日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三世諸仏総勘文教相廃立 7 権教を説く理由


第6章 権教を説く理由

【此の前三教には仏に成らざる証拠を説き置き給ひて、】
この爾前教では、仏に成れない証拠を釈迦牟尼仏は、説かれて、

【末代の衆生に慧解〔えげ〕を開かしむるなり。】
末代の衆生に智慧による理解力を開かれているのです。

【九界の衆生は一念の無明〔むみょう〕の眠りの中に於て、】
九界の衆生は、一念の無明の眠りの中で

【生死の夢に溺〔おぼ〕れて本覚の寤を忘れ、】
生死の夢におぼれて本覚の現実を忘れ、

【夢の是非に執して冥〔くら〕きより冥きに入る。】
夢の出来事に執着して暗いところから暗いところにさまよっているのです。

【是の故に如来は我等が生死の夢の中に入りて□倒〔てんどう〕の衆生に同じて、】
この故に如来は、我等が生死の夢の中に入って転倒した衆生と同じように

【夢中の語を以て夢中の衆生を誘〔いざな〕ひ、】
夢の中の言葉で夢の中の衆生を導き、

【夢中の善悪の差別の事を説きて漸々〔ぜんぜん〕に誘引し給ふ。】
夢の中の善悪を説いて、少しづつ正しい現実へと誘導しているのです。

【夢中の善悪の事、重畳〔ちょうじょう〕して】
夢の中の善悪の事は、善悪が重なり合って

【様々に無量無辺〔むりょうむへん〕なれば、先づ善事に付いて上中下を立つ。】
様々で無数に広がっているので、まず上中下の仏教の修行を立てたのです。

【三乗の法是なり。】
これが声聞、縁覚、菩薩の三乗の法門なのです。

【三々九品〔ほん〕なり。】
その三乗それぞれに上根、中根、下根があるので九品となります。

【此くの如く説き已〔お〕はって後に】
このように説き終わって後に、

【又上々品の根本善を立て、上中下三々九品の善と云ふ。】
また上々品の根本善を立てて、上中下三々九品の善と言うのです。

【皆悉〔ことごと〕く九界生死の夢の中の善悪の是非なり。】
しかしこれらは、すべて九界の生死である夢の中の善悪なのです。

【今是をば総じて邪見外道と為す】
末法においては、これを総じて邪見、外道とするのです。

【(捜要記〔そうようき〕の意。)】
(妙楽大師の魔訶止観捜要記の主意)

【此の上に又上々品の善心は本覚の寤の理なれば、】
この上で、また上々品の善心は、真実の覚りである現実の論理なので、

【此を善の本と云ふと説き聞かせ給ひし時に、】
これを善の根本であると説いて、

【夢中の善悪の悟〔さと〕りの力を以ての故に、】
夢の中の善悪の悟りの力でもって、

【寤〔うつつ〕の本心の実相の理を始めて聞知〔もんち〕せられし事なり。】
現実の本心の実相の論理を、はじめて聞かせ、知らしめる事が出来たのです。

【是の時に仏説いて言はく、】
この時に仏は、夢と現実とは、

【夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり。】
虚事と実事との二つであるけれども、心は、ただ一つなのであると説かれたのです。

【眠りの縁に値〔あ〕ひぬれば夢なり。眠り去りぬれば寤の心なり。】
眠りの中にあれば夢であり、眠りから目覚めれば現実の心であるのです。

【心法は只一なりと開会〔かいえ〕せらるべき下地〔したじ〕を造り置かれし】
心は、ただ一つであっても、これは、やはり法華経を教えるための下地であり

【方便なり(此は別教の中道の理なり。是の故に未だ十界互具・】
方便なのです。(これは、別教の中道の論理なのです。)この故に未だ十界互具、

【円融〔えんゆう〕相即〔そうそく〕を顕はさゞれば成仏の人無し。】
円融相即を現わしてはいないので成仏する人がいないのです。

【故に三蔵教より別教に至るまでの四十二年の間の八教は】
故に三蔵教から別教に至るまでの四十二年の間の八教は、

【皆悉〔ことごと〕く方便・夢中の善悪なり。】
すべて方便であり、夢の中の善悪なのです。

【只暫〔しばら〕く之を用ひて衆生を誘引し給ふ支度〔したく〕方便なり。】
ただ、しばらく、これを用いて衆生を法華経に誘導する為の支度の方便なのです。

【此の権教の中には、分々に皆悉く方便と真実と有りて】
この権教の中にも、それぞれに方便と真実が有って、

【権実の法欠〔か〕けざるなり。】
権実の法は欠けていないのです。

【四教一々に各四門ありて】
四教の一つ一つに、それぞれ有門、空門、亦有亦空門、非有非空門の四門があって

【差別有ること無し。語も只同じ語なり。文字も異なること無し。】
差別が有ることはないのです。このように言葉も同じ言葉であり、文字も異ならず、

【斯〔こ〕れに由りて語に迷ひて権実の差別を】
これによって言葉に迷って権実の差別を

【分別せざる時を仏法滅すと云ふ。】
理解出来ないので仏法が滅んでしまうのです。


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