日蓮正宗法華講開信寺支部より

御書研鑚の集い 御書研鑽資料


大田乗明等御消息文 12 曾谷入道殿御返事


【曾谷入道殿御返事 建治三年一一月二八日 五六歳】
曾谷入道殿御返事 建治3年11月28日 56歳御作

【妙法蓮華経一部一巻小字経、】
小さな文字で書写した妙法蓮華経の一部一巻の

【御供養のために御布施に小袖二重・鵞目〔がもく〕十貫・並びに扇百本。】
御供養として、小袖を二重、銭を十貫文、並びに扇、百本を頂きました。

【文句の一に云はく「如是とは所聞の法体を挙ぐ」と。】
天台大師の法華文句の第一巻に「如是とは、所聞の法体を挙〔あ〕ぐ」と説かれ、

【記の一に云はく】
妙楽大師の法華文句記、第一巻には

【「若し超八の如是に非ずんば】
「もし、法華経が蔵、通、別、円、頓、漸、秘密、不定を超えた如是でなければ、

【安〔いずく〕んぞ此の経の所聞と為さん」云云。】
どうして、この経の所聞となすであろうか」と説かれているのです。

【華厳経の題に云はく「大方広仏華厳経】
華厳経の「大方広仏華厳経〔だいほうこうぶつけごんきょう〕」と言う

【如是我聞」云云。「摩訶般若〔まかはんにゃ〕
経題の次には、「如是我聞〔にょぜがもん〕」とあり、「摩訶般若〔まかはんにゃ〕

【波羅蜜〔はらみつ〕経如是我聞」云云。】
波羅蜜〔はらみつ〕経の次にも「如是我聞〔にょぜがもん〕」とあり、

【大日経の題に云はく「大毘盧遮那〔びるしゃな〕神変〔しんぺん〕】
大日経の「大毘盧遮那〔びるしゃな〕神変〔しんぺん〕

【加持〔かじ〕経如是我聞」云云。】
加持〔かじ〕経と言う経題の次にも「如是我聞〔にょぜがもん〕」とあります。

【一切経の如是は何なる如是ぞやと尋ぬれば、】
それでは、一切経の如是とは、何をさして「如是」と言っているのでしょうか。

【上の題目を指して如是とは申すなり。】
それは、経の最初にあげた題目をさして「如是」と言っているのです。

【仏、何〔いず〕れの経にてもと〔説〕かせ給ひし其の所詮の理をさして、】
仏が説いた、すべての経文の所詮の理をさして、

【題目とはせさせ給ひしを、阿難〔あなん〕・文殊〔もんじゅ〕・】
題目とされているのを、阿難〔あなん〕尊者、文殊〔もんじゅ〕菩薩、

【金剛手〔こんごうしゅ〕等、滅後に結集し給ひし時、】
金剛薩埵〔こんごうさった〕などが仏滅後に仏典結集の為に集まった時に、

【題目をう〔打〕ちを〔置〕いて、如是我聞と申せしなり。】
まず経の題目を置いて、それから「如是我聞」と言ったのです。
 
【一経の内の肝心は題目におさまれり。】
すなわち、一経の肝心は、題目に収まっているのです。

【例せば天竺〔てんじく〕と申す国あり、九万里七十箇国なり。】
たとえば、インドと言う国は、周囲九万里の広さと七十ヵ国からなっています。

【然〔しか〕れども其の中の人畜・草木・山河・大地、】
その中の人や畜生、草木、山河、大地は、

【皆月氏〔がっし〕と申す二字の内にれきれき〔歴歴〕たり。】
すべてインドと言う文字の中に、明らかに収まっているのです。

【譬へば一四天下の内に四洲あり。其の中の一切の万物は】
たとえば、四天下の中に四つの州があり、その中の万物の影が、

【月に移りて、すこしもかく〔隠〕るゝ事なし。】
ことごとく月に映っており、少しも隠れる事がないようなものなのです。

【経も又是くの如く、】
経文も、また、同じであるのです。

【其の経の中の法門は其の経の題目の中にあり。】
その経文の中に説かれている法門は、その経の題目に、すべて収まっているのです。

【阿含〔あごん〕経の題目は一経の所詮、無常の理をおさめたり。】
阿含経の題目は、その経の所詮の法門である無常の理を収めているのです。

【外道の経の題目のあう〔阿漚〕の二字にすぐれたる事百千万倍なり。】
外道の聖典の最初の阿漚〔あう〕の二文字に優れている事は、百千万倍なのです。

【九十五種の外道、阿含経の題目を聞きて】
九十五派の外道は、阿含経の題目を聞いて、

【みな邪執〔じゃしゅう〕を倒し、無常の正路におもむきぬ。】
みな、ことごとく外道の我見の執着を捨てて、無常の理の正路に付いたのです。

【般若経の題目を聞きては体空・但中〔たんちゅう〕・不但中の法門をさとり、】
また、般若経の題目を聞く人は、体空、但中、不但中の法門を覚〔さと〕り、

【華厳経の題目を聞く人は但中・不但中のさとりあり。】
華厳経の題目を聞く人は、但中、不但中を覚〔さと〕るのです。

【大日経・方等・般若経の題目を聞く人は或は折空〔しゃっくう〕、】
大日経、方等経、般若経の題目を聞く人は、あるいは、折空〔しゃっくう〕、

【或は体空、或は但空、或は不但空、或は但中・】
あるいは、体空、あるいは、但空、あるいは、不但空、あるいは、但中、

【不但中の理をばさと〔悟〕れども、いまだ十界互具・百界千如・】
あるいは、不但中の理を覚〔さと〕ると言っても、未だ十界互具、百界千如、

【三千世間の妙覚の功徳をばきかず。】
三千世間の妙覚の功徳の法門は、聞いていないのです。

【その詮を説かざれば】
諸経では、一念三千と言う法門を説かない故に、

【法華経より外は理即の凡夫なり。】
法華経以外の経を信ずる人は、理即〔りそく〕の凡夫なのです。

【彼の経々の仏菩薩はいまだ法華経の名字即に及ばず。】
それ故に、その経文の仏、菩薩と言っても、未だ法華経の名字即に及ばないのです。
 
【何〔いか〕に況〔いわ〕んや題目をも唱へざれば観行即にいたるべしや。】
いわんや題目を唱えなければ、観行即に至る事があるでしょうか。

【故に妙楽大師の記に云はく】
妙楽大師の法華文句記、第一巻には

【「若し超八の如是に非ずんば】
「もし、法華経が蔵、通、別、円、頓、漸、秘密、不定を超えた如是でなければ、

【安〔いずく〕んぞ此の経の所聞と為さん」云云。】
どうして、この経の所聞となすであろうか」と説かれているのです。

【彼々の諸経の題目は八教の内なり、網目の如し。】
爾前経の題目は、八教の中の教えであり、たとえば、網目のようなものなのです。

【此の経の題目は八教の網目に超えて大綱と申す物なり。】
この経の題目は、八教の網目を超えており、いわば大綱と言うべきなのです。

【今妙法蓮華経と申す人々はその心をしらざれども、】
今、妙法蓮華経と唱える人々は、経の心を知らなくとも、

【法華経の心をう〔得〕るのみならず、一代の大綱〔たいこう〕を覚り給へり。】
法華経の心を得るのみならず、釈尊一代の聖教の大綱を覚っているのです。

【例せば一・二・三歳の太子位につき給ひぬれば、】
例えば、一、二、三歳の皇太子であっても、王位に着けば、

【国は我が所領なり。】
その国は、自分の所領となるようなものなのです。

【摂政・関白已下は我が所従なりとは、】
摂政、関白以下の人が、自分の臣下であると言う事を知らなくても、

【しらせ給はねども、なにも此の太子の物なり。】
みんな、この皇太子の家来になるのです。

【譬へば小児は分別の心なけれども、】
たとえば、幼児は、物事を分別する心は、ありませんが、

【悲母の乳を口にの〔飲〕みぬれば自然に生長するを、】
母親の乳を口に含めば、自然に成長するようなものであり、

【趙高〔ちょうこう〕が様に心おご〔傲〕れる臣下ありて、】
そこに宦官〔かんがん〕の趙高〔ちょうこう〕のような傲慢な臣下がいて、

【太子をあなづ〔侮〕れば身をほろぼす。】
皇太子を侮蔑するような事があれば、その身を滅ぼすようなものなのです。

【諸経諸宗の学者等、法華経の題目ばかりを唱ふる】
今の諸経を所依とする諸宗の学者などは、法華経の題目を一心に唱える

【太子をあなづりて、趙高が如くして】
皇太子を侮〔あなど〕って、宦官〔かんがん〕の趙高〔ちょうこう〕のように、

【無間地獄に堕つるなり。】
我が身を滅ぼして、ついには、無間地獄に堕ちるのです。

【又法華経の行者の、心もしらず題目計りを唱ふるが、】
また、法華経の行者の心も知らず、題目を一心に唱えていながら、

【諸宗の智者におどされて退心をおこすは、】
諸宗の智者に脅〔おど〕されて、退転の心を起こす事は、

【こがい〔胡亥〕と申せし太子が趙高におどされ、】
秦の皇太子、胡亥〔こがい〕が宦官〔かんがん〕の趙高〔ちょうこう〕に脅され、

【ころされしが如し。】
ついには、殺されたようなものなのです。

【南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず、】
南無妙法蓮華経と言うのは、釈尊一代聖教の肝心であるばかりでなく、

【法華経の心なり、体なり、所詮なり。】
法華経の心であり、体であり、究極の教えなのです。

【かゝるいみじき法門なれども、仏滅後二千二百二十余年の間、】
このような素晴らしい法門であるけれども、仏滅後二千二百二十余年の間、

【月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず。】
インドにおいて付法蔵の二十四人は、弘通されず、

【漢土の天台・妙楽も流布し給はず。】
中国の天台大師も妙楽大師も流布されなかったのです。

【日本国には聖徳太子・伝教大師も宣説し給はず。】
日本国では、聖徳太子、伝教大師も説き弘められなかったのです。

【されば和法師が申すは】
それ故に日蓮のような法師が言うことは、

【僻事〔ひがごと〕にてこそ有るらめと諸人疑ひて信ぜず。是又第一の道理なり。】
自分勝手な考えに違いないと人々が疑って、信じないのも、また当然の事なのです。

【譬へば昭君〔しょうくん〕なんどを、】
譬えば、今昔物語の中の中国の王昭君〔おうしょうくん〕のような美女を

【あやしの兵〔つわもの〕なんどがおか〔犯〕したてまつるを、】
賤〔いや〕しい兵士が辱〔はずかし〕めたと言っても、

【みな人よもさはあらじと思へり。】
まさか、そのような事など有り得ないだろうと思うのと同じなのです。

【大臣公卿〔くぎょう〕なんどの様なる】
大臣、公卿〔くぎょう〕などのような位が高い

【天台・伝教の弘通なからん法華経の肝心】
天台大師、伝教大師ですら、弘通しなかった法華経の肝心なのです。

【南無妙法蓮華経を、和法師程のものが】
南無妙法蓮華経を、日蓮ほどの法師が

【いかで唱ふべしと云云。】
どうして唱える事ができようかと思うのも当然のことなのです。

【汝等是を知るや。】
しかし、あなた方は、知っているでしょうか。

【烏〔からす〕と申す鳥は無下のげす〔下衆〕鳥なれども、】
カラスと言う鳥は、もっとも卑しい鳥では、ありますが、

【鷲〔わし〕・鵰〔くまたか〕の知らざる年中の吉凶を知れり。】
鷲〔わし〕や熊鷹〔くまたか〕ですら、知らない年中の吉凶を知っているのです。

【蛇と申す虫は竜・象に及ばずとも、】
また蛇と言う動物は、竜や象に、はるかに及びませんが、

【七日の間の洪水〔こうずい〕を知るぞかし。】
七日のうちに洪水が起こることを知ることができるのです。

【設〔たと〕ひ竜樹・天台の知り給はざる法門なりとも、】
たとえ竜樹菩薩や天台大師の知っておられない法門であったとしても、

【経文顕然ならばなにをか疑はせ給ふべき。】
経文の上に明らかに説かれていれば、どうして疑うことができるでしょうか。

【日蓮をいやしみて南無妙法蓮華経と唱へさせ給はぬは、】
日蓮を卑〔いや〕しんで、南無妙法蓮華経と唱えないのは、

【小児が乳をうたが〔疑〕ふてなめず、】
幼い児が乳を疑〔うたが〕って飲まず、

【病人が医師〔くすし〕を疑ひて薬を服せざるが如し。】
病人が医師を疑って、薬を服さないようなものなのです。

【竜樹・天親等は是を知り給へども、】
竜樹菩薩、天親菩薩などは、南無妙法蓮華経を知っておられましたが、

【時なく機なければ弘通し給はざるか。】
時が至らず、機根がなかったのでしょうか、

【余人は又し〔知〕らずして宣伝せざるか。】
その他の人々の場合は、知らなかったので、流布しなかったのでしょう。

【仏法は時により機によりて弘まる事なれば、】
仏法は、時により、機根によって弘まるものですから、

【云ふにかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。】
言うべき立場でない日蓮が、その時に、あたってしまっているのです。

【所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人々は名と計り思へり。】
所詮、妙法蓮華経の五字を今の人々は、単なる名称に過ぎないと思っているのです。

【さにては候はず、体なり。体とは心にて候。】
しかし、そうではなく、妙法蓮華経は、体であり、体とは、心なのです。

【章安云はく「蓋〔けだ〕し序王〔じょおう〕とは】
章安大師は、法華文義の序文で「法華玄義の中の序王と言う文は、

【経の玄意〔げんい〕を叙〔じょ〕し、玄意は文の心を述ぶ」云云。】
経の玄意を顕わし、玄意は、文の心を述べる」と言っています。

【此の釈の心は妙法蓮華経と申すは文にあらず、義にあらず、】
この解釈の意味するところは、妙法蓮華経と言うのは、文ではなく、義ではなく、

【一経の心なりと釈せられて候。】
一経の心なのであると解釈されているのです。

【されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は、】
それ故に、妙法蓮華経の題目を、はなれて法華経の心を尋ねる者は、

【猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀なり。】
今昔物語の中の、猿から離れて、猿の肝を得ようとした亀のようなものであり、

【山林をすてゝ菓〔このみ〕を】
また、山林を捨てて、木の実を

【大海の辺〔ほとり〕にもとめし猿猴〔えんこう〕なり。はかなしはかなし。】
大海の浜辺に求める猿のようなものなのです。まことに、はかないことです。

【建治三年霜月二十八日    日蓮花押】
建治3年11月28日    日蓮花押

【曾谷次郎入道殿】
曾谷次郎入道殿へ


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