日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


大田乗明等御消息文 09 曾谷殿御返事


【曾谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳】
曾谷殿御返事 建治2年8月2日 55歳御作

【夫〔それ〕法華経第一方便品に云はく「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云。】
法華経第一巻の方便品に「諸仏の智慧は、甚深無量なり」と説かれています。

【釈に云はく「境淵〔みょうえん〕無辺〔むへん〕なる故に甚深と云ひ、】
天台大師の解釈では「境の淵が無辺であるので甚深と言い、

【智水測り難き故に無量と云ふ」と。】
智慧の水が測り難いので無量と言う」とあります。

【抑〔そもそも〕此の経釈の心は】
そもそも、この経文と解釈の意味は、

【仏になる道は豈〔あに〕境智〔きょうち〕の二法にあらずや。】
仏になる道は、境智の二法にあると言う事なのです。

【されば境と云ふは万法の体〔たい〕を云ひ、】
そうであれば、境と言うのは、万法の体を言い、

【智と云ふは自体顕照の姿を云ふなり。】
智と言うのは、自体顕照の姿を言うのです。

【而るに境の淵〔ふち〕ほとりなくふかき時は、智慧の水ながるゝ事つゝがなし。】
しかるに境の淵が広大で深い時は、智慧の水が流れ続ける事が出来るのです。

【此の境智合しぬれば即身成仏するなり。】
この境智が合えば、即身成仏するのです。

【法華以前の経は、境智各別にして、】
法華経以前の経文は、境智が各別であって、

【而も権教方便なるが故に成仏せず。】
しかも権教、方便の教えであるので成仏ができないのです。

【今法華経にして境智一如〔いちにょ〕なる間、開示悟入〔かいじごにゅう〕の】
今、法華経においては、境智が一如ですから、開示悟入の

【四仏知見〔しぶっちけん〕をさとりて成仏するなり。】
四仏知見を悟って、成仏するのです。

【此の内証に声聞〔しょうもん〕・辟支仏〔びゃくしぶつ〕】
この内証には、声聞や辟支仏は、

【更に及ばざるところを、次下〔つぎしも〕に】
全く及ばない事を、次に

【「一切声聞辟支仏所不能知〔しょふのうち〕」と説かるゝなり。】
「一切の声聞、辟支仏の知ること能わざる所なり」と説かれたのです。

【此の境智の二法は何物ぞ。但南無妙法蓮華経の五字なり。】
この境智の二法は、何であるかと言うと、ただ南無妙法蓮華経の五字であるのです。

【此の五字を地涌〔じゆ〕の大士〔だいし〕を召し出だして】
この五字を釈尊は、地涌の菩薩を召し出して

【結要〔けっちょう〕付嘱〔ふぞく〕せしめ給ふ。】
結要〔けっちょう〕付属させたのです。

【是を本化〔ほんげ〕付嘱の法門とは云ふなり。】
これを本化付属の法門と言うのです。

【然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、】
しかるに上行菩薩などは、末法の始の五百年に出生して、

【此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。】
この境智の二法である五字を弘められるであろうと言う事が、

【経文赫々〔かくかく〕たり、明々たり。誰か是を論ぜん。】
経文に明々白々であるのです。誰が、これを論じる者があるでしょうか。

【日蓮は其の人にも非ず、又御使ひにもあらざれども、】
日蓮は、その人ではなく、その使いでもありませんが、

【先づ序文にあらあら弘め候なり。】
まず、その先駆けとして、ほぼほぼ、弘めているのです。

【既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、】
すでに上行菩薩が釈迦如来から妙法の智慧の水を受けて、

【末代悪世の枯槁〔ここう〕の衆生に流れかよはし給ふ。是れ智慧の義なり。】
末代悪世の未だ善根のない衆生に流れ通わすのです。これは、智慧の義です。

【釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。】
釈尊から上行菩薩に譲り与えられたのです。

【然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。】
しかるに日蓮は、また日本国において、この法門を弘めているのです。

【又是には総別〔そうべつ〕の二義あり。】
また、これには総別の二義があります。

【総別の二義少しも相そむけば成仏思ひもよらず。】
総別の二義を間違えるならば、成仏は、思いもよりません。

【輪廻〔りんね〕生死〔しょうじ〕のもとゐたらん。】
生死に輪廻する元となるのです。

【例せば大通仏〔だいつうぶつ〕の第十六の釈迦如来に下種〔げしゅ〕せし】
たとえば、大通智勝仏の第十六番目の王子である釈迦如来に下種された

【今日の声聞は、全く弥陀〔みだ〕・薬師〔やくし〕に遇〔あ〕ひて成仏せず。】
在世の声聞は、全く阿弥陀如来や薬師如来にあっても成仏しないのです。

【譬へば大海の水を家内へく〔汲〕み来たらんには、】
譬えば、大海の水を家の中に汲んで来たならば、

【家内の者皆縁をふるべきなり。】
一家の者は、皆、それで潤〔うるお〕う事ができます。

【然れども汲み来たるところの大海の一滴を閣〔さしお〕きて、】
しかし、汲んで来た大海の一滴を、そのままにして置いて、

【又他方の大海の水を求めん事は】
また、別に大海の水を求めて、汲んで来る事は、

【大僻案〔びゃくあん〕なり、大愚癡〔ぐち〕なり。】
まったく意味がない事であり、ほんとうに愚かな事なのです。

【法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、】
法華経の大海の智慧の水を受けた根源の師を忘れて、

【余〔よそ〕へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。】
他へ心を移すならば、必ず、輪廻〔りんね〕の生死を繰り返す事になるのです。

【但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。】
ただし、たとえ師であっても、誤りのある者は、捨てなければなりません。

【又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。】
また、捨てない場合もあります。これらは、世間や仏法の道理によるべきなのです。

【末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、】
末法の僧等は、仏法の道理を知らないで、

【我慢〔がまん〕に著〔じゃく〕して、師をいやしみ、檀那をへつらふなり。】
自分の思いに執著して、師を卑〔いや〕しみ、檀那に諂〔へつら〕っています。

【但正直にして少欲〔しょうよく〕知足〔ちそく〕たらん僧こそ、】
ただ、正直に少欲知足である僧こそ真実の僧なのです。

【真実の僧なるべけれ。文句の一に云はく】
法華文句第一巻には、

【「既に未だ真を発さゞれば第一義天に慙〔は〕ぢ諸の聖人に愧〔は〕づ。】
「未だ真実を悟らない者でも、第一義天に恥じ、諸の聖人に恥じるならば、

【即ち是有羞〔うしゅう〕の僧なり。観慧〔かんね〕若し発するは】
この者は、恥を知る僧なり。もし、この観心によって仏智を生じれば、

【即ち真実の僧なり」云云。】
それは、真実を悟る僧なり」と解釈されています。

【涅槃経に云はく「若し善比丘あって法を壊〔やぶ〕る者を見て、】
涅槃経には「もし善比丘がいて、仏法を破〔やぶ〕る者を見て、

【置いて呵責〔かしゃく〕し駈遣〔くけん〕し挙処〔こしょ〕せずんば、】
置いて、もし、よく論破し、追及し、破門しなければ、

【当〔まさ〕に知るべし、是の人は仏法の中の怨〔あだ〕なり。】
まさに、この人は、仏法の中の怨〔あだ〕なり。

【若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子、】
もし、よく論破し、追及し、破門すれば、これ我が弟子、

【真の声聞なり」云云。】
真の声聞なり」と説かれています。

【此の文の中に見壊〔けんね〕法者〔ほうしゃ〕の見〔けん〕と、】
この文章の中に「法を破る者を見て」の「見」と、

【置不〔ちふ〕呵責〔かしゃく〕の置〔ち〕とを、】
「置いて論破せず」の「置」とを

【能〔よ〕く能く心腑〔しんぷ〕に染むべきなり。】
よくよく心肝〔しんかん〕に染めるべきです。

【法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、】
法華経の敵〔かたき〕を見ながら、そのままにして置いて、責めなければ、

【師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。】
師も檀那も、ともに無間地獄は、疑いないのです。

【南岳大師の云はく「諸の悪人と倶〔とも〕に地獄に堕ちん」云云。】
南岳大師は「諸の悪人とともに地獄に堕ちる」と言っています。

【謗法〔ほうぼう〕を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、】
謗法を責めないで、成仏を願う事は、火の中に水を求め、

【水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。】
水の中に火を尋ねるようなものなのです。実に、儚〔はかない〕い事なのです。

【何〔いか〕に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄にを〔堕〕つべし。】
いかに法華経を信じていても、謗法があれば、必ず地獄に堕ちるのです。

【うるし〔漆〕千ばい〔杯〕に蟹〔かに〕の足一つ入れたらんが如し。】
漆〔うるし〕千杯〔ばい〕の中に蟹〔かに〕の足を一つ入れたようなものです。

【「毒気〔どっけ〕深入〔じんにゅう〕・】
「毒気が深く入って

【失本心故〔しっぽんしんこ〕」とは是なり。】
本心を失えるが故」とあるのは、この事なのです。

【経に云はく「在々諸仏の土に常に師と倶に生ぜん」と。】
法華経化城喩品に「在々諸仏土に常に師と倶に生まれる」と説かれ、

【又云はく「若し法師に親近〔しんごん〕せば速〔すみ〕やかに菩薩の道を得、】
また「もし法師に親近するならば、速やかに菩薩の道を得、

【是の師に随順して学せば恒沙〔ごうじゃ〕の仏を見たてまつることを得ん」と。】
この師に随順して学ぶならば、恒沙の仏を見ることができる」と説かれています。

【釈に云はく「本〔もと〕此の仏に従ひて初めて道心を発し、】
天台大師の法華玄義に「もと、この仏に従って初めて道心を発し、

【亦此の仏に従ひて不退の地に住す」と。】
また、この仏に従って不退地に住する」とあり、

【又云はく「初め此の仏菩薩に従ひて結縁〔けちえん〕し、】
また、妙楽大師の法華文句記に「初め、この仏、菩薩に従って結縁〔けちえん〕し、

【還〔また〕此の仏菩薩に於て成就す」云云。】
また、この仏、菩薩によって成就す」とあるのです。

【返す返すも本従〔ほんじゅう〕たがへずして成仏せしめ給ふべし。】
返す返すも、本と従を間違えずに成仏を目指してください。

【釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主親の徳を備へ給ふ。】
釈尊は、一切衆生の本従の師であって、しかも主と親の徳も備えているのです。

【此の法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆〔さか〕らふ道理なるが故に、】
この法門を日蓮が言い続けているので、忠言、耳に逆らうの道理である故に、

【流罪〔るざい〕せられ命にも及びしなり。然れどもいまだこりず候。】
流罪せられ、命にも及んだのです。しかし、未だ、凝〔こ〕りていません。

【法華経は種〔たね〕の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如くなり。】
法華経は、種であり、仏は、植え手であり、衆生は、田のようなものなのです。

【若し此等の義をたがへさせ給はゞ】
もし、これらの義を間違えてしまえば、

【日蓮も後生は助け申すまじく候。】
日蓮も、あなたの後生を助ける事は、出来ないでしょう。

【恐々謹言。】
恐れながら謹しんで申し上げます。

【建治二年(丙子)八月二日    日蓮花押】
建治2年8月2日    日蓮花押

【曾谷殿】
曾谷殿へ


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