等の諸宗なり。】
律宗、倶舎宗、成実宗などです。

【此等は皆悉〔ことごと〕く】
これらは、すべて天台大師が仏教を八つの教えに分類した中の

【法華より已前の八教の中の教なり。】
法華経以前の教えであり、すべて方便の教えなのです。

【皆是方便なり。兼〔けん〕・】
法華経に誘導する為の方便である、兼ねて説いた教え、

【但〔たん〕・対〔たい〕・】
ただ一分の真理を説いた教え、相対した論理を説いた教え、

【帯〔たい〕の方便誘引なり。三世諸仏説教の次第なり。】
他の経に付帯した教えなのです。これは、三世諸仏の説教の順番であるのです。

【此の次第を糾〔ただ〕して法門を談ず。】
この順序の通りに法門を話していき、

【若し次第に違はゞ仏法に非ざるなり。】
もし、この順番と違っていれば、それは仏法ではないのです。

【一代教主の釈迦如来も三世諸仏の説教の次第を糾して】
一代教主の釈迦牟尼仏も三世諸仏の説教の順番通りに

【一字も違へず、我も亦是くの如しとて、】
一字も違えず、自らも三世諸仏と同じようにすと、

【経に云はく「三世諸仏の説法の儀式の如く、】
法華経方便品に「三世諸仏の説法の儀式と同じように、

【我も今亦是くの如く無分別〔むふんべつ〕の法を説く」(已上)。】
私も、今、このように無分別の法を説く」と説かれているのです。

【若し之に違へば永く三世の諸仏の本意に背く。】
もし、これ違えれば、三世諸仏の本意に背くことになるのです。

【他宗の祖師各我が宗を立て、法華宗と諍〔あらそ〕ふこと】
他宗の祖師たちが各々、自分の宗派立てて、法華宗と争う事は、

【□〔あやま〕りの中の□〔あやま〕り、迷ひの中の迷ひなり。】
誤りの中の誤りであり、迷いの中の迷いなのです。

【徴他学〔ちょうたがく〕の決〔けつ〕に】
比叡山の山王院に住んだ智証大師円珍が弟子に与えた授決集の第52条の

【之〔これ〕を破して云はく(山王院)】
他学を懲らしめる決定に、これを破折して、

【「凡そ八万法蔵の其の行相を統〔す〕ぶるに】
「およそ八万法蔵のその修行の内容をまとめてみても

【四教を出でず。】
天台大師の言われた四教を出ることはないのです。

【頭辺〔はじめ〕に示すが如く、蔵通別円は即ち声聞〔しょうもん〕・】
はじめに示すように蔵教、通教、別教、円教は、声聞乗、

【縁覚〔えんがく〕・菩薩〔ぼさつ〕・仏乗〔ぶつじょう〕なり。】
縁覚乗、菩薩乗、仏乗なのです。

【真言・禅門〔ぜんもん〕・華厳・三論・唯識〔ゆいしき〕・】
真言宗、禅宗、華厳宗、三論宗、唯識をとく法相宗、

【律業〔りつごう〕・成倶〔じょうく〕の二論等の能と所と教と理と】
律宗、能教と所理の二論を説く成実宗、倶舎宗と言っても

【争〔いか〕でか】
どうして、

【此の四を過ぎん。】
この蔵教、通教、別教、円教の四つの教えを超える事が出来るでしょうか。

【若し過ぎると言はゞ豈〔あに〕外邪〔げじゃ〕に非ずや。】
もし、出来るとすれば、それは外道の邪宗ではないでしょうか。

【若し出でずと言はゞ便〔すなわ〕ち】
もし、超えていないと言うのであれば、

【他の所期〔しょご〕を問ひ得よ(即四乗の果なり)。】
その目的である声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、仏乗を問い尋ねるべきなのです。

【然して後に答へに随って】
その返答によって、その宗派の論理をきわめて、

【推徴〔すいちょう〕して理を極はめよ。】
その間違いを問いただすべきなのです。

【我が四教の行相〔ぎょうそう〕を】
そして天台大師の蔵教、通教、別教、円教の四つの教えの修行の内容によって

【以て並べ検〔かんが〕へて彼の所期の果を決定せよ。】
検討し、その修行の結果を決定しなければならない。

【若し我と違はゞ随って】
もし、天台大師と違っていれば、

【即ち之を詰めよ。】
その違いによって、その結果の相違を問い詰めるべきなのです。

【且〔しばら〕く華厳の如きは、五教に】
その中で華厳宗は、釈迦牟尼仏の一代聖教を五教に分けて、

【各々に修因向果〔しゅいんこうか〕有り。】
各々に原因となる修行によって結果が有ると教えているので、

【初中後の行一ならず。】
初めと中頃と最後の原因となる修行が同じではない。

【一教一果是所期〔しょご〕なるべし。】
なぜならば一つの教えで一つの結果を目的としているからです。

【若し蔵通別円の因と果とに非ざれば是仏教ならざるのみ。】
それらが、もし、蔵、通、別、円の原因と結果でなければ仏教とは言えないのです。

【三種の法輪〔ほうりん〕、】
三論宗では、三種の法輪でもって釈迦牟尼仏の一代聖教を判別し、法相宗では、

【三時の教等中〔なか〕に就て定むべし。】
三時の教判を立てているが、それによって間違いを正すべきなのです。

【汝〔なんじ〕何者を以て所期の乗と為すや。】
そして法相宗では、いずれの乗をもって目的とするかを問いただすべきなのです。

【若し仏乗なりと言はゞ】
もし、仏乗であると言うのであれば、

【未だ成仏の観行を見ず。】
未だ成仏の観心の修行を説いていないではないかと問い詰めるべきなのです。

【若し菩薩なりと言はゞ此亦即離〔そくり〕の中道の異あるなり。】
もし、菩薩乗であると言えば、中道と言っても即と離の異なりがあり、

【汝正しく何れを取るや。】
法相宗では、いずれを取るのかと質問し、

【設〔も〕し離の辺を取らば果として成ずべき無し。】
もし離の中道を取れば、結果として菩薩乗を成ずことはないと言うべきであり、

【如〔も〕し即是を要とせば仏に例して之を難ぜよ。】
もし、即の中道と言えば、仏乗と同じように、これを否定すべきなのです。

【謬〔あやま〕って真言を誦〔じゅ〕すとも、】
もし、間違って真言を唱えても、

【三観一心の妙趣〔みょうしゅ〕を会〔え〕せずんば、】
三観一心の妙法の主旨に合わなければ、

【恐らくは別人に同じて妙理を証せじ。】
結局は、別教を修行する人と同じで妙理を証得する事は出来ないのです。

【所以〔ゆえ〕に他の所期の極〔ごく〕に】
ゆえに他宗の目的とする極理を

【逐〔したが〕ひて理に準じて(我が宗の理なり)徴〔せ〕むべし。】
追求して妙理に照らし合わせて(日蓮大聖人の理)それを破折すべきなのです。

【因明〔いんみょう〕の道理は外道と対す。】
仏教の論理である因明の道理は、外道に対して説かれたものであり、

【多くは小乗及び別教に在り。】
その多くは、小乗教や別教にそれが説かれているのです。

【若し法華・華厳・涅槃等の経に望むれば】
法華経、華厳経、涅槃経など経文に対して、

【接引門〔しょういんもん〕なり。】
それらは、外道を法華経に導く為の法門なのです。

【権〔かり〕に機に対して設〔もう〕けたり。】
仮に衆生の機根に合わせて設けられた方便の教えなのです。

【終に以て引進〔いんしん〕するなり。】
ついには、正法に引き入れる為のものなのです。

【邪小〔じょしょう〕の徒〔と〕をして会して真理に至らしむるなり。】
そうやって邪宗である外道、小乗教の信徒に真理を教える為のものなのです。

【所以に論ずる時は四依撃目〔きゃくもく〕の志を存して】
そうであるから、仏教を論じる時は、四依の目的とする内容を理解して、

【之を執著すること莫〔なか〕れ。】
この教え、そのものに執著することがあってはならない。

【又須〔すべから〕く他の義を将〔も〕って】
すべからく他宗の教義と自分の教義を比較検討して、

【自義に対検して随って是非を決すべし。】
その結果によって正邪を決定するべきなのです。

【執して之を怨〔あだ〕むこと莫れ】
自分の意見に固執して、他宗を恨んではならない。

【(大底他は多く三教に在り】
(他宗の教義は、大概、三教に属し、

【円旨至って少なきのみ)」と。】
円教の妙旨は、極めて少ないのである)」と書かれているのです。

【先徳〔せんとく〕大師の所判〔しょはん〕是くの如し。】
比叡山第5代座主、智証円珍大師の仏教に対する判定は、このようなものなのです。

【諸宗の所立〔しょりゅう〕鏡に懸〔か〕けて陰〔くも〕り無し。】
諸宗派の教義は、このように曇りのない鏡のように明白であり、

【末代の学者何ぞ之を見ずして妄〔みだ〕りに教門を判ぜんや。】
末代の学者は、どうして、これを知らずに勝手に教門を判断してよいのでしょうか。


ページのトップへ戻る