御書研鑚の集い 御書研鑽資料
大田乗明等御消息文 06 大田殿許御書
【大田殿許御書 文永一二年一月二四日 五四歳】
大田殿許御書 文永12年1月24日 五四歳御作
【新春の御慶賀自他幸甚幸甚。】
新年の御祝いを申し上げますと共に、自他の益々の繁栄を御祈り申しあげます。
【抑〔そもそも〕俗諦〔ぞくたい〕・】
そもそも、俗世間の事柄を明確に知ることが出来る一般常識においても、
【真諦〔しんたい〕の中には】
また、仏が説き顕〔あら〕わした究極の真理の仏法においても、
【勝負を以て詮〔せん〕と為〔な〕し、】
どちらが、より優れているか、いずれが、より劣っているかを大事にし、
【世間・出世とも甲乙を以て先と為すか。】
俗世間においても、仏法の上においても、それを比較検討して問題とするのです。
【而るに諸経・諸宗の勝劣は三国の聖人共に之を存じ、】
しかるに諸経、諸宗派の優劣については、三国の聖人は、この事を理解しており、
【両朝〔りょうちょう〕の群賢〔ぐんけん〕同じく之を知るか。】
中国と日本の賢人も、また同じように、この事を知っているのに、
【法華経と大日経と天台宗と真言宗の勝劣は】
法華経と大日経、天台宗と真言宗との優劣については、
【月支〔がっし〕・日本に未だ之を弁ぜず、】
インドと日本においては、未だに、それが、きちんと議論されていないのです。
【西天〔せいてん〕・東土〔とうど〕にも】
中国の西の空でも、インドの東の地でも
【明らめざる物か。】
明らかにされていないのではないでしょうか。
【所詮天台・伝教の如き聖人、】
結局、天台大師や伝教大師のような中国や日本の聖人が、
【公場に於て是非を決せず、明帝〔めいてい〕・桓武〔かんむ〕の如き】
公〔おおやけ〕の場所で、それを決めずに、その時代の明帝や桓武天皇のような
【国主之を聞かざる故か。】
為政者も、これを糾〔ただ〕していない故でしょうか。
【所謂〔いわゆる〕善無畏〔ぜんむい〕三蔵〔さんぞう〕等は】
いわゆる中国真言宗の開祖である善無畏三蔵などは、
【法華経と大日経とは】
法華経の一念三千の法門を盗み入れ、法華経と大日経は、
【理同〔りどう〕】
理論は、同じであるが、大日経には、印と真言が説かれているので、
【事勝〔じしょう〕等と、】
事においては、法華経より優れていると言い、
【慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕等も此の義を存するか。】
慈覚大師、智証大師なども、善無畏三蔵のこの教義に立っているのです。さらに、
【弘法大師は法華経を華厳経より下〔くだ〕す等、】
弘法大師は、勝手に法華経は、華厳経よりも低い教えであるとしているのです。
【此等の二義共に経文に非ず、】
これらの二つの教義は、ともに経文の内容に反しており、
【同じく自義を存するか。】
いずれも自分勝手な考えなのです。
【将又〔はたまた〕慈覚・智証等表〔ひょう〕を作って】
それに、また慈覚大師、智証大師らが文書を作って、
【之を奏〔そう〕す。】
このことを天皇に上奏したのです。
【申すに随って勅宣〔ちょくせん〕有り。】
この申し出によって次の内容の天皇の命令が下〔くだ〕されました。
【聞くが如くんば真言・止観〔しかん〕両教の宗をば】
それは「聞いている通りであるならば、真言と摩訶止観の両方の教義を
【同じく醍醐〔だいご〕と号し倶〔とも〕に深秘と称す。】
同じく最上位の醍醐と呼び、ともに深秘であると称す。
【乃至譬〔たと〕へて言はゞ猶〔なお〕人の両目〔りょうもく〕、】
さらに例えば、人に両眼がそなわるように、
【鳥の双翼〔そうよく〕の如き者なり等云云。】
また、鳥に二翼がそなわるようなものである」と言うものです。
【又重誡〔じゅうかい〕の勅宣〔ちょくせん〕有り。】
また、さらに重ねて次のような天皇の誡〔いまし〕めの命令が下りました。
【聞くが如くんば山上の僧等】
それは「聞くところによると比叡山、延暦寺の僧侶たちは、
【専ら先師の義に違して偏執〔へんしゅう〕の心を成ず、】
ひたすら先師である伝教大師の教義に反して邪義に執着した心をしている。
【殆〔ほと〕んど以て余風を扇揚〔せんよう〕し】
ほとんど、これによって、伝教大師が残した教えを弘めることも、
【旧業〔くごう〕を興隆することを顧〔かえり〕みず等云云、】
先人達の遺業を興隆することも顧みないでいる」と言うものです。
【余生まれて末〔まつ〕の初めに居し】
確かに私は、末法の初めに生まれ、清澄山に於いて出家し、比叡山に遊学し、
【学を諸賢の終はりに禀〔う〕く。】
正法、像法時代の終わりに、多くの賢人、聖人を受け継いで、仏法を学んでいます。
【慈覚〔じかく〕・智証〔ちしょう〕の正義〔しょうぎ〕の上に】
慈覚大師、智証大師が、このような正義を主張していたことに加えて、
【勅宣方々之〔これ〕有り、疑ひ有るべからず、】
このような天皇の命令が何度も下されており、
【一言〔いちごん〕をも出だすべからず。】
それに、疑いを挟む余地はなく、この事に口を挟むべきではありません。
【然りと雖〔いえど〕も円仁〔えんにん〕・円珍〔えんちん〕の両大師、】
しかしながら、慈覚大師円仁、智証大師円珍の両大師は、
【先師伝教大師の正義を劫略〔こうりゃく〕して】
共に比叡山、延暦寺の座主でありながら、先師である伝教大師の正義を奪い捨て、
【勅宣を申し下〔くだ〕すの疑ひ之有る上、】
騙〔だま〕して天皇の命令を出させたのではないかと言う疑いまであるのです。
【仏誡〔ぶっかい〕遁〔のが〕れ難し。】
しかし、仏の誡〔いまし〕めを逃れることは、難しいのです。
【随って又亡国の因縁、謗法の源初〔げんじょ〕之に始まるか。】
したがって亡国の因縁、謗法の原因は、これから始まったのではないでしょうか。
【故に世の謗〔そし〕りを憚〔はば〕からず、】
それ故に世間の人々からの非難を怖れずに、
【用〔ゆう〕・不用〔ふゆう〕を知らず、身命を捨てゝ之を申すなり。】
信、不信など気にせず、身命を捨てて、法華経が第一であると公言しているのです。
【疑って云はく「善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・不空〔ふくう〕の】
それでは、お尋ねしますが、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵の
【三三蔵〔さんさんぞう〕、弘法・慈覚・智証の三大師、】
三人の三蔵法師や弘法大師、慈覚大師、智証大師の三大師が、
【二経を相対して勝劣を判ずるの時、】
法華経と大日経とを比較し相対して、その優劣を判断している時に、
【或は理同〔りどう〕事勝〔じしょう〕】
あるいは、理においては、同じであり、事においては、優れている、
【或は華厳経より下〔おと〕る」等云云。】
あるいは、華厳経よりも劣るなどと言い、
【随って又聖賢〔せいけん〕の鳳文〔ほうもん〕これ有り、】
さらにそれを主張する聖人や賢人の立派な書物の文章があり、
【諸徳之を用ひて年久し。】
多くの徳の高い人々が、この立派な書物の文章を用いて長い年月が経過しています。
【此の外に汝一義を存して】
これに対して、あなたは、法華経こそ一切経の中で最第一であると言って、
【諸人を迷惑せしむ。】
多くの人々を迷〔まよ〕わせ、惑〔まど〕わせており、
【剰〔あまつさ〕へ天下の耳目〔じもく〕を驚かす。】
世界の人々の耳や目を驚かせています。
【豈〔あに〕増上慢〔ぞうじょうまん〕の者に非ずや如何。】
あなたは、仏法で言うところの増上慢ではないでしょうか。
【答へて曰く、汝等が不審〔ふしん〕尤最〔もっとも〕なり。】
それに答えて言うと、あなたたちの不審は、実にもっともです。
【如意〔にょい〕論師〔ろんし〕の提婆〔だいば〕菩薩〔ぼさつ〕を】
それは、如意〔にょい〕論師〔ろんし〕が世親菩薩に対して
【灼誡〔しゃっかい〕せる言は是なり。】
明確に誡〔いまし〕められた言葉に、まさに、この事が述べられているのです。
【彼の状に云はく「党援〔とうえん〕の衆と大義を競〔きそ〕ふこと無く、】
この誡〔いまし〕めの書状に「徒党を組む人々と仏法上の教義を争ってはならない。
【群迷〔ぐんめい〕の中に正論〔しょうろん〕を弁ずること無かれと】
また群衆の中において仏法の正論を語ってはならない、
【言ひ畢〔おわ〕って死す」云云。】
もし、争い語れば、言い終わって、死ぬであろう」と、このように書かれています。
【御不審〔ふしん〕之に当たるか。】
あなたの疑問は、この事にあたるのでしょうか。
【然りと雖も仏世尊は法華経を演説するに】
しかしながら、釈迦牟尼仏は、法華経を説法するときに
【一経の内に二度の流通之有り、】
法華経一経の内に二度の流通分があり、
【重ねて一経を説いて法華経を流通す。】
さらに重ねて一経を説いて、法華経を流通しているのです。
【涅槃〔ねはん〕経に云はく「若し善比丘あって法を壊〔やぶ〕る者を見て、】
涅槃経には「もし、善僧がおり、仏法を破壊する者を見ていながら、
【置いて呵責〔かしゃく〕し駈遣〔くけん〕し挙処〔こしょ〕せずんば、】
それを放置し、呵責〔かしゃく〕せず、その間違った場所を指摘しなければ、
【当に知るベし是の人は仏法の中の怨〔あだ〕なり」等云云。】
まさに、この人は、仏法の中の仇〔あだ〕である」などと説かれています。
【善無畏・金剛智の両三蔵、慈覚・智証の二大師、】
善無畏三蔵と金剛智三蔵の二人と、慈覚大師と智証大師の二人は、
【大日の権経を以て法華の実経を破壊〔はえ〕せり。】
大日経と言う権経をもって、法華経と言う実経を破壊したのです。
【而るに日蓮世を恐れて之を言はずんば仏敵〔ぶってき〕と為〔な〕らんか。】
そうであるのに日蓮が世間を恐れて、これを指摘しなければ、仏敵となるでしょう。
【随って章安〔しょうあん〕大師末代の学者を諌暁〔かんぎょう〕して云はく】
したがって章安大師は、末法における仏法を学ぶ者を諌〔いさ〕めて
【「仏法を壊乱〔えらん〕するは仏法の中の怨なり、】
「仏法を破壊し攪乱することは、仏法の中の仇〔あだ〕となる行為であり、
【慈〔じ〕無くして詐〔いつわ〕り親〔した〕しむは是彼の人の怨なり、】
慈悲もなく偽〔いつわ〕り親しむ者は、その人にとって仇〔あだ〕なり。
【能〔よ〕く糾治〔きゅうじ〕する者は即ち是彼が親なり」等云云。】
また、仏法を破壊する行為を糾すことは、その者にとって親なり」とあります。
【余は此の釈を見て肝に染むるが故に身命を捨てゝ】
私は、この解釈を読んで、その諫〔いさ〕めを心に染めている故に身命を捨てて
【之を糾明〔きゅうめい〕するなり。】
これを糾〔ただ〕して明らかにしているのです。
【提婆菩薩は付法蔵〔ふほうぞう〕の第十四、】
提婆菩薩は、付法蔵の第14番目にあたり、
【師子尊者〔ししそんじゃ〕は二十五に当たる。】
師子尊者は、付法蔵の第25番目に当たります。
【或は命を失ひ或は頭〔こうべ〕を刎〔は〕ねらる等是なり。】
師子尊者が頭を、はねられたのは、身命を捨てて仏法の破壊者を糾弾した例です。
【疑って云はく、経々の自讃〔じさん〕は】
しかし、数々の経典が、それぞれに自らを讃嘆するのは、
【諸経の常の習ひなり。】
諸経の常ではないでしょうか。
【所謂金光明〔こんこうみょう〕経に云はく「諸経の王」と。】
いわゆる金光明経には「諸経の王」とあり、
【密厳〔みつごん〕経の「一切経中の勝」と。】
密厳経に「一切経中の勝者」とあります。
【蘇悉地〔そしっじ〕経に云はく「三部の中に於て此の経を王と為す」と。】
蘇悉地経には、「三部の中に於て、この経を王となす」とあり、
【法華経に云はく「是諸経の王」等云云。】
法華経には「これ諸経の王」などと、それぞれに説かれています。
【随って四依〔しえ〕の菩薩両国の三蔵も】
つまり、四依の菩薩や両国の三蔵も、
【是くの如し、如何〔いかん〕。】
これらの経文と同じように主張しているのです。如何でしょうか。
【答へて云はく、大国小国・大王小王・】
それについて答えると、国にも大国も小国もあり、同じく王にも大王も小王もあり、
【大家小家・尊主高貴各々分斉有り。】
また、大家も小家もあり、高貴の人々の中にも多くの位があるのです。
【然りと雖も国々の万民皆大王と号し同じく天子と称す。】
しかし、各々の国の民衆は、みな大王と称し、同じく天子と称しているのです。
【詮〔せん〕を以て之を論ぜば梵王〔ぼんのう〕を大王と為し、】
しかしながら、これを論じれば、最終的には、大梵天王を大王とするように、
【法華経を以て天子と称するなり。】
法華経を以って天子とするのです。
【求めて云はく、其の証如何〔いかん〕。】
それでは、その証拠は、どのようなものでしょうか。
【答へて曰く、金光明経の「是諸経之王〔ぜしょきょうしおう〕」の文は】
それは、金光明経の「これ諸経の王」の文章は、
【梵釈の諸経に相対し、】
大梵天王や帝釈天が説いた外道の教えに対して「王」といっているのです。
【密厳経の「一切経中勝〔いっさいきょうちゅうしょう〕」の文は】
密厳経の「一切経の中の勝」の文章は、
【次上〔つぎかみ〕に十地〔じゅうじ〕経・華厳経・】
そのすぐ前に、十地〔じゅうじ〕経、華厳経、
【勝鬘〔しょうまん〕経等を挙げて】
勝鬘〔しょうまん〕経などを挙げて、
【彼々の経々に相対して一切経の中に勝ると云云。】
それらの諸経に対して一切経の中に優れていると言っているのです。
【蘇悉地経の文は現文之を見るに三部の中に於て王と為す等云云。】
蘇悉地経の文章は、現文を見ると三部の中で王と言っているのです。
【蘇悉地経は大日経・金剛頂〔こんごうちょう〕経に相対して王と云云。】
つまり蘇悉地経では、大日経、金剛頂経に対して王と言っている事になるのです。
【而るに善無畏〔ぜんむい〕等或は】
そうであるのに善無畏三蔵などは、
【理同〔りどう〕事勝〔じしょう〕】
「法華経は、大日経と理は、同じであるが、事においては、大日経が優れている、
【或は華厳より下〔おと〕ると等云云。】
あるいは、法華経は、華厳経より劣る」などと言っているのです。
【此等の僻文〔びゃくもん〕は蛍火〔けいか〕を】
これらの誤った文章は、ホタルの光を太陽や月の光と同じだと言い張り、
【日月に同じ大海を江河〔こうが〕に入るゝか。】
あるいは、大海を川の中に入れようとするのと同じなのです。
【疑って云はく、経々の勝劣之を論じて何か為〔せ〕ん。】
それでは、質問しますが、諸経の優劣を論じることに何の意味があるのでしょうか。
【答へて曰く、法華経の第七に云はく】
それに答えると法華経第七巻の薬王菩薩本事品に
【「能く是の経典を受持する者有れば亦復〔またまた〕是くの如し。】
「よく、この経典を受持する者も、また、このようである。
【一切衆生の中に於て亦為〔こ〕れ第一なり」等云云。】
すべての衆生の中において、また、この人は、第一である」などと説かれています。
【此の経の薬王品〔やくおうほん〕に十喩〔じゅうゆ〕を挙げて】
この経の薬王菩薩本事品に十種類の譬喩〔ひゆ〕を挙げて、法華経は、
【已今当〔いこんとう〕の】
釈尊が、すでに説いた経、今、説いている経、当に説こうとしている経の、
【一切経に超過すと云云。】
すべての経文の中で最高の経文であると説かれているのです。法華経薬王品の
【第八の譬へ、】
十喩の中の第八の四果辟支仏喩である一切の凡夫の中で二乗が第一であるように
【兼ねて上の文に有り。】
法華経が第一であると言う譬えは、上述した経文に合わせて説かれています。
【所詮仏意の如くならば経の勝劣を詮〔せん〕とするに非ず。】
ようするに仏の意志通りであるならば、それは、経文の優劣の話だけではなく、
【法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由〔よし〕】
法華経の行者は、すべての人々よりも優れていると
【之を説く。】
四果辟支仏喩で説かれているのです。
【大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり。】
大日経の行者は、諸山であり、衆星であり、江河であり諸民なのです。
【法華経の行者は須弥山〔しゅみせん〕・日月・大海等なり。】
法華経の行者は、須弥山であり、日月であり、大海などなのです。
【而るに今の世は法華経を軽蔑〔けいべつ〕すること】
そうであるのに現在の鎌倉において法華経の行者を軽蔑する姿は、
【土の如く民の如し。】
金に対する土のようであり、王に対する民のようであるのです。
【真言の僻人〔びゃくにん〕等を重崇〔じゅうすう〕して】
真言の教えを第一とする道理をわきまえない愚かな者達を重んじ、敬い尊んで、
【国師と為〔す〕ること金〔こがね〕の如く王の如し。】
国師としている姿は、土を金とするようであり、民を王とするのと同じなのです。
【之に依〔よ〕って増上慢〔ぞうじょうまん〕の者国中に充満す。】
これによって増上慢の者が国中に充満しているのです。
【青天瞋〔いか〕りを為〔な〕し黄地〔おうじ〕夭孼〔ようげつ〕を致す。】
天は、怒りをなして天変が起こり、大地には、災いをもたらしています。
【涓〔しずく〕聚〔あつ〕まりて墉塹〔ようぜん〕を破るが如く、】
細く流れる水が集まって、城の壁や堀を破るように、
【民の愁〔うれ〕ひ積りて国を亡す等是なり。】
民衆の嘆きや悲しみが積もり積もって、国を滅ぼすと言うのは、このことなのです。
【問ふて云はく、内外の諸釈の中に是くの如きの例之有りや。】
それでは、内典、外典の様々な解釈の中で、このような例があるでしょうか。
【答へて曰く、史臣呉競〔ごきょう〕が太宗〔たいそう〕に上〔たてまつ〕る】
それに答えると歴史を編纂する役目の呉競〔ごきょう〕が、亡き太宗皇帝に上奏した
【表〔ひょう〕に云はく「竊〔ひそ〕かに惟〔おもんみ〕れば】
文書に「ひそかに考えてみれば、
【太宗・文武皇帝の政化、】
文武に秀でた太宗皇帝が、よく国を治め、
【曠古〔こうこ〕よりこのかた未だ是くの如くの盛んなる者有らず。】
また、民衆を導くことは、これを求めて未だ、このように盛んなる者は、おらず。
【唐〔とう〕の尭〔ぎょう〕、虞〔ぐ〕の舜〔しゅん〕、夏〔か〕の禹〔う〕、】
唐〔とう〕の尭〔ぎょう〕、虞〔ぐ〕の舜〔しゅん〕、夏〔か〕の禹〔う〕、
【殷〔いん〕の湯〔とう〕、周の文・武、漢の文・景と雖〔いえど〕も】
殷の湯〔とう〕王、周の文王、武王、前漢の文帝、景帝と雖〔いえど〕も、
【皆未だ逮〔およ〕ばざる所なり」云云。】
すべて未だ及ばないところである」などと書かれています。
【今此の表を見れば太宗を慢〔まん〕ぜる王と云ふべきか。】
今、この文章を見て、太宗皇帝を慢心の王と言うべきでしょうか。
【政道の至妙、】
これは、太宗皇帝の政治の行われ方が極めて立派で優れたものであることを、
【先聖〔せんしょう〕に超えて讃〔ほ〕むる所なり。】
先代の聖人にも超えていると讃〔たた〕えているのです。
【章安大師天台を讃めて云はく】
章安大師は、天台大師を讃〔たた〕えて
【「天竺の大論すら尚其の類に非ず、】
「インドの竜樹、天親の大論師でさえ、なお天台とは、比較にならない。
【真丹の人師何ぞ労〔わざら〕はしく語るに及ばん。】
中国の仏教の師たちについて、どうして語る必要があるだろうか、
【此誇耀〔こよう〕に非ず】
これは、自らを誇り、見せびらかす為ではない。
【法相〔ほっそう〕の然らしむるのみ」等云云。】
経典に説かれた法の内容が優れているのである」などと述べられています。
【従義〔じゅうぎ〕法師〔ほっし〕重ねて讃めて云はく】
従義〔じゅうぎ〕法師〔ほっし〕は、重ねて讃〔たた〕えて
【「竜樹〔りゅうじゅ〕・天親〔てんじん〕も未だ天台には若〔し〕かず」と。】
「竜樹も天親も未だ天台大師には及ばない」と言っています。
【伝教大師自讃〔じさん〕して云はく「天台法華宗の諸宗に勝るゝことは】
伝教大師は、法華秀句に「天台法華宗が他の様々な宗派よりも優れているのは、
【所依〔しょえ〕の経に拠〔よ〕るが故なり。】
依りどころとする法華経が優れているからである。
【自讃毀他〔きた〕ならず、】
決して自らを讃〔たた〕えて、他を誹謗しているのではない。
【庶〔こいねが〕はくば有智〔うち〕の君子、】
願わくば、仏法に通達し解了している智者であるならば、
【経を尋ねて宗を定めよ」云云。】
拠り所とする経文を明らかにした上でその宗派を定めよ」などと述べられています。
【又云はく「能〔よ〕く法華を持つ者は】
また、伝教大師は、同じく法華秀句に「よく法華経を持つ者は、
【亦衆生の中の第一なり、已〔すで〕に仏説に拠る、】
また衆生の中の第一である。すでに仏説によっている。
【豈〔あに〕自讃ならんや」云云。】
どうして自讃であると言えようか」と述べられています。
【今愚見〔ぐけん〕を以て之を勘〔かんが〕ふるに、善無畏〔ぜんむい〕、弘法、】
いま、私の愚かな見解をもって、このことを考えてみると、善無畏三蔵、弘法大師、
【慈覚、智証等は皆仏意に違〔たが〕ふのみに非ず、】
慈覚大師、智証大師は、すべて仏意にかなっていないだけでなく、
【或は法の盗人】
あるいは、法盗人〔ほうぬすっと〕であり、
【或は伝教大師に逆〔さから〕へる僻人〔びゃくにん〕なり。】
あるいは、伝教大師に逆らっている愚か者であるのです。
【故に或は閻魔〔えんま〕王の責〔せ〕めを蒙〔こうむ〕り、】
それ故に、あるいは、地獄で閻魔大王の責めに遭い、
【或は墓墳〔ぼふん〕無く、】
あるいは、入るべき墓がなく、
【或は事を入定〔にゅうじょう〕に寄せ、】
あるいは、誑惑の弟子たちが、弘法は、死んだのではなく入定したのだと言い張り、
【或は度々〔たびたび〕大火・大兵に値〔あ〕へり。】
あるいは、たびたび大火に遭い、また多くの将兵に攻められるのです。
【権者は恥辱〔ちじょく〕を死骸〔しがい〕に】
これは、仏、菩薩が仮の姿で顕れたのであれば、恥辱を死骸に
【与〔あた〕へずといへる本文に違するか。】
与えられる事はないとの文章に反するのではないでしょうか。
【疑って云はく、六宗の如く】
それでは、質問しますが、六宗のように
【真言の一宗も天台に落ちたる状之〔これ〕有りや。】
真言の一宗派でも、天台宗に議論で負けたと言う文章は、あるのでしょうか。
【答ふ、記の十の末に之を載〔の〕せたり。】
それに答えて言うと、法華文句記の十巻の末に、その文章が載せてあります。
【随って伝教大師、依憑集〔えひょうしゅう〕を造って之を集む。】
したがって伝教大師は、依憑集を作って、これを集められているのです。
【眼有らん者は開いて之を見よ。】
眼のある者は、その眼を開いて、これを見てください。
【冀〔ねがわしき〕かな末代の学者、妙楽・伝教の聖言に随って、】
願わくは、末代に仏法を学ぶ者は、妙楽大師、伝教大師の聖人の言葉に従い、
【善無畏・慈覚の凡言〔ぼんげん〕を用ふること勿〔なか〕れ。】
善無畏三蔵や慈覚大師などの凡夫の言葉を用いては、なりません。
【予が門家等深く此の由を存ぜよ。】
私の門下〔もんか〕は、深く、この事をわきまえるべきです。
【今生〔こんじょう〕に人を恐れて後生〔ごしょう〕に悪果を招くこと勿れ。】
今世において人を恐れて、死後に悪い結果を招くような事があっては、なりません。
【恐惶謹言】
恐れながら謹んで申し上げます。
【正月廿四日 日蓮花押】
1月24日 日蓮花押
【大田金吾入道殿】
大田金吾入道殿