御書研鑚の集い 御書研鑽資料
大田乗明等御消息文 18 大田殿女房御返事
【大田殿女房御返事 弘安三年七月二日 五九歳】
大田殿女房御返事 弘安3年7月2日 59歳御作
【八月分〔やつきぶん〕の八木〔はちぼく〕一石給〔た〕び候ひ了〔おわ〕んぬ。】
八月分の供養の米として、米一石を頂戴いたしました。
【即身成仏と申す法門は、諸大乗経並びに】
即身成仏と言う法門は、多くの大乗経や
【大日経等の経文に分明〔ふんみょう〕に候ぞ。】
大日経などに明らかにされています。
【爾〔しか〕らばとて彼の経々の人々の即身成仏と申すは、】
しかし、そうは、言っても、その実義は、法華経で初めて明かされるのであって、
【二つの増上慢〔ぞうじょうまん〕に】
それ以外の大乗経を信じる人々が、即身成仏できると言う事は、
【堕〔お〕ちて必ず無間〔むけん〕地獄〔じごく〕へ入り候なり。】
二つの増上慢に堕ち、必ず無間地獄へ入ってしまうのです。
【記〔き〕の九に云はく】
法華文句記の巻九には
【「然るに二つの上慢深浅〔じんせん〕無きに不〔あら〕ず、】
「しかるに、この二つの増上慢には、深浅なきにあらず。
【如〔にょ〕と謂〔い〕ふは乃〔すなわ〕ち】
仏と衆生が同じであると言う者は、
【大無慙〔だいむざん〕の人と成る」等云云。】
身の程を知らない恥知らずと成る」とあります。
【諸大乗経の煩悩即〔ぼんのうそく〕菩提〔ぼだい〕・】
また多くの大乗経にある煩悩即菩提、
【生死即〔しょうじそく〕涅槃〔ねはん〕の即身成仏の法門は、】
生死即涅槃の即身成仏の法門は、
【いみじくをぞたかきやうなれども、】
非常に優れて尊いようですが、
【此はあえて即身成仏の法門にはあらず。】
これは、あえて言えば、即身成仏の法門ではないのです。
【其の心は二乗と申す者は鹿苑〔ろくおん〕にして見思〔けんじ〕を断じて、】
そのわけは、二乗と言われる者は、鹿野苑〔ろくやおん〕で仏の教えを聞いて、
【いまだ塵沙〔じんじゃ〕・無明〔むみょう〕をば断ぜざる者が、】
見思惑を断じているだけで、いまだ塵沙〔じんじゃ〕惑、無明惑を断じておらず、
【我は已〔すで〕に煩悩を尽くしたり。無余〔むよ〕に入って】
自分では、すでに煩悩を断じ尽したと思って、無余〔むよ〕涅槃に入って、
【灰身〔けしん〕滅智〔めっち〕の者となれり。】
灰身〔けしん〕滅智〔めっち〕の者となってしまいました。
【灰身なれば即身にあらず。】
身を灰とするのですから、凡夫の身、そのままでの即身成仏ではなく、
【滅智なれば成仏の義なし。】
心智を滅するのですから、成仏の義は、ないのです。
【されば凡夫は煩悩〔ぼんのう〕・業〔ごう〕もあり、】
これに対して、凡夫は、煩悩も業〔ごう〕もあり、
【苦果〔くか〕の依身〔えしん〕も失ふ事なければ、】
前生に作った業による苦果〔くか〕の現身を失うことがないので、
【煩悩・業を種として報身〔ほうしん〕・応身〔おうじん〕ともなりなん。】
煩悩、業〔ごう〕を種として報身、応身に成ることができ、
【苦果あれば生死即涅槃とて】
苦果〔くか〕の現身があるから、生死即涅槃となって、
【法身〔ほっしん〕如来〔にょらい〕ともなりなんと、】
そのまま法身如来となることができると説いて、
【二乗をこそ弾呵〔だんか〕せさせ給ひしか。さればとて】
二乗を叱り戒めたのです。そうであるからと言って、
【煩悩・業・苦が三身の種とはなり候はず。】
煩悩、業、苦が、法身、報身、応身の種とは、ならないのです。
【今法華経にして、有余〔うよ〕・無余〔むよ〕の二乗が】
今、法華経において、有余〔うよ〕涅槃、無余〔むよ〕涅槃の二乗が
【無き煩悩・業・苦をとり出だして即身成仏と説き給ふ時、】
断じた煩悩、業、苦を取り出して、即身成仏すると説かれた時、
【二乗の即身成仏するのみならず凡夫も即身成仏するなり。】
二乗が即身成仏しただけでなく、凡夫も即身成仏したのです。
【此の法門をだにも、くはしく案じほどかせ給わば、】
この法門さえ、詳しく考えを巡らせれば、
【華厳・真言等の人々の即身成仏と申し候は、依経に文は候へども、】
華厳、真言などの人々が言う即身成仏は、その依経に即身成仏の文字はあっても、
【其の義はあへてなき事なり。】
その実義は、まったくないのです。
【僻事〔ひがごと〕の起こり此〔これ〕なり。】
ここに、これらの宗派の間違いが起こる原因があるのです。
【弘法・慈覚・智証等は此の法門に迷惑せる人なりとみ〔見〕候。】
弘法大師、慈覚大師、智証大師などは、この法門に迷った人であると思われます。
【何〔いか〕に況〔いわ〕んや其の已下の古徳〔ことく〕・】
ましてや、それより以下の過去の高徳の僧侶や
【先徳〔せんとく〕等は言ふにたらず。】
徳のある先人などは、言うまでもありません。
【但し、天台の第四十六の座主東陽〔とうよう〕の】
ただ、天台宗の第46代座主である東陽〔とうよう〕の
【忠尋〔ちゅうじん〕と申す人こそ、此の法門はすこしあやぶまれて候事は候へ。】
忠尋〔ちゅうじん〕と言う人だけは、この法門を少し疑われた事もありましたが、
【然れども天台の座主慈覚の末をうくる人なれば、】
それでも天台宗の座主、慈覚の末流の人なので、
【いつわ〔偽〕りをろ〔愚〕かにて、さては〔果〕てぬるか。】
間違いから抜けきれないまま、生涯を終わってしまったのです。
【其の上日本国に生を受くる人は、いかでか心にはをもうとも、】
その上、日本に生まれた人は、心には、間違いではないかと思っても、
【言〔ことば〕に出〔い〕だし候べき。】
どうして、口に出して言うことができるでしょうか。
【しかれども釈迦・多宝〔たほう〕・十方〔じっぽう〕の諸仏〔しょぶつ〕・】
しかし、釈迦、多宝、十方の諸仏、
【地涌〔じゆ〕・竜樹〔りゅうじゅ〕菩薩〔ぼさつ〕・天台・妙楽・】
地涌の菩薩、竜樹菩薩、天台大師、妙楽大師、
【伝教大師は、即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ。】
伝教大師は、即身成仏は、法華経に限ると考えられていました。
【我が弟子等は此の事ををも〔思〕ひ出にせさせ給へ。】
我が弟子などは、この事を後々まで思い起こすべきです。
【妙法蓮華経の五字の中に、諸論師・】
妙法蓮華経の五字の妙の字について、多くの論師、
【諸人師の釈まちまちに候へども、皆諸経の見〔けん〕を出でず。】
人師が様々な解釈をしていますが、すべて、法華経以前の諸経の域をでません。
【但し、竜樹菩薩の大論〔だいろん〕と申す論に「譬〔たと〕へば】
ただ、竜樹菩薩が大智度論と言う書に「例えて言うならば、
【大薬師の能〔よ〕く毒を以て薬と為〔な〕すが如し」と申す釈こそ、】
大薬師が毒をもって薬と為〔な〕すが如し」と言われた解釈こそ、
【此の一字を心へさせ給ひたりけるかと見へて候へ。】
この一文字を心得られているように思います。
【毒と申すは苦集〔くじゅう〕の二諦、生死の因果は毒の中の毒にて候ぞかし。】
毒と言うのは、苦集の二諦であり、生死の因果は、毒の中の毒です。
【此の毒を生死即涅槃・煩悩即菩提となし候を、妙の極とは申しけるなり。】
この毒を生死即涅槃、煩悩即菩提とすることを、妙の至極と言うのです。
【良薬〔ろうやく〕と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候ひけり。】
良薬と言うのは、毒が変じて薬となったからなのです。
【此の竜樹菩薩は大論と申す文の一百の巻に、】
この竜樹菩薩は、大智度論と言う文章の第百巻に、
【華厳〔けごん〕・般若〔はんにゃ〕等は妙にあらず、】
華厳経や般若経等は、妙ではない、
【法華経こそ妙にて候へと申す釈なり。此の大論は竜樹菩薩の論、】
法華経こそが妙であると解釈されました。この大智度論は、竜樹菩薩の論文であり、
【羅什〔らじゅう〕三蔵〔さんぞう〕と申す人の漢土へわたして候なり。】
羅什三蔵が中国へ伝えたものです。
【天台大師は此の法門を御らむ〔覧〕あて、南北をばせめさせ給ひて候ぞ。】
天台大師は、この法門を御覧になって南地、北地の十派の人師を破折されたのです。
【而るを漢土の唐の中〔なかごろ〕、】
ところが、中国では、唐代の中ごろ、
【日本の弘仁〔こうにん〕已後の人々の誤りの出来し候ひける事は、】
日本では、弘仁〔こうにん〕以後の人々に間違いが出て来たのは、
【唐の第九の代宗〔だいそう〕皇帝の御〔ぎょ〕宇〔う〕、】
唐の第九代、代宗〔だいそう〕皇帝の時代に、
【不空〔ふくう〕三蔵と申す人の天竺〔てんじく〕より渡して候論あり、】
不空三蔵と言う人がインドから伝えた論文があり、それを菩提心論と言いました。
【菩提心論〔ぼだいしんろん〕と申す。此の論は竜樹の論となづけて候。】
この論文は、竜樹菩薩の論文と言われています。
【此の論に云はく「唯〔ただ〕真言法の中にのみ】
この論文には「ただ真言の法の中においてのみ、
【即身成仏する故に是〔これ〕三摩地〔さんまじ〕の法を説く。】
即身成仏する故に、これ三摩地〔さんまじ〕の法を説く。
【諸教の中に於て欠〔か〕きて書せず」と申す文あり。此の釈にばかされて、】
他の諸教において欠けて書かず」と言う文章があります。この解釈にばかされて、
【弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候なり。】
弘法大師、慈覚大師、智証大師などの法門は、ひどいものになったのです。
【但し大論は竜樹の論たる事は自他あらそう事なし。】
ただし、大論が竜樹の論文であることは、誰も争いませんが、
【菩提心論は竜樹の論、】
菩提心論については、竜樹の論文であるとするものと
【不空の論と申すあらそい有り。】
不空の論文であるとするものがおり、争っております。
【此はいかにも候へ、さてをき候ひぬ。但し不審なる事は、】
これは、どちらが正しいとしても、さておいて、ただ不審に思うことは、
【大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし。】
それは、大論の主旨から言えば、即身成仏は、法華経に限るとあるのです。
【文と申し、道理きわまれり。】
これは、文章でも明白であり、その道理も極まっております。
【菩提心論が竜樹の論とは申すとも、】
菩提心論が竜樹の論文であったとしても、
【大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上、】
それならば、大論に背いて、真言の即身成仏を支持している事になるうえ、
【唯の一字は強しと見へて候。】
菩提心論にある真言のみが即身成仏の法であると言う唯の一字は、強引に思えます。
【何れの経文に依って唯の一字をば置いて】
どの経文に、この唯の一字を置いて、真言以外では、即身成仏できないと言って、
【法華経をば破し候ひけるぞ。証文尋ぬべし。】
法華経の即身成仏を破折しているのか、その証文を尋ねるべきです。
【竜樹菩薩の十住毘婆沙論〔じゅうじゅうびばしゃろん〕に云はく】
竜樹菩薩の十住毘婆娑論〔じゅうじゅうびばしゃろん〕には、
【「経に依らざる法門をば黒論〔こくろん〕」と云云。】
「経文に依らない法門を邪義と言う」とあります。
【自語相違あるべからず。大論の一百に云はく】
このような自語相違があっては、ならないのです。また大論の百の巻には、
【「而〔しか〕も法華等の阿羅漢の授決〔じゅけつ〕作仏〔さぶつ〕、】
「しかも法華等で阿羅漢の記別を授〔さず〕けられたことは、
【乃至〔ないし〕譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」等云云。】
(中略)たとえて言えば大薬師がよく毒を以って薬とするが如し」などとあります。
【此の釈こそ即身成仏の道理はかゝれて候へ。】
この解釈こそ、法華経の即身成仏の道理が書かれたものです。
【但し、菩提心論と大論とは同じ竜樹大聖の論にて候が、】
ただし、菩提心論と大論が同じ竜樹菩薩の論文であるとすれば、
【水火の異なりをばいかんがせんと見候に、】
この論文の中の水火のような違いは、どのように考えれば、良いかと考えていると、
【此は竜樹の異説にはあらず、訳者の所為なり。】
これは、竜樹菩薩が異なる説を説いたのではなく、それを訳した者のせいなのです。
【羅什は舌やけず、不空は舌やけぬ。】
羅什三蔵の舌は、焼けませんでしたが、不空三蔵の舌は、焼けました。
【妄語はやけ、実語はやけぬ事顕然〔けんねん〕なり。】
これで嘘の訳者の舌は、焼け、真実を伝えた舌は、焼けなかった事が明確なのです。
【月支〔がっし〕より漢土へ経論わたす人、一百七十六人なり。】
インドより中国に経論を訳して、それを伝えた人は、百七十六人いました。
【其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ。】
その中で羅什三蔵一人だけが、教主釈尊の経文に自分の考えを入れなかったのです。
【一百七十五人の中、羅什より先後〔せんご〕一百六十四人は】
残りの百七十五人の中で羅什三蔵の前後の旧訳の百六十四人は、
【羅什の智をもって知り候べし。】
羅什三蔵の智慧によって推しはかることができます。
【羅什来たらせ給ひて前後一百六十四人が誤りも顕はれ、】
羅什三蔵がいた事によって、その前後、旧訳の百六十四人の間違いが鮮明になり、
【新訳〔しんやく〕の十一人が誤りも顕はれ、】
さらに新訳の十一人の誤りも明らかになったのです。
【又少〔こ〕ざかしくなりて候も羅什の故なり。】
また訳者が尊敬され重要視されるようになったのも羅什三蔵の存在の故なのです。
【此私の義にはあらず。感通伝〔かんつうでん〕に云はく】
これは、私の説ではなく、中国南山宗の祖、道宣の感通伝〔かんつうでん〕によると
【「絶後〔ぜつご〕光前〔こうぜん〕」と云云。】
「羅什以前には、正しい訳は、なく、以後も、また明らかにした」とあります。
【光前と申すは後漢〔ごかん〕より後秦〔こうしん〕までの訳者。】
以前とは、後漢から後秦までの訳者のことであり、
【絶後と申すは羅什已後、善無畏〔ぜんむい〕・金剛智〔こんごうち〕・】
絶後とは、羅什三蔵以後の善無畏三蔵や金剛智三蔵、
【不空〔ふくう〕等も羅什の智をうけて、すこしこざかしく候なり。】
不空三蔵などが、羅什三蔵の智慧を受けて、その訳を読み伝えて、尊敬され、
【感通伝に云はく】
重要視されるようになったと言う意味です。それで感通伝〔かんつうでん〕には
【「已下の諸人並びに皆〔みな〕俊なり」云云。】
「羅什以後の訳者は、皆、羅什を拠りどころにした」とあります。
【されば此の菩提心論の唯の文字は、】
それ故に、この菩提心論は、たとえ竜樹の論文であっても、唯の一文字は、
【設ひ竜樹の論なりとも不空の私の言なり。何に況んや次下に】
不空三蔵が勝手に付け加えた言葉なのです。ましてや、その次の文章にある
【「諸教の中に於て欠〔か〕きて書せず」と】
「真言以外の諸教には、即身成仏の義が欠けており、書かれていない」と
【かゝれて候。存外のあやまりなり。】
述べているのは、完全な出鱈目〔でたらめ〕なのです。
【即身成仏の手本たる法華経をば指〔さ〕しをいて、】
即身成仏の手本である法華経をさしおいて、
【あとかたもなき真言に即身成仏を立て、】
その跡形〔あとかた〕すらない真言に即身成仏の義を立て、
【剰へ唯の一字をを〔置〕かるゝ条、天下第一の僻見〔びゃっけん〕なり。】
そればかりか唯の一文字を置いたことは、天下第一の僻見〔びゃっけん〕なのです。
【此〔これ〕偏〔ひとえ〕に修羅〔しゅら〕根性〔こんじょう〕の法門なり。】
これは、ひとえに人の成功を妬〔ねた〕む修羅根性から出た法門なのです。
【天台智者大師の文句の九に、】
天台智者大師の法華文句の第九巻に
【寿量品の心を釈して云はく「仏三世〔さんぜ〕に於て】
法華経、寿量品を解釈して「仏は、三世において、
【等しく三身〔さんじん〕有り。】
法身如来、報身如来、応身如来のを三身〔じん〕を一身に具〔そな〕えているが、
【諸教の中に於て之を秘して伝へず」とかゝれて候。】
諸教の中には、これを秘して伝へず」と書かれています。
【此こそ即身成仏の明文にては候へ。】
これこそ法華経に即身成仏が説かれていると言う明らかな文章なのです。
【不空三蔵此の釈を消さんが為に事〔こと〕を竜樹に依せて】
不空三蔵は、この解釈を打ち消す為に、竜樹菩薩によせて
【「唯真言法の中にのみ即身成仏する故に】
「唯、真言の法の中でのみ、即身成仏できるが故に、
【是の三摩地〔さんまじ〕の法を説く。】
この三摩地〔さんまじ〕の法を説いた。
【諸経の中に於て欠きて書せず」とかゝれて候なり。】
他の諸教の中には、これを書かず」と記〔しる〕したのです。
【されば此の論の次ぎ下に、即身成仏をかゝれて候が、】
したがって、この論文の次に、即身成仏のことを書いていますが、
【あへて即身成仏にはあらず。】
まったく即身成仏ではなく、
【生身〔しょうじん〕得忍〔とくにん〕に似て候。】
華厳経の菩薩の「生身得忍」に似たものを書いたに過ぎないのです。
【此の人は即身成仏はめづらしき法門とはき〔聞〕かれて候へども、】
不空菩薩は、即身成仏が尊い法門であるとは、聞いて知っていましたが、
【即身成仏の義はあへてうかゞ〔窺〕わぬ人々なり。】
即身成仏の実義は、まったく理解する事が出来ない人だったのです。
【いかにも候へば二乗成仏・久遠実成を説き給ふ経にあるべき事なり。】
実に即身成仏は、二乗成仏と久遠実成が説かれる法華経だけにあるべきなのです。
【天台大師の「於諸経中秘之不伝」の釈は】
天台大師の「諸教の中において、秘して伝えず」との解釈は、
【千旦千旦。恐々。】
僭越〔せんえつ〕ながら、栴檀の香りのように格調高い文章と思われるのです。
【外典三千余巻は、政道の相違せるに依って代は濁ると明かし、】
儒教などの三千余巻には、政道に間違いがあれば、世の中が濁〔にご〕ると説明され、
【内典五千・七千余巻は、仏法の僻見に依って】
仏教の五千、七千余巻の経典には、仏法の間違った考えによって、
【代濁るべしとあ〔明〕かされて候。】
世の中が濁〔にご〕ると説明されています。
【今の代は外典にも相違し、内典にも違背せるかのゆへに、】
今の世は、儒教などの教えにも相違し、仏教の経典にも違背している故に、
【二つの大科一国に起〔お〕こりて、已〔すで〕に亡国とならむとし候か。】
この二つの大きな間違いを一国が起こして、すでに国が亡びようとしているのです。
【不便〔ふびん〕不便。】
まことに憐れむべきことです。
【七月二日 日蓮花押】
7月2日 日蓮花押
【大田殿女房御返事】
太田殿女房御返事