御書研鑚の集い 御書研鑚資料
三世諸仏総勘文教相廃立 13 無明即法性
第12章 無明即法性
【夫〔それ〕以〔おもんみ〕れば夢の時の心を迷ひに譬へ、】
それを、よく考えてみれば、夢の時の心を迷いにたとえ、
【寤の時の心を悟りに譬ふ。之を以て一代聖教を覚悟するに、】
現実の時の心を悟りにたとえているのです。これをもって一代聖教を理解すると、
【跡形〔あとかた〕も無き虚夢を見て心を苦しめ】
意味もない夢を見て心で苦しみ、
【汗水〔あせみず〕と成りて驚きぬれば、】
汗水を落として驚いて目を覚ましてみると、
【我が身も家も臥所〔ふしど〕も一所にて異ならず。】
我が身も家も寝ている場所も同じでまったく異ならないのです。
【夢の虚〔こ〕と寤の実〔じつ〕との二事を目にも見、心にも思へども、】
夢の虚構と現実の真実との二つを、目で見て、心で思っても、
【所も只一所なり、身も只一身にて】
やはり、場所も一緒で身体も同じなので、
【二の虚と実との事有り。】
この二つの虚構と真実は、同じものなのです。
【之を以て知るべし、九界の生死〔しょうじ〕の夢見る我が心も、】
これをもって知るべきなのです。九界の生死の夢を見る我が心も、
【仏界常住〔じょうじゅう〕の寤の心も異ならず。】
仏界の常住である現実の心も、まったく異ならないのです。
【九界生死の夢見る所が仏界常住の寤の所にて変はらず、】
九界の生死の夢を見る所が仏界である常住の現実の所であって、
【心法も替〔か〕はらず、在所も差〔たが〕はざれども夢は皆虚事〔こじ〕なり、】
心法も変わらず、場所も違わないけれども、夢はすべて虚構であり、
【寤は皆実事〔じつじ〕なり。】
現実は、すべて真実なのです。
【止観〔しかん〕に云はく「昔荘周〔そうしゅう〕といふもの有り、】
魔訶止観には「昔、荘周と言う者がいた。
【夢に胡蝶〔こちょう〕と成りて一百年を経〔へ〕たり。】
夢で蝶と成って百年を生きた。
【苦は多く楽は少なく、汗水と成りて驚きぬれば胡蝶にも成らず、】
苦は多く、楽は少なく、汗水と成りて、驚いて目覚めると、蝶にも成らず、
【百年をも経ず、苦も無く楽も無く皆虚事なり、】
百年も経たず、苦も無く楽も無く、すべて虚構であり、
【皆妄想〔もうぞう〕なり」(已上取意)。】
すべて妄想だった」と書かれています。
【弘決〔ぐけつ〕に云はく「無明は夢の蝶〔ちょう〕の如く、三千は百年の如し。】
止観輔行伝弘決には「無明は、夢の蝶の如く、三千は、百年のようなものです。
【一念実無きは猶〔なお〕蝶に非ざるが如く、三千も亦無きこと】
一念が真実で無いのは、なお、蝶でなかったようなものであり、三千が無いことは、
【年を積〔つ〕むに非ざるが如し」(已上)。】
百年を経ていなかったようなものなのです。」と書かれています。
【此の釈は即身成仏の証拠なり。】
この解釈は、即身成仏の証拠であるのです。
【夢に蝶と成る時も荘周は異ならず。】
夢で蝶と成った時も、荘周は、異なることはなく、
【寤に蝶と成らずと思ふ時も別の荘周なし。】
現実に蝶と成らずと思う時も、他に荘周はいないのです。
【我が身を生死の凡夫なりと思ふ時は、】
我が身を生死の凡夫であると思う時は、
【夢に蝶と成るが如く僻目〔ひがめ〕僻思〔ひがおも〕ひなり。】
夢で蝶と成ったように、錯視〔さくし〕であり錯覚なのです。
【我が身は本覚の如来なりと思ふ時は】
我が身が本覚の如来であると思う時は、
【本〔もと〕の荘周なるが如し。即身成仏なり。】
元の荘周であるようなものであり、これこそ即身成仏なのです。
【蝶の身を以て成仏すと云ふには非ざるなり。】
蝶の身では、成仏とは言えないのです。
【蝶と思ふは虚事なれば成仏の言無し。】
蝶であると思う事は、それ自体が虚構であり、成仏という言葉の意味はないのです。
【沙汰〔さた〕の外の事なり。無明は夢の蝶の如しと判すれば、】
これは、まったくの論外なのです。無明は、夢の蝶のようなものであるとわかれば、
【我等が僻思ひは猶〔なお〕昨日の夢の如く、】
私たちの錯覚は、なお、昨日の夢のようなもので、
【性体無き妄想なり。誰〔たれ〕の人か虚夢の生死を信受して、】
その性体はなく、まったくの妄想なのです。誰がその虚構である夢の生死を信じて、
【疑ひを常住〔じょうじゅう〕涅槃〔ねはん〕の仏性〔ぶっしょう〕に生ぜんや。】
疑いを常住涅槃の仏性に起こすことがあるでしょうか。
【止観に云はく「無明の癡惑〔ちわく〕は本〔もと〕より】
魔訶止観には「道理が通じない原因である無明は、
【是法性〔ほっしょう〕なり。】
もともとは、法性であるのです。
【癡迷〔ちめい〕を以ての故に法性変じて無明と作〔な〕り、】
愚痴蒙昧〔ぐちもうまい〕によって法性が変わって無明となり、
【諸の□倒〔てんどう〕の善・不善等を起こす。】
さまざまな転倒の善行や悪行を起すのです。
【寒〔かん〕来たりて水を結び変じて堅氷〔けんぴょう〕と作〔な〕るが如く、】
寒波が来て水を硬い氷とするように、
【又眠り来たりて心を変じて種々の夢有るが如し。】
また、眠りが来て心が変わり、いろいろな夢を見るようなものなのです。
【今当〔まさ〕に諸の□倒〔てんどう〕は即ち是法性なり、】
今、まさに転倒は、そのまま法性であり、この転倒と法性は、
【一ならず異ならずと体すべし。□倒〔てんどう〕起滅〔きめつ〕すること】
同一でもなく、異ることもないと思うべきなのです。転倒が起滅するのは、
【旋火輪〔せんかりん〕の如しと雖も、】
回転する火が輪に見えるように、実際にないものが残像で見えているだけなのに、
【□倒〔てんどう〕の起滅を信ぜずして】
その転倒が起滅する事を信じないで、
【唯此の心但〔ただ〕是法性なりと信ず。】
ただ、この心が法性であると固く信じているのです。
【起〔き〕は是法性の起、】
しかし、転倒の起滅の起は、法性の起であり、
【滅は是法性の滅なり。】
転倒の起滅の滅は、法性の滅なのです。
【其れを体するに実に起滅せざるを】
それを、きちんと理解すると、実際には、転倒が起滅しないのに、
【妄〔みだ〕りに起滅すと謂〔おも〕へり。】
みだりに転倒が起滅すると思っているのです。
【只妄想を指すに悉く是法性なり。】
ただ、妄想をただしく理解すると、それは、ことごとく法性の現れなのです。
【法性を以て法性に繋〔か〕け、法性を以て法性を念ず。】
法性によって法性にかけ、法性によって法性を念じているのです。
【常に是法性なり。法性ならざる時無し」(已上)。】
常に法性であって、法性でない時はないのです。」と説明されているのです。
【是くの如く法性ならざる時の隙〔ひま〕も無き理の法性に、】
このように法性でない時は一瞬たりともないという理論が法性であるのに、
【夢の蝶の如くなる】
夢の中の蝶が現実であると思うように、
【無明に於て実有〔じつう〕の思ひを生じて之に迷ふなり。】
無明によって転倒の生死が実際にあるとの思いが生れて、これに迷っているのです。