日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑚資料


三世諸仏総勘文教相廃立 18 自行化他を明かす


第17章 自行化他を明かす

【所詮〔しょせん〕己心〔こしん〕と仏身と】
結局、自分の心と仏身とは、

【一なりと観ずれば速〔すみ〕やかに仏に成るなり。】
一つであると知れば、速やかに仏に成るのです。

【故に弘決に又云はく「一切の諸仏、己心は仏心に異ならずと】
このことを止観輔行伝弘には「すべての諸仏は、自分の心と仏の心は異ならないと

【観たまふに由るが故に仏に成ることを得〔う〕」(已上)。】
知った故に仏に成ることが出来たのです。」と書かれているのです。

【此を観心と云ふ。実に己心と仏心と一心なりと悟れば、】
これを観心と言うのです。実に自分の心と仏の心とが一つの心であると悟れば、

【臨終〔りんじゅう〕を礙〔さわ〕るべき悪業〔あくごう〕も有るまじ、】
死に臨んで後悔すべき今生の悪業もあるはずもなく、

【生死に留まるべき妄念〔もうねん〕も有るまじ。】
生死にとどまるべき妄想の念も有るはずがないのです。

【一切の法は皆是仏法なりと知りぬれば、】
すべての法が仏法であると知れば、

【教訓〔きょうくん〕すべき善知識〔ぜんちしき〕も入るべからず。】
教訓すべき善知識も必要ないのです。

【思ひと思ひ言ひと言ひ、為すと為し儀〔ふるま〕ひと儀ふ、】
思うままに思い、言うままに言い、為すままに為し、

【行住坐臥〔ぎょうじゅうざが〕の】
振舞うままに振舞い、歩行姿勢、立ち姿、座った姿勢、横たわった姿勢の

【四威儀〔しいぎ〕の所作〔しょさ〕は皆仏の御心と和合して一体なれば、】
四つの威厳をもった所作は、仏の心と一緒になって一体となれば、

【過〔とが〕も無く障〔さわ〕りも無き自在の身と成る。此を自行と云ふ。】
間違いもなく障害もなく自由自在の身と成るのです。これを自行と言うのです。

【此くの如く自在なる自行の行を捨て、跡形〔あとかた〕も有らざる】
このように自由自在である自行の行いを捨てて、まったく根拠のない

【無明〔むみょう〕妄想〔もうぞう〕なる僻〔ひが〕思ひの心に住して、】
無明の妄想である誤った思いの心で、

【三世の諸仏の教訓に背〔そむ〕き奉れば、冥〔くらき〕より冥に入り】
三世の諸仏の教訓に背くことは、暗きところより暗きところに入り、

【永く仏法に背くこと悲しむべく悲しむべし。】
永く仏法に背いてしまうことは、まことに悲しむべきことなのです。

【只今こそ打ち返し思ひ直し悟り返さば、】
ただ、今こそ、打ち返し、思い直し、悟り返えして、

【即身成仏は我が身の外には無しと知りぬ。】
即身成仏は、我が身の外には無いと知るべきなのです。

【我が心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと雖も、】
私たちの心の鏡と仏の心の鏡は、ただ一つの鏡なのですが、

【我等は裏に向かって】
私たちは、その鏡の裏面を見ているので

【我が性の理を見ず、】
自分の心性の理を見ることが出来ないのです。

【故に無明と云ふ。如来は面〔おもて〕に向かって我が性の理を見たまへり。】
故に無明と言うのです。如来は、表面に向かって自分の心性の理を見ているのです。

【故に明と無明とは其の体只一なり。】
故に明と無明とは、その体は、ただ一つなのです。

【鏡は一の鏡なりと雖も向かひ様に依りて】
鏡は、一つの鏡であっても、表面を見ているか裏面を見ているかで、

【明昧〔みょうまい〕の差別有り。】
明と無明の違いが出て来るのです。

【鏡に裏有りと雖も面の障りと成らず。】
鏡に裏面が有ると言っても表面の映り方には何の問題もないのです。

【只向かひ様に依りて得失の二つ有り。】
ただ、見ている表裏に依って違うだけなのです。

【相即〔そうそく〕融通〔ゆうずう〕して一法二義なり。】
この表裏は、お互いに融通しあって、一法が二義となるのです。

【化他の法門は鏡の裏に向かふが如く、】
化他の法門は、鏡の裏面を見ているようなものであり、

【自行の観心〔かんじん〕は鏡の面に向かふが如し。】
自行の観心は、鏡の表面を見ているようなものなのです。

【化他の時の鏡も自行の時の鏡も、】
化他の時の鏡も自行の時の鏡も、

【我が心性〔しんしょう〕の鏡は只一にして替〔か〕はること無し。】
自分の心性の鏡は、ただ一つであって変わることはないのです。

【鏡を即身に譬〔たと〕へ、面に向かふを成仏に譬へ、】
鏡を即身にたとえ、表面を見ている場合を成仏にたとえ、

【裏に向かふを衆生に譬へ、】
裏面を見ている場合を衆生にたとえ、

【鏡に裏有るを性悪を断ぜざるに譬へ、】
鏡に裏面が有る事を性悪を断じていない事にたとえ、

【裏に向かふ時面の徳無きを化他の功徳に譬ふるなり。】
裏面を見ている時に、表面の徳が無い事を化他の功徳にたとえて、

【衆生の仏性の顕はれざるに譬ふるなり。】
衆生に仏性が現れない事にたとえているのです。


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