御書研鑚の集い 御書研鑽資料
大田乗明等御消息文 15 曾谷殿御返事
【曾谷殿御返事 弘安二年八月一一日 五八歳】
曾谷殿御返事 弘安2年8月11日 58歳御作
【焼き米二俵給〔た〕び畢んぬ。】
焼き米を二俵、頂きました。
【米は少しと思〔おぼ〕し食〔め〕し候へども人の寿命を継ぐ物にて候。】
米は、少しと思われるかも知れませんが、人の命を継ぐものです。
【命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり。】
命は、三千大千世界をもってしても、買う事ができないと、仏は、説かれています。
【米は命を継ぐ物なり。譬へば米は油の如く、命は灯の如し。】
米は、命を継ぐものであり、譬えれば、米は、油で、命は、燈のようなものです。
【法華経は灯の如く、行者は油の如し。】
法華経は、燈で、法華経の行者は、油のようなものなのです。
【檀那は油の如く、行者は灯の如し。】
また檀那は、油で、法華経の行者は、燈のようなものです。
【一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり。】
一切の百味の中にあっては、乳味と言って牛の乳が第一なのです。
【涅槃〔ねはん〕経の七に云はく】
涅槃経の第七巻には、
【「猶〔なお〕諸味の中に乳最も為〔こ〕れ第一なるが如し」云云。】
「なお、諸味の中で乳が最もこれ第一なるが如し」と説かれています。
【乳味をせん〔煎〕ずれば酪味〔らくみ〕となる。酪味をせん〔煎〕ずれば乃至】
乳味を精製すると酪味〔らくみ〕となり、酪味〔らくみ〕を精製すると(中略)
【醍醐味〔だいごみ〕となる。】
生蘇味〔しょうそみ〕、熟蘇〔じゅくそ〕味、醍醐味〔だいごみ〕となり、
【醍醐味は五味の中の第一なり。】
この五つの味の中では、醍醐味〔だいごみ〕が第一なのです。
【法門を以て五味にたとへば、】
法門をもって、この五つの味に例えるならば、
【儒家の三千、外道の十八大経は衆味の如し。】
儒家の三千の経書や外道の十八大経などは、衆味のようなものであり、
【阿含経は醍醐味なり。】
阿含経は、醍醐味〔だいごみ〕です。
【阿含経は乳味の如く、】
また、仏教の中で最も劣る阿含経は、乳味であり、
【観経等の一切の方等部の経は酪味の如し。】
観無量寿経等の一切の方等部の経文は、酪味〔らくみ〕であり、
【一切の般若経は生蘇〔しょうそ〕味、華厳経は熟蘇〔じゅくそ〕味、】
一切の般若経は、生蘇味〔しょうそみ〕、華厳経は、熟蘇味〔じゅくそみ〕、
【無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐の如し。】
無量義経と法華経と涅槃経とは、醍醐味〔だいごみ〕のようなものなのです。
【又涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主の如し。】
また、涅槃経を醍醐味〔だいごみ〕とすれば、法華経は、五つの味の主なのです。
【妙楽大師云はく「若し教旨を論ずれば法華は】
妙楽大師の解釈に「もし教えの趣旨を論じると、法華経は、ただ、
【唯開権〔かいごん〕顕遠〔けんのん〕を以て】
開権顕遠をもって
【教の正主〔しょうしゅ〕と為〔な〕す。】
教の正しい主〔あるじ〕としている。
【独り妙の名を得る意此に在り」云云。】
法華経が独り、妙の名を得ている本意は、ここにある」と述べられています。
【又云はく「故に知んぬ、法華は為れ醍醐の正主」等云云。】
また「故に法華経は、醍醐〔だいご〕の正主」などと述べられています。
【此の釈は正〔まさ〕しく法華経は五味の中にはあらず。】
この解釈は、まさしく法華経を五つの味の中に含まれていないのです。
【此の釈の心は五味は寿命をやしなふ。】
この解釈の意味は、五味は、命を養うものであるのに対し、
【寿命は五味の主なり。】
命、そのものが法華経であり、それが五つの味の主であると言う意味なのです。
【天台宗には二つの意あり。】
天台宗で立てる解釈に二の意味があります。
【一には華厳・方等・般若・涅槃・法華】
一には、華厳、方等、般若、涅槃、法華の諸経は、
【同じく醍醐味なり。】
同じく醍醐味〔だいごみ〕であるとする解釈です。
【此の釈の心は爾前と法華とを相似せるにに〔似〕たり。】
この解釈の意味は、爾前の諸経と法華経を比較して似かよったものとしています。
【世間の学者等此の筋のみを知りて、法華経五味の】
世間の学者などは、この事ばかりに気を取られて、法華経は、五つの味の
【主と申す法門に迷惑せるゆへに、諸宗にたぼらかさるゝなり。】
主であると言う法門に迷っている為に、諸宗に騙〔だま〕されるのです。
【開未開、異なれども】
法華経は、開会〔かいえ〕の教え、他経は、未開会の教えと言う違いがあっても、
【同じく円なりと云云。是は迹門の心なり。】
どちらも同じ円教であるとする見方もありますが、これは、迹門の解釈なのです。
【諸経は五味、】
それに対して諸経は、五つの味であり、
【法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり。】
法華経は、五つの味の主であるとする法門は、法華経本門の法門なのです。
【此の法門は天台・妙楽粗〔ほぼ〕書かせ給ひ候へども、】
この法門については、天台大師、妙楽大師が大略を説かれていますが、
【分明ならざる間学者の存知すくなし。】
明確にでは、ないので、知っている学者は、少ないのです。
【此の釈に「若し教旨を論ずれば」とか〔書〕ゝれて候は】
妙楽大師の解釈に「もし教の主旨を論ずれば」とあるのは、
【法華経の題目を教旨とはかゝれて候。】
法華経の題目を教の主旨と言ったのです。「法華は、唯、開権顕遠を以って」の
【開権と申すは五字の中の華の一字なり。】
「開権〔かいごん〕」とは、五字の題目の中の華の一字に当たる法門であり、
【顕遠とかゝれて候は五字の中の蓮の一字なり。】
「顕遠〔けんのん〕」とあるのは、五字の中の蓮の一字に当たるのです。
【「独り妙の名を得る」とかゝれて候は妙の一字なり。】
「独り妙の名を得」とあるのは、五字の題目の中の妙の一字に当たり、
【「意此に在り」とかゝれて候は法華経を一代の意と申すは】
「意、ここに在り」と書かれているのは、法華経が一代聖教の心と言う事であり、
【題目なりとかゝれて候ぞ。此を以て知んぬべし、】
それは、題目の事であると説かれているのです。このことから、
【法華経の題目は一切経の神〔たましい〕、一切経の眼目〔げんもく〕なり。】
法華経の題目は、一切経の魂であり、一切経の眼目である事を知るべきなのです。
【大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、】
大日経などの一切経は、法華経によってこそ、開眼供養すべきであるのに、
【大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、】
大日経などで一切の木画の仏を開眼するから、日本国の一切の寺塔の仏像などは、
【形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。】
すべて、形は、仏に似ていますが、心は、仏ではなく、九界の衆生と同じなのです。
【愚癡の者を智者とすること是より始まれり。】
愚癡の者を智者とする事が、これより始まったのです。
【国のつい〔費〕へのみ入りて祈りとならず。】
そうした邪法に従っているから、費用ばかりかかって祈禱の利益も何もないのです。
【還って仏変じて魔となり鬼となり、】
返って、仏が変じて、魔となり、鬼となって、
【国主乃至万民をわづらはす是なり。】
国主や人々を煩〔わずら〕わすと言うのは、この事を言うのです。
【今法華経の行者と檀那との出来する故に、百獣の師子王をいと〔厭〕ひ、】
しかも、今、法華経の行者とその弟子、檀那が出現したので、百獣が師子王を嫌い、
【草木の寒風をおそるゝが如し。】
草木が寒風を怖れるように、諸宗の人師は、日蓮を嫌い、
【是は且〔しばらく〕くを〔置〕く。】
恐れているのです。この事は、しばらく置きます。
【法華経は何なる故ぞ諸経に勝れて】
法華経は、諸経に優れており、
【一切衆生の為に用ふる事なるぞと申すに、】
一切衆生の為に用いるべき経文であると言うのは、どういう事かと言えば、
【譬へば草木は大地を母とし、虚空を父とし、】
例えば、草木は、大地を母とし、虚空を父とし、
【甘雨を食〔じき〕とし、風を魂とし、】
甘雨を食とし、風を魂とし、
【日月をめのと〔乳母〕として生長し、華さき菓〔このみ〕なるが如く、】
日月を母として生長し、花を咲かせ、実がなるように、
【一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、】
一切衆生は、法華経の実相を大地とし、無相を虚空とし、一仏乗を優しい雨とし、
【已今当第一の言〔ことば〕を大風とし、】
法華経法師品の已今当説〔いこんとうせつ〕最第一の言葉を追い風とし、
【定慧力〔じょうえりき〕荘厳〔しょうごん〕を日月として】
法華経方便品の定慧力〔じょうえりき〕荘厳〔しょうごん〕の言葉を日月として、
【妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さ〔咲〕かせ、】
妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華を咲かせ、
【安楽仏果の菓なって一切衆生を養ひ給ふ。】
安楽の仏果の果実を実らせて、その力をもって一切衆生を養っていくのです。
【一切衆生又食〔じき〕するによりて寿命を持つ。】
一切衆生は、また、物を食べる事によって生命をたもつものです。
【食に多数あり。土を食し、水を食し、】
その衆生の食べる物には、様々ありますが、土を食べ、泥水を食べ、
【火を食し、風を食する衆生もあり。】
火を食べ、風を食べる生き物もいます。
【求羅〔ぐら〕と申す虫は風を食す。うぐろもち〔□鼠〕と申す虫は土を食す。】
求羅〔ぐら〕と言う虫は、風を食べ、うぐろもちと言う虫は、土を食べます。
【人の皮肉骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食する鬼神もあり、】
人の皮肉、骨髄などを食べる鬼神もおり、糞尿などを食する鬼神もいます。
【寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいを〔魚〕、】
寿命を食べる鬼神や声を食べる鬼神もあり、石を食べる魚や、
【くろが〔鉄〕ねを食するばく〔獏〕もあり。】
鉄を食べる獏〔ばく〕と言う生き物もいます。
【地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・】
地神、天神、竜神、日月、帝釈、大梵天王、二乗、菩薩、
【仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ。】
仏は、仏法を食べて身とし、魂とされるのです。
【例せば乃往〔むかし〕過去に輪陀〔りんだ〕王と申す大王ましましき。】
例えば、過去世に輪陀〔りんだ〕王と言う
【一閻浮提〔えんぶだい〕の主なり、賢王なり。】
一閻浮提を治める賢王がいました。
【此の王はなに物をか供御〔くご〕とし給ふと申せば、】
この王は、何を食べ物にされたかと言えば、
【白馬の鳴〔いなな〕く声をき〔聞〕こしめして身も生長し、】
白馬のいななく声を聞いて身体も生長し、
【身心も安穏にしてよ〔代〕をたもち給ふ。れい〔例〕せば】
身心も安穏で世を治める事ができたのです。例えば、
【蝦蟆〔かえる〕と申す虫の母のなく声を聞きて生長するがごとし。】
ちょうど、蛙〔かえる〕が母の鳴き声を聞いて成長し、
【秋のはぎ〔萩〕のしか〔鹿〕の鳴くに華のさ〔咲〕くがごとし。】
秋の萩〔はぎ〕が鹿の鳴く声を聞いて花を咲かすように、
【象牙草のいかづ〔雷〕ちの声にはら〔孕〕み、】
象牙草が雷の声で実を付け、
【柘榴〔ざくろ〕の石にあふてさか〔栄〕うるがごとし。】
柘榴〔ざくろ〕が石にあって栄えるのと同じであったのです。
【されば此の王、白馬ををほ〔多〕くあつめてか〔飼〕はせ給ふ。】
それで、この王は、白馬を数多く集めて飼っていました。
【又此の白馬は白鳥をみ〔見〕てなく馬なれば、】
また、この白馬は、白鳥を見ていななく馬だったので、
【をほ〔多〕くの白鳥をあつめ給ひしかば、我が身の安穏なるのみならず、】
多くの白鳥を集めて飼っていましたから、大王自身が安泰であるばかりでなく、
【百官万乗〔ばんじょう〕もさか〔栄〕へ、天下も風雨時にしたがひ、】
百官や諸臣も栄え、天下も風雨は、時に従い、
【他国もかうべ〔頭〕をかたぶ〔傾〕けて、すねん〔数年〕す〔過〕ごし給ふに、】
他国も頭を下げて従ったのです。こうした事が数年続いたのです。
【まつり〔政〕事のさをい〔相違〕にやはむ〔侍〕べりけん、】
ところが、王の政治に間違いがあったのか、
【又宿業によって果報や尽きにけん、千万の白鳥一時にう〔失〕せしかば、】
また宿業により果報が尽きた為なのか、千万の白鳥が一時に飛び去ってしまい、
【又無量の白馬もな〔鳴〕く事やみぬ。】
無量の白馬も、いななく事をやめてしまったのです。
【大王は白馬の声をき〔聞〕かざりしゆへに、華のしぼめるがごとく、】
大王は、白馬のいななく声を聞く事ができなくなったので、
【月のしょく〔蝕〕するがごとく、御身の色かはり】
ちょうど花がしぼんだように、月が欠けてしまったように、身の色つやも変わり、
【力よはく、六根もうもう〔朦朦〕として、ぼ〔耄〕れたるがごとくありしかば、】
力も弱くなり、六根も鈍り、年老いたようになったので、
【きさき〔后〕ももうもう〔朦朦〕しくならせ給ひ、】
后〔きさき〕も、また耄碌〔もうろく〕してしまわれたのです。
【百官万乗もいかんがせんとなげ〔嘆〕き、天もくもり、地もふるひ、】
百官や諸臣も、どうしたものかと嘆き、天も曇り、地も震え、
【大風かんぱち〔旱魃〕し、】
大風が吹き、旱魃になり、
【けかち〔飢渇〕・やくびゃう〔疫病〕に人の死する事、】
更に飢饉や疫病で人が死ぬ事、おびただしく、
【肉はつか〔塚〕、骨はかはら〔河原〕とみ〔見〕へしかば、】
死人の肉が塚をなし、骨は、瓦を積んだように見えたので、
【他国よりもをそ〔襲〕ひ来たれり。】
他国からも攻められる有様になったのです。
【此の時大王いかんがせんとなげき給ひしほどに、せん〔詮〕ずる所は】
その時に、大王は、どうしたものかと悲嘆にくれたあげく、最終的には、
【仏神にいの〔祈〕るにはし〔如〕くべからず。】
神仏に祈る他は、ないと考えました。
【此の国にもとより外道をほ〔多〕く、国々をふさげり。】
この国は、もともと外道が多く、各地に、それがはびこっていました。
【又仏法という物ををほ〔多〕くあがめをきて国の大事とす。】
また、仏法を尊び、国の大事ともしていました。
【いづれにてもあれ、白鳥をいだして】
そこで国王は、どちらであっても、白鳥を呼び出して
【白馬をな〔鳴〕かせん法をあが〔崇〕むべし。】
白馬をいななかせた法を崇〔あが〕めるようにしようと、
【まづ外道の法にをほ〔仰〕せつ〔付〕けて数日をこ〔行〕なはせけれども、】
まず外道の法に命じて、数日、その修法を行わせましたが、
【白鳥一疋〔ぴき〕もい〔出〕でこず、白馬もなく事なし。】
白鳥は、一羽も現れず、白馬もいななく事はなかったのです。
【此の時外道のいのりをとゞ〔止〕めて仏教にをほ〔仰〕せつ〔付〕けられけり。】
このとき、外道の祈りを止め、同じように仏教に命令されました。
【其の時馬鳴〔めみょう〕菩薩と申す小僧一人あり。】
そのとき、馬鳴〔めみょう〕菩薩と言う一人の小僧がいました。
【め〔召〕しい〔出〕だされければ、此の僧の給はく、】
王の前に召し出されたときに言うのには、
【国中に外道の邪法をとゞめて、仏法を弘通し給ふべくば、】
国中の外道の邪法を廃止して、仏法を弘通するならば、
【馬をな〔鳴〕かせん事やす〔易〕しといふ。】
白馬を、いななかせるのは、容易であると述べたのです。
【勅宣に云はく、をほ〔仰〕せのごと〔如〕くなるべしと。】
大王は、そのとおりにしようと命令されました。
【其の時馬鳴菩薩、三世十方の仏にきしゃう〔祈請〕し申せしかば、】
そして馬鳴〔めみょう〕菩薩が三世十方の仏に祈ったところ、
【たちまちに白鳥出来せり。白馬は白鳥を見て一こへ〔声〕なきけり。】
たちまちに白鳥が飛来して、白馬は、白鳥を見て一声、いなないたのです。
【大王馬の声を一こへ〔声〕きこしめして眼を開き給ひ、】
大王は、白馬の声を一声、聞いて眼を開かれました。
【白鳥二ひき乃至百千いできたりければ、】
白鳥が二羽、三羽、百羽、千羽と出現すると、
【百千の白馬一時に悦びなきけり。】
百千の白馬も、悦んで一斉にいななきました。
【大王の御いろなを〔治〕ること、】
大王の身の色つやが元に戻る姿は、
【日しょく〔蝕〕のほん〔本〕にふく〔復〕するがごとし。】
日食が元に戻るようであったのです。そして、
【身の力、心のはかり事、先々には百千万ばい〔倍〕こへたり。】
身体の力、心の働きも以前に百千倍も優れて来たのです。
【きさき〔后〕もよろこび、大臣公卿いさみて、万民もたな心をあはせ、】
后〔きさき〕も喜び、大臣や公卿も勇気が出てきて、人々も手を合わせて拝み、
【他国もかうべ〔頭〕をかたぶ〔傾〕けたりとみ〔見〕へて候。】
他国も頭を低くして従ったと言う事です。
【今のよ〔代〕も又是にたが〔違〕うべからず。】
今の日本国も、また、これと同じなのです。
【天神七代・地神五代、已上十二代は成劫〔じょうこう〕のごとし。】
天神七代、地神五代、以上の十二代は、成劫の時のようなものです。
【先世のかいりき〔戒力〕と福力とによて、】
前世に戒律をもった功徳や、福徳を積んだ力によって、
【今生のはげ〔励〕みなけれども、】
今生には、これと言う善行を励む事は、なかったのですが、
【国もおさまり人の寿命も長し。】
国も治まり、人の寿命も長かったのです。
【人王のよ〔代〕となりて二十九代があひだは、】
人王の代になって二十九代の間は、
【先世のかいりき〔戒力〕もすこしよは〔弱〕く、】
前世の戒律を守った功徳も少し弱くなり、
【今生のまつり〔政〕事もはかなかりしかば、】
その政治もよくなかったので、
【国にやうや〔漸〕く三災七難をこりはじめたり。】
国に次第に三災七難が起こり始めたのです。
【なをかんど〔漢土〕より三皇五帝の世ををさ〔治〕むべき】
しかし、まだ、この時は、中国から三皇五帝の治世の文書が伝わって来ていたので、
【ふみ〔文書〕わたりしかば、其れをもて神をあがめて国の災難をしづむ。】
どれをもってしても、神を崇め、国の災難を鎮〔おさ〕めることができたのです。
【人王第三十代欽明〔きんめい〕天王の世となりて、】
人王第三十代、欽明天王の代になると、
【国には先世のかい〔戒〕ふく〔福〕うすく、】
国には、先の世に戒律を持った功徳や福徳を積んだ力が一層弱くなり、
【悪心がうじゃう〔強盛〕の物をほ〔多〕く出で来て、】
悪心の強盛な者が多く出て来て、
【善心はをろかに悪心はかしこし。】
善心は、衰え、悪心が強くなったのです。
【外典のをし〔教〕へはあさし、つみ〔罪〕もをも〔重〕きゆへに、】
外典の教えは、浅く、人々の罪障は、重くなって来たので、
【外典すてられ内典になりしなり。】
外典は、捨てられ、内典が用いられるようになったのです。
【れい〔例〕せば、もりや〔守屋〕は】
例えば、日本に仏教が渡来した時に、物部守屋〔もののべのもりや〕は、
【日本の天神七代・地神五代が間の】
日本の天神七代、地神五代の間の
【百八十神〔ももやそがみ〕をあがめたてまつりて、】
百八十神を崇めて、
【仏教をひろめずしてもと〔元〕の外典となさんといの〔祈〕りき。】
仏教の弘教を阻止し、外典の国にしようと祈りましたが、
【聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、】
聖徳太子は、教主釈尊を本尊とし、
【法華経・一切経をもんじょ〔文書〕として、】
法華経や一切経を文書として、
【両方のせうぶ〔勝負〕ありしに、ついには神はまけ仏はか〔勝〕たせ給ひて、】
この両者で勝負が行われましたが、最後は、神が負け、仏が勝って、
【神国はじめて仏国となりぬ。天竺・漢土の例のごとし。】
神国が初めて、仏国となったのです。それは、インドや中国の例と同じでした。
【「今此三界皆是我有」の経文】
法華経、譬喩品の「今、この三界は、皆、是れ我が有なり」の経文が
【あらはれさせ給ふべき序〔ついで〕なり。】
現実となって顕れる始まりであったのです。
【欽明より桓武にいたるまで二十余代、二百六十余年が間、】
欽明天皇から桓武天皇の代に至るまでの二十余代、二百六十余年の間は、
【仏を大王とし、神を臣として世ををさ〔治〕め給ひしに、】
仏を大王とし神を臣として世を収めたのです。
【仏教はすぐれ神はをと〔劣〕りたりしかども、】
仏教は勝れ、神は劣っていましたが、
【未だよ〔世〕をさ〔治〕まる事なし。】
未だ世の中が十分治まらなかったのです。
【いかなる事にやとうたが〔疑〕はりし程に、】
これは、どういうわけかと疑問に思っていると、
【桓武の御〔ぎょ〕宇〔う〕に伝教大師と申す聖人出来して勘〔かんが〕へて云はく、】
桓武天皇の時代に伝教大師と言う聖人が出て、言われるのには、
【神はまけ仏はかたせ給ひぬ。】
神は、破れ、仏が勝って、
【仏は大王、神は臣か〔下〕なれば、上下あひついで、】
仏は、大王、神は臣下であり、上下の関係も明らかで、
【れいぎ〔礼儀〕たゞしければ、国中をさ〔治〕まるべしとをも〔思〕ふに、】
礼儀も正しくなったので、国中が治まるはずであるのに、
【国のしづ〔静〕かならざる事ふしん〔不審〕なるゆへに】
国が静謐〔せいひつ〕でないのは、何ゆえであろうかと不審に思って
【一切経をかんがへて候へば、道理にて候ひけるぞ。】
一切経を調べてみると、治まらないのも道理であったのです。
【仏教にをほ〔大〕きなるとが〔科〕ありけり。】
仏教に大きな誤りがあったのです。
【一切経の中に法華経と申す大王をはします。】
それは一切経の中には、法華経が大王であり、
【ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等は】
ついで華厳経、大品経、深密経、阿含経等となっていて、
【あるいは臣の位、あるいはさぶら〔侍〕いのくらい〔位〕、】
これらは、あるいは、臣下の位か、武士の位、
【あるいはたみ〔民〕の位なりけるを、】
または、民衆の位であるのに、
【或は般若経は法華経にはすぐれたり(三論宗)、】
三論宗では、般若経は、法華経に優れていると言い、
【或は深密経は法華経にすぐれたり(法相宗)、】
法相宗では、深密経は、法華経に優れていると言い、
【或は華厳経は法華経にすぐれたり(華厳宗)、】
華厳宗では、華厳経は、法華経に優れていると言い、
【或は律宗は諸宗の母なりなんど申して、一人として法華経の行者なし。】
また、律宗は、諸宗の母であるなどと言い、法華経の行者は、一人もいないのです。
【世間に法華経を読誦するは還ってをこ〔烏滸〕づきうしな〔失〕うなり。】
世間も法華経を読誦する者を嘲笑したり、亡きものにしようとしたりしました。
【之に依って天もいかり、守護の善神も力よは〔弱〕し云云。】
その為に諸天も怒り、守護の善神も力が弱くなったのです。
【所謂「法華経をほ〔讃〕むといえども】
また、法華経を讃〔たた〕える者があったとしても、その真意を正しく理解せず、
【還って法華の心をころ〔死〕す」等云云。】
返って法華経の精神を殺すような結果になっているのです。
【南都七大寺・十五大寺、日本国中の諸寺諸山の諸僧等、】
奈良の七大寺、十五大寺を、始め日本国中の諸寺、諸山の多くの僧などは、
【此のことばをき〔聞〕ゝてをほ〔大〕きにいか〔瞋〕り、】
この言葉を聞いて大いに怒り、
【天竺の大天・漢土の道士、我が国に出来せり。所謂最澄と申す小法師是なり。】
インドの大天、中国の道士が我が国に出現した。今の最澄と言う小僧がそれである。
【せん〔詮〕ずる所は行きあはむずる処にて、】
仏教を攪乱〔かくらん〕する者であるから、
【かしら〔頭〕をわ〔割〕れ、かた〔肩〕をき〔切〕れ、を〔落〕とせ、】
行き会ったら、頭を破れ、肩を切り落とせ、
【う〔打〕て、の〔罵〕れと申せしかども、】
打ち、罵〔ののし〕れと言って、迫害を加えようとしたのです。
【桓武天皇と申す賢王たづ〔尋〕ねあきらめて、】
しかし、桓武天皇と言う賢王が、双方の主張を尋ね、明らかにされ、
【六宗はひが〔僻〕事なりけりとて】
六宗が間違いであることがわかったとされ、
【初めてひへい〔比叡〕山をこんりう〔建立〕して、】
初めて比叡山延暦寺を建立して、
【天台法華宗とさだめをかせ、円頓の戒を建立し給ふのみならず、】
天台法華宗を定め置かれたのです。そして大乗円頓の戒檀を建立されたばかりか、
【七大寺・十五大寺の六宗の上に法華宗をそ〔副〕へを〔置〕かる。】
七大寺、十五大寺の六宗の上に立つものとして法華宗を置かれたのです。
【せん〔詮〕ずる所、六宗を法華経の方便となされしなり。】
要するに、六宗を法華経の方便とされたのです。
【れいせば神の仏にまけて門〔かど〕まぼ〔守〕りとなりしがごとし。】
これは、あたかも神が仏に負けて、仏法の門番となったのと同じでした。
【日本国も又々かくのごとし。】
日本も、また、このようであったのです。
【法華最第一の経文初めて此の国に顕はれ給ひ】
法華経、最第一の経文が、この国において初めて現実となり、法華経法師品に
【「能竊為〔のうせっち〕一人〔いちにん〕、説法華経」の】
「よく、ひそかに一人の為にも、法華経の(中略)一句を説かば」と言う
【如来の使ひ初めて此の国に入り給ひぬ。】
如来の使いが、初めて、この国に入られたのです。
【桓武・平城・嵯峨の三代二十余年が間は】
その結果、桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇の三代、二十余年の間は、
【日本一州皆法華経の行者なり。】
日本一国が、すべて法華経の信仰者となったのです。
【しかれば栴檀〔せんだん〕には伊蘭〔いらん〕、】
さて栴檀〔せんだん〕の生ずる所には、伊蘭〔いらん〕が生じ、
【釈尊には提婆のごとく、】
釈尊には、提婆達多が出現したように、
【伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり。】
伝教大師と同時に弘法大師と言う聖人が出現しました。
【漢土にわたりて大日経・真言宗をならい、日本国にわたりてありしかども、】
中国に渡り、大日経、真言宗を学んで日本に帰って来ましたが、
【伝教大師の御存生の御時は、】
伝教大師が御存生の間は、
【いたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、】
大日経が法華経に優れていると、強くは、言いませんでした。
【伝教大師去ぬる弘仁十三年六月四日にかくれさせ給ひてのち、】
ところが伝教大師が去る弘仁十三年六月四日に御逝去されると、
【ひま〔隙〕をえたりとやをも〔思〕ひけん、】
機会が巡って来たと思ったのでしょう。
【弘法大師去ぬる弘仁十四年正月十九日に、真言第一・華厳第二・法華第三、】
去る弘仁十四年正月十九日に、真言第一、華厳第二、法華第三とする
【法華経は戯論〔けろん〕の法、無明の辺域、】
十住心教判を立て、法華経は、戯言〔ざれごと〕の法であり、釈尊は、無明の辺域、
【天台宗等は盗人なりなんど申す書〔ふみ〕どもをつくりて、】
天台宗などは、法盗人〔ほうぬすっと〕であるなどと述べた書を著して、
【嵯峨の皇帝〔みかど〕を申しかすめたてまつりて、】
嵯峨天皇をたぶらかして、
【七宗に真言宗を申しくは〔加〕えて、七宗を方便とし、】
七宗の上に真言宗を加え、七宗を方便とし、
【真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。其の後】
真言宗こそ真実であると強く主張したのです。弘法が邪義を弘めて以後、
【日本一州の人ごとに真言宗になりし上、】
日本中の人は、ことごとくが真言宗に帰依したのみならず、
【其の後、又伝教大師の御弟子慈覚と申す人、】
その後、伝教大師の弟子である延暦寺第三代座主、慈覚〔じかく)大師と言う人が、
【漢土にわたりて天台・真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。】
中国に渡って天台、真言の二宗の奥義を学び極めて帰朝しました。
【此の人金剛頂〔こんごうちょう〕経・蘇悉地〔そしっじ〕経の】
この人は、金剛頂経〔こんごうちょう〕経、蘇悉地〔そしっじ〕経の
【二部の疏〔しょ〕をつくりて、】
二部の金剛頂経疏〔しょ〕七巻、蘇悉地経略疏〔しょ〕七巻と言う注釈書を作って、
【前唐院〔ぜんとういん〕と申す寺を叡山に申し立て畢〔おわ〕んぬ。】
前唐院〔ぜんとういん〕と言う寺を比叡山に建立したのです。
【此には大日経第一・法華経第二、】
その注釈書の中には、大日経を第一と立て、法華経を第二と下すなど、
【其の中に弘法のごとくなる過言かず〔数〕うべからず。】
弘法大師のような過言が数え切れないほどあるのです。
【せむぜむ〔先先〕にせうせう〔少少〕申し畢んぬ。】
この事は、前に少々申し上げた通りなのです。
【智証大師又此の大師のあとをついで、】
延暦寺第五代座主、智証大師円珍も、また慈覚大師の後を継いで、
【をんじゃう〔園城〕寺に弘通せり。たうじ〔当時〕、】
大津市園城寺〔おんじょう〕にある三井寺を拠点にして弘通しました。現在、
【寺とて国のわざは〔禍〕いとみゆる寺是なり。】
寺の中で最も国の災いと言うべき寺は、この園城寺〔おんじょうじ〕なのです。
【叡山の三千人は慈覚・智証をはせずば、】
比叡山三千人の大衆の中には、慈覚大師、智証大師が、いなければ
【真言すぐれたりと申すをばもち〔用〕いぬ人もありなん。】
真言宗が法華経に優れているなどと言う妄説を受け入れない人もあったでしょうが、
【円仁大師に一切の諸人くち〔口〕をふさがれ、心をたぼらかされて、】
比叡山延暦寺第三代座主の慈覚大師円仁に皆、口を塞がれ、騙〔だま〕されて、
【ことばをい〔出〕だす人なし。】
反論する人さえ、いなかったのです。
【王臣の御きえ〔帰依〕も又伝教・弘法にも超過してみへ候へば、】
国主や王臣の帰依も、また伝教大師や弘法大師を越えてしまうほどであったので、
【えい〔叡〕山・七寺、】
比叡山や奈良の七大寺、さらには、
【日本一州一同に法華経は大日経にをと〔劣〕りと云云。】
日本国中が一同に法華経は、大日経に劣ると思うようになってしまったのです。
【法華経の弘通の寺々ごとに真言ひろまりて、法華経のかしら〔頭〕となれり。】
かつて法華経が弘通した寺々に真言宗が広まり、法華経より上位になったのです。
【かくのごとくしてすでに四百余年になり候ひぬ。】
こうして、すでに四百年が過ぎました。
【やうや〔漸〕く此の邪見ぞう〔増〕じゃう〔上〕して】
この間、次第に、この邪見が増長〔ぞうちょう〕し、
【八十一乃至五の五王すでにう〔失〕せぬ。】
人皇八十一代の高倉天皇から続けて五代の天皇が、その御位を失ったのです。
【仏法う〔失〕せしかば王法すでにつ〔尽〕き畢んぬ。】
仏法が滅びた為に王法も滅びてしまったのです。
【あまさ〔剰〕へ禅宗と申す大邪法、念仏宗と申す小邪法、真言と申す大悪法、】
あまつさへ禅宗と申す大邪法、念仏宗と申す小邪法、真言と申す大悪法、
【此の悪宗はな〔鼻〕をならべて一国にさかんなり。】
この悪宗が鼻を並べて一国に盛んになり、
【天照太神はたましいをうしなって、うぢこ〔氏子〕をまぼ〔守〕らず、】
天照太神は、魂を失って、氏子を守らず、
【八幡大菩薩は威力よはくして国を守護せず、】
八幡大菩薩は、威力が弱まって、国を守護せず、
【けっく〔結句〕は他国の物とならむとす。】
結局は、他国の属国になろうとしているのです。
【日蓮此のよし〔由〕を見るゆへに「仏法中怨、倶堕地獄」等のせ〔責〕めを】
日蓮は、この事を見る故に「仏法中怨、倶堕地獄」などの責めを
【おそれて、粗〔ほぼ〕国主にしめせども、】
恐れて、国主に言いましたが、
【かれらが邪義にたぼらかされて信じ給ふ事なし。】
彼らの邪義にたぼらかされて信じる事は、ありませんでした。
【還って大怨敵となり給ひぬ。法華経をうしなふ人国中に充満せりと申せども、】
還って大怨敵となり、法華経を信じない人が国中に充満していると言っても、
【人し〔知〕る事なければ、たゞぐち〔愚癡〕のとが〔失〕ばかりにて有りしが、】
人が詳しく知る事がなければ、ただの愚痴の軽い罪ばかりであったのに、
【今は又法華経の行者出来せり。】
今は、法華経の行者が出現し、
【日本国の人々癡〔おろ〕かの上にいか〔瞋〕りををこす。】
日本の人々の愚〔おろ〕かの上に怒〔いか〕りを起こし、
【邪法をあい〔愛〕し、正法をにくむ、三毒がうじゃう〔強盛〕なり。】
邪法を愛し、正法を憎む、三毒が強盛の
【日本国いかでか安穏なるべき。】
日本を、どのようにして安穏にするべきなのでしょうか。
【壊劫〔えこう〕の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり。】
壊劫の時は、大の三災が起こります。いわゆる、火災、水害、台風です。
【又減劫〔げんこう〕の時は小の三災をこる、】
また減劫の時は、小の三災が起こります。
【ゆはゆる〔所謂〕飢渇〔けかち〕・疫病・合戦なり。】
いわゆる、飢渇、疫病、合戦などです。
【飢渇は大貪〔だいとん〕よりをこり、やくびゃう〔疫病〕は】
飢渇は、大貪より起こり、疫病は、
【ぐち〔愚癡〕よりをこり、合戦は瞋恚〔しんに〕よりをこる。】
愚痴より起こり、合戦は、憤怒〔ふんぬ〕より起こるのです。
【今日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、】
今、日本国の人、四十九億九万四千八百二十八人の男と女、
【人々ことなれども同じく一つの三毒なり。】
人々は、異なると言っても、同じく、ひとつの三毒なのであり、
【所謂南無妙法蓮華経を境〔きょう〕としてを〔起〕これる三毒なれば、】
いわゆる南無妙法蓮華経を鏡として起こる三毒であるならば、
【人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にの〔罵〕り、せ〔責〕め、】
人々毎に、釈迦、多宝、十方の諸仏を一瞬で罵〔ののし〕り、攻め落とし、
【流し、うしな〔失〕うなり。是即ち小の三災の序〔ついで〕なり。】
流して、失わせ、これが小の三災の序章なのです。
【しかるに日蓮が一るい〔類〕、いかなる過去の宿じう〔習〕にや、】
こうした中で、日蓮の一類は、どのような過去世の宿習によって
【法華経の題目のだんな〔檀那〕となり給ふらん。】
法華経の題目の檀那と成られたのでしょうか。
【是をもてをぼしめせ。今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩、】
この事を考えると、今、梵天、帝釈、日月、四天、天照太神、八幡大菩薩、
【日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎ〔神祇〕は】
日本の三千一百三十二社に祀〔まつ〕られている大小の神々は、
【過去の輪陀〔りんだ〕王のごとし。白馬は日蓮なり。白鳥は我らが一門なり。】
過去の輪陀王であり、白馬は、日蓮であり、白鳥は、我らが一門であるのです。
【白馬のな〔鳴〕くは我等が南無妙法蓮華経のこえ〔声〕なり。】
白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声です。
【此の声をきかせ給ふ梵天・帝釈・日月・四天等】
この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天などが、
【いかでか色をまし、ひかり〔光〕をさか〔盛〕んになし給はざるべき、】
どうして色を増し、輝きを強くされない事があるでしょうか。
【いかでか我等を守護し給はざるべきと、つよづよ〔強強〕とをぼしめすべし。】
どうして我等を守護されないはずがあるだろうかと強く信じてください。
【抑〔そもそも〕貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目〔がもく〕其の数有りしかば、】
さて、あなたが去る三月の御仏事に、たくさんの銭を供養されたので、
【今年一百余人の人を山中にやしなひて、】
今年は、百余人を、この山中に泊まらせる事ができ、
【十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。】
昼夜にわたって、法華経を読誦し、講義をしたりするほどの盛況となりました。
【此ら〔等〕は末代悪世には一えんぶだい〔閻浮提〕第一の仏事にてこそ候へ。】
この姿は、末代悪世においては、世界第一の仏事と言うべきものでしょう。
【いくそばくか過去の聖霊もうれしくをぼ〔思〕すらん。】
どのように亡くなられた聖霊も嬉しく思われていることでしょうか。
【釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり。】
釈尊は、孝行の人を世尊と名付けられました。
【貴辺あに世尊にあらずや。】
そういう意味では、あなたの事も世尊と言うべきではないでしょうか。
【故〔こ〕大進阿闍梨の事なげかしく候へども、此又法華経の】
故大進阿闍梨の事は、嘆〔なげ〕かわしく思いますが、これも、また法華経が
【流布の出来すべきいんえん〔因縁〕にてや候らんとをぼしめすべし。】
広まるべき因縁ではないかと思ってください。
【事々命なが〔永〕らへば】
色々と申し上げたい事がありますが、命を長らえたならば、
【其の時申すべし。】
その時に、また申し上げましょう。
【八月十一日 日蓮花押】
8月11日 日蓮花押
【曾谷入道殿御返事】
曾谷入道殿御返事